札幌高等裁判所 平成4年(う)157号 判決 1995年3月07日
主文
原判決を破棄する。
被告人を無期懲役に処する。
原審における未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入する。
原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、函館地方検察庁検察官藤田壽一作成(札幌高等検察庁検察官小谷文夫提出)の控訴趣意書に(なお、検察官は、本件控訴趣意は、全体として事実誤認のみを主張するものであって、理由不備を主張するものではないと釈明した。)、答弁は、主任弁護人菅原憲夫、弁護士嶋田敬昌連名作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
第一部 控訴趣意に対する判断
第一 控訴趣意
論旨は、要するに、原判決は、被告人が本件殺人及び詐欺の共謀を遂げたとは証拠上認定できないとして、被告人に対し無罪を言い渡したが、原判決のこの判断は誤りであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである旨主張する。
すなわち、原審で取り調べた関係各証拠によれば、本件殺人及び詐欺の公訴事実(その内容は、後記第二・一のとおり)を優に認定することができるのに、原判決は、共犯者らとの共謀の事実を認めた被告人の捜査段階における自白及びこれを補強するA、Dらの供述の信用性を否定した上、被告人とA、Dら共犯者との間に E1殺害についての共謀が成立していたと認めるには合理的な疑いがあるとして、被告人に無罪を言い渡している。しかし、原判決は、被告人及びA、Dらの各供述の細部の食い違いをことさらに強調し、被告人の捜査段階における自白及びこれを補強するA、Dらの供述の信用性にいたずらに疑問をさしはさみ、また、約束手形帳控の記載についての誤った推測・思い込みの多い分析等から、結論として被告人とAらの共謀の成立を否定したものであって、実質上の保険契約者であり、かつ保険金受取人である被告人の積極的関与なくして本件が成り立ち得ないという事件の本筋を看過するとともに、極めて高い信用性がある被告人の自白を過小評価し、被告人の原審公判における弁解に引きずられたため、証拠の取捨選択及び価値判断並びにこれに基づく推論を誤り、その結果、重大な事実の誤認をして被告人を無罪としたものであり、この誤認が判決に影響を及ぼすことも明らかであるから、到底破棄を免れない、というのである。
第二 当裁判所の判断
そこで、所論にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審での事実取調べの結果をも併せて検討し、次のとおり判断する(なお、以下、原判決、当事者の主張及び証拠を引用する場合、その趣旨に沿って原文を補正することもある。)。
一 本件公訴事実の要旨
まず、本件公訴事実についてみると、その要旨(ただし、訴因変更後のもの)は、次のとおりである。
<1> 被告人は、A、B、C、Dと共謀の上、被告人が代表取締役をしているKW商事株式会社(以下「KW商事」ともいう。)が明治生命保険相互会社(以下「明治生命」ともいう。)との間で埼玉県所沢市に居住する E1(昭和一五年二月二六日生)を被保険者、KW商事を保険金受取人として締結していた生命保険契約の保険金を騙取するなどの目的で、同人を殺害しようと企て、Aにおいて E1を土地売買取引に藉口して北海道へ誘い出し、B、Cの両名において E1を魚釣りに行く旨欺いた上、昭和六一年四月一二日午前一時ころ、北海道上磯郡上磯町字谷好五五番地先海岸から、 E1を F1が操船する漁船(総トン数一・四トン)に乗船させ、同日午前二時二〇分ころ、同所の南方約一・五キロメートルの沖合海上に至り、同船上において、Bにおいて両手で E1の体を突いて同人を海中に転落させ、Cにおいて海中から船縁をつかんで救いを求めた E1の手を引きはがすなどし、更に、海中に飛び込んだBにおいて E1の背後からその着衣を引っ張って同船から引き離した上、その着衣をつかんだ手で同人を海中に押し込んで水没させ、よって、そのころ、同所付近海中において、 E1を溺死により窒息死させて殺害した(昭和六二年八月一六日付け起訴分)。
<2> 被告人は、A、Dと共謀の上、右生命保険契約(死亡時の保険金額を一五〇〇万円とする養老保険契約、死亡時の保険金額を二億八五〇〇万円、災害死亡時の保険金額を三億八五〇〇万円とする災害割増特約付の個人定期保険契約)を締結していたことを奇貨として、 E1の右死亡が不慮の災害によるものであるように装って明治生命から右保険金を騙取しようと企て、昭和六一年七月一六日ころ、東京都千代田区<番地略>所在の明治生命において、同会社契約サービス部保険金部長 F32らに対し、真実は被告人らにおいて、前記のとおり E1を溺水により窒息死させて殺害したのに、同人が災害事故により死亡したもののように装い、情を知らない同会社武蔵関営業所係員 F33を介して、 E1が漁船に乗船して釣行中、横波を受けて傾いた同船から海中に転落して行方不明となり、その後同人の死体が発見された旨虚偽の事実を記載した「受傷事情書(一般事故用)」及び「保険金請求書」等をその他関係書類とともに提出して右保険金の支払方を請求し、 F32らをして E1が不慮の災害事故により死亡したものと誤信させ、よって、同年八月二日、同会社契約サービス部保険金課送金係員をして、株式会社三菱銀行本店から東京都東久留米市<番地略>所在の西武信用金庫東久留米支店のKW商事名義の当座預金口座に右各保険金等合計四億〇〇六五万八一八〇円を振替入金させてこれを騙取した(昭和六二年九月二八日起訴分)。
二 原判決の理由の概要と当裁判所の検討の方針
1 原判決の理由の概要
原判決は、その判決理由の第一部「序論」の第一で、右公訴事実の要旨を摘示した上、次の第二の「争点及び判断の結論」の項中で、「 E1が公訴事実<1>記載の日時、場所、方法で、A、D、B、Cによって殺害された(B、Cが殺害を実行し、A及びDについては共謀共同正犯が成立する。)こと並びに公訴事実<2>記載の日時、場所、方法で、同記載の金額の保険金等が被告人に支払われたことは間違いない。右殺害当時、被告人は東京都東久留米市の自宅にいたと思われ、 E1殺害の実行行為には関与していない。被告人につき、 E1に対する殺人罪及び右保険金を騙取した詐欺罪が成立するかどうかは、 E1を殺害したA、D、B、Cとの間における保険金騙取を目的とした E1殺害に関する事前共謀の成否殊に被告人と直接接触していたA、Dとの共謀の成否にかかってくる。」旨指摘している(<引用部分略>)が、原判決のこの指摘は、当裁判所としても、是認することができる。すなわち、本件の争点は、まさに、被告人とA、Dらとの間に、 E1殺害の事前の共謀が成立していたと認められるか否かの点にある。
そして、原判決は、最後の第四部「総合判断」で、その検討結果を要約した上、「結局、被告人の自白調書を除いた証拠関係のみによっては、被告人とAらとの間に、 E1殺害の共謀が成立するのではないかという疑いを生ぜしめる事実は存するけれども、有罪の心証を得るには至らない。被告人の自白調書には、任意性は認められるが、信用性は乏しいといわざるを得ないものである。したがって、それらの検討結果を総合しても、被告人とAらとの間に E1殺害についての共謀が成立するということには合理的な疑いが生じるといわざるを得ない。以上のとおりであるから、被告人に殺人罪は成立しない。殺人罪が成立しないとなれば、被告人が明治生命に対して E1の生命保険金の支払方を請求したことを、詐欺罪における欺罔行為とは評価できないから、生命保険金を取得したことについて詐欺罪も成立しない。」(<引用部分略>)として、本件各公訴事実について、被告人はいずれも無罪である旨説示している。
2 当裁判所の検討の方針
そこで、当裁判所は、以下の検討に当たって、次項の三で、証拠上確実に認定できる事実を、本件の検討に当たって前提となる諸事実としてまず確定し、次に四で、A、Dの各供述の信用性を中心にして検討を加えた上、五で、被告人の自白調書の任意性・信用性について判断を加え、原判決の前記判断の内容に所論が主張するような誤りがあるか否か、検討を進めていくこととする。
三 本件の検討に当たって前提となる諸事実
原判決がその判決理由第二部第一・一「A及びDの各供述の信用性を判断する前提として認定できる事実」の項中で認定・摘示している諸事実(<引用部分略>)は、当裁判所としても、おおむね首肯することができる。また、これらの諸事実は、その認定につき証拠上特段の問題がなく、本件の前記争点の検討に当たり、前提となるものであることも明らかである。そこで、以下1から18までにわたり、これらの諸事実を改めて摘示すると、以下のとおりである(ただし、原判決の摘示に、当裁判所において付加訂正等を加えた部分がある。)。
1 被告人は、東京都東久留米市内の中学校を卒業し、農業手伝い、左官業等を経た後、昭和四六年一二月に同市内で不動産業や金融業等を営むKW商事を設立して代表取締役に就任し、同社の資産、事業を実質上一人で管理、運営して、同社を経営していた(事務所の所在地は、<番地略>)。
2 被告人は、 E1の自宅が埼玉県所沢市大字下安松であって被告人方に近く、また家庭状況等も被告人と似通っていたことから、以前から同業者として E1の顔を知っていた。また、被告人は、昭和五七年ころ、住吉連合土志田一家 F9興業組長 F9らの主宰する一休会のゴルフで E1を紹介された。
その後一、二か月経ったころ、 E1は被告人に一〇〇〇万円の借入れ方を申し入れた。被告人は、 E1がライオンズクラブに入会しており、まじめそうで寿司屋を経営し、悪い噂もないので、担保も取らず借用書だけで貸すことにし、同人の経営する有限会社 E1屋商事(以下「 E1屋商事」ともいう。)に対し、利息月三分、一か月分先取りで貸し付けた。その後もしばしば E1から借入れの申込みがあり、そのうち一か月に五〇〇〇万円くらいを貸し付けては返済を受ける状態となり、貸付額は月ごとにふえる状態であったが、そのころ被告人は、 E1からの返済に不安を抱いていなかった。しかし、昭和五八年初めころ貸付総額が一億円くらいになり、 E1の返済能力に不安が出てきたため、被告人は、 E1に担保提供を求め、 E1の妻の実家の土地の権利証を預かり、被告人の信用で東邦信用金庫田無支店から五〇〇〇万円ないし六〇〇〇万円くらいを借りて E1に貸し渡した。また、 E1の親族である E4や E5の土地も担保に取ってKW商事が金融機関等から融資を受け、その借受金を高利で E1に貸し付けた。
さらに、被告人は、 E1をKW商事の役員であると称して、同年七月一五日、明治生命(本社所在地は、東京都千代田区)との間で、 E1を被保険者とし、KW商事を保険契約者兼保険金受取人として、普通死亡時の死亡保険金を二億八五〇〇万円、災害割増特約として災害死亡時の災害死亡保険金を一億円とする生命保険契約(個人定期保険)及び死亡保険金を一五〇〇万円とする生命保険契約(養老保険)の二つの保険契約を締結し、その各保険料は E1屋商事から得た貸付利息の中から支払いに充てていた。
KW商事の E1屋商事に対する融資額は、昭和五九年には一二億円余りになっていた。ところが、 E1屋商事は、その支払いを懈怠し続けた挙げ句、昭和六〇年四月に二度目の不渡手形を出して倒産した。KW商事は、 E1屋商事から、元金の返済はもとより、利息の支払いも受けられない状態となったが、被告人は、前記保険契約が債権担保の目的であったことから、その後も保険料を支払い続けた。被告人は、昭和五九年一一月分以降は保険料の支払いが一か月遅れになったが、昭和六一年三月二八日に、同年二月分と三月分の保険料を一括して支払い、その後は保険金が支払われる(後記12)まで、遅滞することなく保険料を支払った。
3 被告人は、昭和五八年一二月ころ、神奈川県大和市に事務所をもつ稲川会堀井一家飯田五代目 F2組と親交があった F10(F2組組長 F2の元舎弟。)から株式会社大久保建設営業部長 J16を介して F7に対する融資話を持ち掛けられ、同月一六日ころ、KW商事が金融機関から融資を受けた上、 F7に対して三億一五〇〇万円を貸し付けた。その際、東京都荒川区南千住所在の土地及び建物(以下「南千住の物件」という。)を担保物件として取得したが、その後被告人は、KW商事が F7からこれを買い受けたとして、昭和五九年一月八日ころ、右建物を取り壊した。 F7は、南千住の物件は売り渡したものではなく担保として提供したにすぎないとして、右建物取壊しに関し、 F10の勧めで、同年二月初めころ、 F10が手配した F2組の組長代行 F4の配下組員 F12とともに被告人と交渉したが、その経過の中でかえって F12は被告人に味方し、 F7の納得のいく成果は得られなかった。そこで、 F7は、 F10に費用を負担してもらい、KW商事を相手に、右建物を取り壊されたことを理由とする損害賠償請求及び所有権移転登記抹消登記手続請求の訴えを東京地方裁判所に提起した。
被告人は、 F12及び同人の仕事を引き継いだ元稲川会系暴力団員である F5(かつて、 F4と兄弟分の関係にあった。)に対して、右訴訟の解決方を依頼したが、交渉はうまく進まなかった。
4 Dは、昭和五八年一〇月ころ F4の舎弟となり、昭和六〇年ころからは、 F2組組長代行補佐として、同組の運営資金の調達や管理を中心となって行う、いわゆる組の金庫番として活動するようになっていた。そのかたわら、Dは、 F2組に入った当初から、不動産取引等の仕事を覚えるべく、同組の不動産関係の仕事を担当していた F12に運転手として付き従い、昭和五九年ころからは、 F5に運転手を兼ねて同行し、同人の行う不動産関係の仕事を手伝っていた。Dは、同年初めころ被告人とも面識をもち、その後、被告人が融資先との紛争の処理等を F5ら F2組関係者に依頼するなど、次第に同組との関係を深め、同組のスポンサーともいうべき立場になっていく過程で、D自身も、 F2組と被告人との間の連絡役を務めるなどして、被告人との親交を深めていった。
5 被告人は、昭和六〇年二月ころ、 F5から、長崎県内にある有限会社NK石材(以下「NK石材」ともいう。)が採石販売業を行い、採石後の平坦地を転売する計画があり、かなりの利益が見込まれるので、KW商事からその事業資金を融資し、投資してもらいたいという申出を受け、同月下旬ころからKW商事振出の約束手形を F5に渡すなどしてNK石材に投資するようになった。
6(一) 前記のとおり、昭和六〇年四月に E1屋商事が倒産したものの、 E5等から不動産を担保に取っていたため、被告人は、 E1屋商事からの元金等の回収についてはそれほど強い不安はなかった。しかしながら、同社の倒産により、KW商事には E1屋商事からの月額一〇〇〇万円を超える利息が入ってこなくなったため、KW商事自らの負担でSF株式会社(以下「SF」ともいう。)等の借入先への元利金の返済を行わなければならなくなり、被告人は、そのための資金の調達を余儀なくされるようになった。ところが、当時、KW商事は、 E1屋商事以外の融資先との関係でも担保等として取得した不動産に関して種々の紛争を抱え、その解決が長引いており、また転売して債務の返済等に充てるべき不動産の処分も思うに任せず、他の融資先からの債権の回収も順調には進まなかったため、被告人は、資金繰りに窮するようになり、同年六月ころからSFへの利息の支払いを遅滞するようになった。そのころ、被告人は、SFに対して一九億円余の債務を負っており、三か月ごとの利息も四七〇〇万円余になっていた。
さらに、被告人は、担保として預かっていた E5の不動産を売却したいという E1からの依頼で、 E1が借入金の返済に充てるものと考え、右不動産の権利証を E1に渡していたところ、同年八月、右不動産のKW商事への所有権移転登記が錯誤を理由に取り消された。加えて、同年九月には、 E5の代理人が、SFに対して、 E5の所有地の抵当権設定が同人の承諾なくされたものである旨通知してきた。被告人は、そのころこの事実を知ったが、 E1は、これについても被告人に満足のいく説明をせず、 E5に同調するような態度をとったため、被告人は、 E1を告訴することも考えた。
(二) KW商事は、SFからの借入金のほか、青梅信用金庫東久留米支店、西武信用金庫東久留米支店、田無農業協同組合、埼玉銀行東久留米支店等の金融機関に対しても多額の債務を負っており、その額は、昭和六一年一月には合計約二〇億円にのぼるなど、各金融機関への利息の支払いだけでも、毎月多額の資金が必要な状態になっていた。しかし、KW商事は青梅信用金庫東久留米支店等へ多額の預金をしてはいたものの、これらの預金の大半は融資を受けた際にその担保となっており、また所有していた不動産も多数あるものの、いずれもSF等に抵当権が設定されていたことから、右不動産をもって新たな融資を受け、資金繰りをしていくことも事実上不可能であった。このような次第で、KW商事は、SF等から、利息等の支払いのためのいわゆる書換えのための融資こそ受けられるものの、新規事業のための融資を受けられない状態になった。このため被告人は、親族や知人からも多額の借入れをすることを余儀なくされていった。
被告人は、昭和六〇年暮ころには、被告人の父親名義の不動産や手持ちの不動産の一部を処分するなどして資金繰りに努めたが、更にKW商事の資金繰りは圧迫され、SF等への利息の支払いも遅滞し、昭和六一年一月と二月には、東村山税務署からKW商事所有の不動産を差し押さえられた。
(三) さらに、KW商事は、昭和六〇年六月ころまでの間にNK石材へ合計七〇〇〇万円余の手形を振り出していたにもかかわらず、同社からの利益回収がないままであり、右手形の回収にも苦慮していた。被告人は、NK石材の事業へ投資したものの、利益の回収がいっこうに図られない状況であったことから、同年一二月ころ、 F5に対して、出資金の返済を強く求めた。しかし、 F5は、被告人に対して、この時点で出資を中止された場合採石事業は継続できず、NK石材が倒産することとなり、それまでの出資金の返済すら不可能となってしまうので、更に追加出資をしてもらいたい旨申し出た。被告人は、同年一二月下旬、顧問弁護士G(以下「G弁護士」ともいう。)と共に長崎に赴き、 F5らと話し合った結果、昭和六一年一月からはNK石材からKW商事へ利益の配当がなされると見込んだため、KW商事が合計一億四四〇〇万円の手形を振り出して追加出資し、NK石材は同月から同年七月末まで毎月利益を送金する(その合計約二億五〇〇〇万円)旨の協定を締結した。被告人は、右協定に基づき、昭和六〇年一二月下旬ころ、 F5に対して、支払期日が昭和六一年一月二五日から同年七月二五日までの約束手形合計四八通(額面合計一億四四〇〇万円)を渡した。ところが、同年一月になっても、NK石材からは協定内容に従った入金がなされず、被告人は、NK石材の事業に関し、利益を得ることができないにもかかわらず、既に交付していたKW商事振出の多額の手形を毎月決済していかなければならない状況となった。
(四) こうして、SF等から新規の借入れもできない状態が続き、KW商事の経営状態はいっこうに改善せず、ますます資金繰りに窮するようになっていった。当時の状況としては、資金繰りに苦しんでいたKW商事の経営状態が好転することを期待できる事情は格別なく、SF等への元利金返済の目途がつかなかったばかりか、NK石材への投資として振り出していた約束手形を、昭和六一年二月以降には毎月一〇〇〇万円以上決済しなければならない状況にあった。
このような中、被告人は、 E1に対して担保物件による決算方を求めたが、 E1は、いっこうにKW商事に対する債務の返済に努力しようとしなかった。そのため、同年一月には被告人やSFは競売の手続を進めようとしたが、 E1はこれに不満を示し、 E5の土地にプレハブ住宅を建築するなどして、競売を妨害する態度をとった。また、 E1は、同年三月一一日ころ、 E5所有の不動産の被担保権を減額するようにSFと直接交渉し、その際にも、 E5所有地についての抵当権設定が同人の承諾なくされたものである旨の同人の主張に同調する態度を示した。
7 以上の次第でKW商事の経営状態は悪化の一途をたどり、被告人は、資金繰りに奔走する毎日を送るようになっていた。ところが、被告人がこのような窮地に陥っていたにもかかわらず、前記のとおり E1は、いっこうにKW商事に対する債務の返済に努力しようとしなかったばかりか、担保としてKW商事に提供したはずの不動産の所有者らがこれを取り戻そうとする動きをみせたのに同調する言動にさえ及んだ。被告人は、 E1がKW商事の資金繰り悪化の原因を作っておきながら、かえって被告人に敵対する態度をとっているとして、 E1に対するふんまんやる方なく、このように自分が苦しむのは E1のせいであると考えて、 F13やDら周囲の者に、 E1には生命保険を掛けている、死んでしまえばいいなどと、しばしば E1に対するふんまんの念を漏らすようになった。昭和六〇年の一〇月から一二月ころには、被告人が、KW商事に来た F5及びDに対し、KW商事が E1を被保険者とする多額の生命保険に加入しているので、同人が死んでくれれば助かるなどと話した際、 F5が報酬一億円で E1殺しを引き受けてやると話したこともあったが、被告人はこれを断わり、この話はいったん立ち消えになった。
8 Aは、的屋全日本源清田連合初代萩原一家井上分家 F14組組長であるが、昭和六〇年九月に服役を終え、かねて F2組組長らとも親交があったことから、間もなく F2組事務所に足繁く出入りするようになり、「SO」という名称で金融業にも手を出していた。Aは、 F2組がKW商事から依頼されていた債務者との紛争処理等の仕事にも協力するようになり、Dは、Aの運転手を兼ねて同人と行動を共にする機会も多くなっていた。
Aは、昭和六一年一月末ころ、 F4から、南千住の物件をめぐるKW商事と F7との間の民事訴訟の解決を依頼された。Aは、かねて F10と交友関係があったので、 F7に資金援助をしていた F10とかけあって援助をやめさせようとしたり、 F7の代理人である弁護士に対して辞任を働きかけたりするなど、種々策を弄してKW商事のために活動した。Dは、同年二月、このようにKW商事のため活動していたAを、仕事ができて役に立つ人物として被告人に紹介した。その後も、Aは、南千住の物件をめぐる問題の解決のために働いていた。
9 被告人は、昭和六一年三月一五日ころ、知人の F15所有のマンションを担保に一億円の融資を受けたいので融資先を探してほしい旨、Dに依頼した。DはAに相談し、Aは、有限会社GE商事(以下「GE商事」ともいう。)社長の J5の紹介で、東京都豊島区池袋にある株式会社T商(以下「T商」ともいう。)を融資先として紹介した。T商が右マンションを検分した結果、同月二二日に七〇〇〇万円を融資することに決まった。他方、被告人は、昭和六〇年六月ころ、一〇〇〇万円の手形を E1に貸し、同人はこれを有限会社SN(以下「SN」ともいう。)で割り引いていたが、 E1はこれを返済せず、それまで数回書換えを続けていた。ところが、昭和六一年三月になって、この手形に担保のため裏書をしていた E5が裏書を拒絶したため、SNの社長 J1は、これ以上手形を書き換えることは無理と判断し、同月一八日ころ、右一〇〇〇万円の手形を銀行の取立てに回すと被告人に連絡してきた。このとき(その経緯については、後記四3(二)(4)参照)、被告人は、T商からの七〇〇〇万円の融資金の一部を右手形の決済資金に充て、その際、Aを E1に融資してくれる横浜の金融業者であると E1に紹介し、Aから E1に一〇〇〇万円を貸し付けるという形をとろうと考えた。
こうして、被告人は、同月二二日、T商から七〇〇〇万円の融資を受け(借主が F15で、連帯保証人が被告人という形をとった。)、その一部をAが東京都東久留米市金山町の物件を担保にしてT商から借り入れていた一五〇〇万円の債務の返済に充てた。そして、被告人は、残金の中から現金一〇〇〇万円をAに渡し、A及びDと共に、埼玉県所沢市大字下安松所在の E1方に赴き、 E1に対し、同人に融資してくれる横浜の金融業者であるなどと言ってAを紹介した上、その場でAが貸主として E1に右一〇〇〇万円を交付し、前記手形を回収した。
10(一) Aは、札幌市内に本拠を置く前記井上分家傘下のB組組長であるBとかねてから親交があり、当時も、同人をしばしば上京させては仕事を手伝わせていた。Aは、三月二三日(以下、判決理由第一部の終わりまで、月日等に特段年度の記載を付していないものは、昭和六一年の趣旨である。)にBと大阪へ行き、宿泊先のホテルで E1殺害を手伝ってくれるよう依頼し、Bはこれを承諾した。
Aは、四月一〇日に網走刑務所を出所する配下の組員 F16の出迎え等のために、近々北海道に赴く予定であったことから、口実を設けてこれに E1を同道し、機会をみて殺害しようと企て、 E1を北海道に連れ出すべく、札幌市中央区内の通称狸小路の土地売買に関し、 E1屋商事を税金対策上のダミーに使わせてくれれば、 E1に多額の手数料を支払う旨申し向け、一度現地を見るためAらと一緒に北海道に赴くよう誘った。Aは、同月五日、Dを伴って E1方へ行き、先に E1から依頼されていた新たな融資金三〇〇万円を手渡したが、その際にも同人を北海道行きに誘い、翌六日、同人から、同月八日の午後からであれば北海道に行けるという返答を得た。そこでAは、同月八日に E1を同道して北海道に赴き、機会を狙って同人を殺害することを決意した。
(二) Aは、四月上旬(検察官の主張はこの日を同月七日とするのに対し、弁護人は同月五日であるとし、原判決も同月五日であるという疑いがあると認定している。この点は、本件における主要な争点の一つであるから、後記四5で検討する。)Dを伴いKW商事事務所に赴いて被告人と会い、被告人から、いずれもKW商事振出で六月六日満期の額面三〇〇万円のもの二通(手形番号HA82774、同82775)及び額面四〇〇万円のもの一通(同HA82773)の約束手形合計三通と現金五〇〇万円を受け取った(その趣旨についても、後記四5参照)。
Aは、四月八日、このうち手形番号HA82774の手形をGE商事で(割引金のうち一〇〇万円のみを現金で受け取り、残金一五〇万円は、同日 J5からAの住友銀行築地支店の口座に振り込まれた。)、同82775の手形を株式会社AE(以下「AE」ともいう。)八重洲支店でそれぞれ割り引いた。そして、Aは、これらの割引金(ただし、HA82774については、前記のとおり一〇〇万円)を持って、同日午後、B及び F2組組員の F21と共に羽田空港を出発し、空路札幌に赴いたが、出発に先立ち、羽田空港で、Bに対し、 E1殺害の経費として右の金員の中から現金二〇〇万円を渡した。他方、Aは、同月五日に E1に三〇〇万円を融資した際、金利分として額面六〇万円の株式会社WT石材(以下「WT石材」ともいう。)振出の小切手を受け取っていたが、同日、 J5に対して右小切手の取立てを依頼し、 J5はこれを同月七日の午前中に取立てに回し、五〇万円を同月一〇日にAの前記口座に振り込んだ。
(三) 被告人は、四月一一日ころ、株式会社KWハウジング(以下「KWハウジング」ともいう。)代表取締役 F17に五〇〇万円を送金してほしい旨依頼し、同人は、同月一一日、青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の口座に五〇〇万円を振込送金した。被告人は、同日、右五〇〇万円のうちから三〇〇万円を、Aの住友銀行築地支店の口座に、振込人名義をDとして振り込んだ。この振込について、KW商事の銀行勘定帳<押収番号略>の同日の分には、摘要「立替金SO」として、三〇〇万円の出金が記載されている。
(四) 前記のとおり、AとBは、四月八日、 F21と共に空路札幌に赴き、同日夜、遅れて到着した E1と同市内で落ちあった。翌九日、AとBは、 E1らと共に網走に行って同市内のホテルに泊まり、翌一〇日朝、網走刑務所を出所した F16を出迎えた後、 E1を誘って函館に行き、同市内の湯の川観光ホテルに宿泊した。そして、B及び同人により札幌から呼び寄せられたB組組員のCは、同月一一日深夜 E1を釣りに誘い出し、同月一二日午前二時二〇分ころ、北海道上磯郡(番地略) F1方裏の通称谷好前浜海岸南東方向約一・四キロメートルの沖合海上で、 F1が操船する小型漁船第二とし丸の船首三角デッキ上から、Bが E1を突き飛ばして海中に転落させるなどして、そのころ同所付近海中で、 E1を溺水により窒息死させて殺害した(前記一<1>の公訴事実参照)。
11 Aは、四月一五日、函館を出発し、同月一六日ころ、東京都新宿区の京王プラザホテルで被告人と会った。その際の話の結果(なお、この話の内容について、後記四7参照)、被告人は翌一七日ころ、株式会社 J3設計事務所(以下「 J3設計事務所」ともいう。)から額面三五〇万円の手形二通を借り、これをAに渡した。
被告人は、四月下旬ころ、 F33に対し、 E1の死体が発見されなければ保険金を取得できないのかどうか問い合わせをし、 F33から、死体が発見されなければ保険金は支払われない旨の回答を得た。また被告人は、そのころ、G弁護士に対し、 E1の死体が発見されていないが、早く保険金を取得する方法がないかという問い合わせをし、同弁護士から、早期に保険金を入手するには、警察の証明に基づく認定死亡の方法しかないであろうと言われたので、同弁護士に、函館の警察へ行って、認定死亡の方法が可能であるか否か調査するように依頼した。被告人は、五月上旬、同弁護士から、調査の結果認定死亡となるのは困難である旨の回答を得た。
その後の七月一日、 E1の死体が北海道上磯郡上磯町の海岸で発見されたため、被告人は、同月一四日、明治生命に対して保険金の支払方を請求し、同年八月二日、西武信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に保険金等合計四億〇〇六五万八一八〇円が振替入金された(前記一<2>の公訴事実参照)。
12 被告人は、四月中旬ころから八月上旬ころまでの間、少なくともKW商事振出の手形約四〇通(額面合計約二億円)及び J3設計事務所振出の手形二通(額面合計七〇〇万円)を、Aに渡した。被告人は、これらの手形のうちの一部については、約束手形帳控にAのことを山本という偽名で表示している。また、他の手形は受取人欄を白地にして振り出している。
また、四月二二日に、 F17が、被告人に依頼されて、二〇〇万円を住友銀行築地支店のAの口座に振込送金した。そのほか、同月三〇日から八月上旬までの間、佐藤幸光、保坂一郎等の偽名で、合計三一五〇万円が、被告人からAの前記口座に振込送金されている。
これらの手形の交付や現金の送金に際し、Aから担保や借用証は取られていない。
他方、Aは、六月五日から八月一三日までの間に、 F14(A)名義、被告人名義等で、青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に合計四〇〇〇万円を振込送金し、また、六月二四日と七月九日に、それぞれ一〇〇万円を被告人に渡した。そのほか、同月二一日には、神奈川県厚木市内の東名飯店の駐車場で、被告人がKW商事振出の手形三通(額面合計三〇〇〇万円)をAに渡し、Aがこれを J2に渡して割り引き、その割引金の一部二〇〇〇万円を被告人がAから受け取るということもあった。
13 被告人は、五月下旬か六月上旬ころ、前記東名飯店で、 F17と共にAらと会った。このころ、Bは、札幌から上京しており、Aからの連絡で、この場にも同席した。被告人は、Bとはこの席が初対面であったが、Aらとの話が一段落した後、別テーブルにいたBを、Aから紹介された(このときの被告人とBらとの話の内容について、後記四8参照)。
14 Aは、被告人のNK石材に対する投資の回収問題についても被告人から解決を依頼されていたが、八月八日、NK石材社長の F18や同社の経営者の一人である F19を長崎から京王プラザホテルに連れて行き、被告人を同ホテルに呼び出して、それまでの被告人のNK石材に対する投資の回収について交渉した。 F18や F19は、Aらから強く迫られて、これまでの被告人のNK石材に対する投資の総額が六億円余にのぼることを承認するとともに、NK石材が被告人に対し額面合計三億円の手形を振り出して決済することで、被告人の右投資を清算することを約束させられた。そこで、被告人は、 F18らから、一〇月三〇日以降を支払期日とする額面三〇〇〇万円のもの八通、六〇〇〇万円のもの一通の額面合計三億円のNK石材振出の手形を受け取った。
15 被告人は、そのころ(ただし、前記八月八日の京王プラザホテルにおける会合の席上であったか、同月一一日の電話連絡の際であったかについては、争いがあるので、後記四9で更に検討する。)、Aに対し、同人に渡していた手形を回収するように依頼し、八月一三日、西武信用金庫東久留米支店から下ろした現金八〇〇〇万円を持参して、Aと待合わせをしていた前記東名飯店に行った。
同日、被告人とAは東名飯店で会い、被告人がAに現金八〇〇〇万円を渡し、Aは、被告人から振り出されていた手形のうちの一五通(額面合計一億〇三五〇万円)を、事前にあるいは当日 F10や J2らから回収して、被告人に返却したほか、被告人がNK石材に対して振り出していた手形七通(額面合計一六〇〇万円)を回収して被告人に渡した。その際、被告人は、Aに、額面二〇〇〇万円のもの一通(手形番号HA86997)、一〇〇〇万円のもの二通(手形番号HA86998、同86999)の合計三通の手形を渡した(なお、原判決は、これに引き続き、右三通の手形の移転や決済の状況についても説示しているが、これは、本件の争点と関係するところが大きいので、後記四9で検討する。)。
16 その後も昭和六一年暮ころまで、被告人からAに対し、四〇ないし五〇通くらい(額面合計三億円余)の手形が振り出されたが、被告人は、次第にAを避けるようになり、昭和六二年に入ってからは、Aに対して手形を振り出さなくなった。同年五月中旬、被告人とAは、G弁護士の仲介により東京のセンチュリーハイアットホテルで会い、G弁護士が立ち会って念書を作成するなどした。被告人は、間もなく、右念書に従い、Aに対して、SOが計画中の箱根宮城野のペンションへの出資を振出原因として手形五通(額面合計三五〇〇万円)を振り出した。
17 昭和六二年三月ころから、新聞等で、本件が保険金目的の殺人事件ではないかという疑惑が取りざたされ、その関係で、被告人の本件に対する関与も疑われているという趣旨の報道もなされるようになった。同年五ないし六月ころ、被告人は、妻の 甲2に指示して、KW商事の金銭出納帳(<押収番号略>)の三月二二日の欄にあったAを介した E1に対する貸付け(前記9)に関する記載を改ざんさせ、TS商事に対し一〇〇〇万円の立替金を支払ったという趣旨の内容の記載に改めさせたが、これも、本件に関する疑惑のため、捜査機関から金銭出納帳を調べられた場合を予想してのことであった。
以上1から18までの各事実は、関係証拠上も明らかであり、これらの点に関する原判決の事実認定は、(当裁判所において付加訂正等を加えた原判決の認定部分を除き、)首肯するに足りる。なお、原判決は、原判決書第二部第二・二「右一連の事実の中で、検察官と弁護人の主張が対立する点についての判断」の項で、本件当時、KW商事の経営はそれほど逼迫した状態にはなかった旨、及び被告人が F13やDらに対して前記7のような言動に及んだことはない旨の原審弁護人の主張ないし被告人の原審公判供述を採用しない旨説示しているが、原判決のこの説示も、その理由とする点を含め、当裁判所としても、おおむね是認することができる。
四 A、Dの供述の信用性
1 A、Dの供述の一般的信用性
Aは、原審で取り調べられた捜査段階の供述調書(昭和六二年八月一三日付け<引用部分略>、同月一四日付け、同年九月八日付け、同月一〇日付け、同月二二日付け各検察官調書<書証番号略>)及び原審公判での証言(第一六回から第二二回まで及び第六六回の各公判期日。なお、以下この判決理由第一部では、公判調書中の供述記載が証拠となる場合であっても、公判証言、公判供述などといい、また、裁判所ないし裁判官の尋問調書中の供述記載が証拠となる場合も、単に証言、供述などという。)で、被告人らとの間で E1を殺害してその生命保険金を手に入れる旨の共謀を遂げるに至った経緯や、その共謀の内容・状況、右共謀に基づき E1が現に殺害されるに至った経緯やその後の状況等について、詳細な供述をしている。
Dも、原審第四二回から第四六回までの各公判期日で、やはり被告人らとの間で、 E1を殺害してその生命保険金を手に入れる旨の共謀を遂げるようになった経緯や、その内容・状況等について、これまた詳細な証言をしている。
なるほど、A、Dは、本件各公訴事実上、被告人とは共犯者とされている者であり、また、原判決が「共犯者の供述の信用性については、自己の責任を他に転嫁したり軽減したりするおそれ、あるいは真犯人を隠すために他の者を犯人に仕立て上げるおそれなどのいわゆる『巻き込みの危険』があり、その評価を慎重にすべき」(<引用部分略>)であると指摘しているのも、もとよりそれ自体、当然であって、正当な説示である。そして、AもDも、本件で被告人の関与が認められるか否かにより、その刑事責任の程度に相当の相違が生じ得るし、殊に、本件に被告人が主導的な立場で関与したと認められればそれだけ自己の刑事責任は軽くなると期待できる立場にあると考えられるのであるから、その供述の信用性の評価には一層の慎重さが求められることもまた、原判決が指摘するとおりである。
しかしながら、以上の点について十分留意して慎重に検討しても、A、Dの各供述は、それ自体、内容が自然で、具体的であり、それぞれの立場の違いを反映して、微妙に供述が食い違ったり、不正確であったりする点などは認められるが(その内容については、必要に応じ、次項の2以下で触れる。)、被告人との間で E1殺害の共謀を遂げたことやその内容・状況、その共謀に基づいて現に E1が殺害されるに至った経緯等、その核心的部分については、相互に矛盾がなく、また、関係の証拠ともよく符合していることが明らかである。
のみならず、前記三で検討した本件の前提となる諸事実、なかんずく、A、D、被告人と E1との従前の関係、被告人が、かねて E1に対する多額の債権の回収に苦慮し、暴力団関係者等を相手に、 E1を殺害してその生命保険金を入手することを話題にしたこともあったこと、Aらが E1を連れて北海道に出発する直前、被告人が現金・手形を用意し、少なくともその一部が E1殺害のための費用に充てられていること、本件事件後被告人が、Aに対し、多数で高額の手形を交付し始めるようになったこと、被告人が、現に E1の生命保険金を取得した上、右取得後間がない時期に、右生命保険金の中から多額の資金を提供し、自己の負担によりAから手形を回収するなどしていること等の諸事実は、それ自体、本件生命保険の保険金受取名義人であるKW商事を経営する被告人が、 E1殺害に関与していることを推認させるに足りる事情であるということができ、また、これらは、被告人との間で E1殺害の共謀を遂げた旨のA、Dの各供述とよく符合し、その信用性を裏付けるに足りる事情でもあることが明らかである。そして、A、Dの供述により、本件 E1殺害にかかわる前記のような一連の事情が無理なく説明されているということもできる。
もっとも、原判決は、「被告人に E1殺害の意向を隠したまま、あるいは E1殺害について被告人の意向を十分確認しないままに、Aが E1を殺害すれば、それが生命保険金で苦境を打開できるという被告人の経済的な利益に合致することから被告人に恩義を売ることもでき、それによって被告人と抜き差しならない間柄となって関係を一層緊密なものとし、殺害の事前謀議が存しなかったのに、事後に被告人に真相を知らせるなどして、将来的に長期間にわたって被告人から多額の利益を引き出そうと考えたとしても不自然ではない」(<引用部分略>)と説示し、要するに、被告人との共謀を前提としなくとも、Aらの犯行の動機を理解することは可能であり、前記説示のような本件にかかわる諸事情も被告人とAらとの共謀の存在を格別推認させるに足りるものではなく、したがってこれらの事情が特段A、Dの供述の信用性を裏付ける関係にあるものでもないとの趣旨に帰すると解される説示をしている。しかし、関係各証拠を精査しても、原判決のこの想定を支持するに足りる事情があるとは認められない。現に、被告人自身、当審公判でも、本件 E1殺害当時から被告人が逮捕されるまでの一年三か月以上の期間、Aから、同人が E1を殺害した旨を告げられたことも、ほのめかされたこともなく、これを理由にして経済的な利益の供与を要求されたこともない旨、要するに原判決の想定とはおよそ合致しない供述をしていることに留意すべきである。
また、被告人は、当審公判で、Aらが、生命保険とは無関係に、 E1の財産目当てに同人を殺害したものと思うとの趣旨を供述し、弁護人も、控訴趣意書等において、原審におけると同旨の主張をして、これまた、 E1との共謀を前提としなくとも、Aらの犯行の動機を理解することが可能であり、前記説示のような本件にかかわる諸事情が特段A、Dの供述の信用性を裏付けるものでもないとの趣旨を主張している。しかし、関係各証拠を精査しても、被告人が供述するような想定を支持するに足りる事情があるともまた認められず、むしろ、後記4のように、Aらが保険金目的で本件犯行に及んだことをうかがわせるに足りる証拠が、A、Dの供述や被告人の自白を別にしても、多く存在するのである。また、 E1の経済的窮状やその負債の大きさ、さらには自己の財産だけではその担保とするにも不足するため、親族らからも多額の担保提供を仰いでいる E1の状況を熟知しているA(Aがこれらのことを熟知していたことは、関係証拠上明らかである。)が、その財産目当てにあえて E1を殺害したと考えること自体、まことに不合理であることも明らかであって、この想定もまた首肯するに足りないというほかはないのである。
さらに、捜査段階以来のA、Dの供述の経緯、また、殊にDの場合、同人は、当初行方を隠し、本件の原審係属中の平成元年一月になって逮捕されたこと等の事情に照らして検討しても、A、Dらの供述の経過は、自然なものと評価することができ、その経過の中に、格別不自然で、自己の刑事責任の軽減を図る余り、あえて右共謀の点等について虚偽を述べるに至ったことをうかがわせるような事情があるとも認めることはできない。
もっとも、原判決は、<引用部分略>大きく六項目に分け、各問題点ごとに詳細な検討を加え、Aの供述には「明らかに虚偽供述をしていると認められる点、虚偽だと断定できないにしても信用し難い点、不自然・不合理な点が多く、しかもそれらが被告人との間における E1殺害の共謀の形成、殺害費用の支払い、殺害報酬の支払いとされる点等、殺害共謀を推認させるべき中核的な部分について存在する。」(<引用部分略>)、「D供述についても、……虚偽あるいは信用し難い点がいくつもあり、被告人との間で E1殺害の共謀があったという供述の信用性については、疑問をいれざるを得ない」(<引用部分略>)と結論している。しかしながら、原判決が挙げる右六項目の問題点に即して改めて検討を加えても、原判決の右のような判断には到底首肯することができない。そこで、次項以下では、原判決の挙げる右六項目の順序に従い、当裁判所の判断を補足して説明することにする。
なお、A、Dについては、当審で改めて証人尋問を実施したほか、原判決後に作成されたAの平成四年一一月一七日付け、同月二三日付け、同月二五日付け、同月二九日付け、同年一二月一日付け、同月二日付け各検察官調書を証拠として取り調べたが、これらの信用性等については、後記10で補足して検討を加えることにする。したがって、後記9の項までにおいて、A、Dの各供述という場合、特に断わらない限りは、原審で取り調べた同人らの前記各供述(Aの捜査段階供述及び原審公判証言並びにDの原審公判証言)を指す趣旨であることを、念のため付言しておく。
2 被告人が当初Dに対して E1殺害を依頼したという供述について
(一) Dの供述
原判決が、<引用部分略>摘示しているとおり、Dは、原審公判で、「二月末から三月初めころ(二月二〇日過ぎから三月一〇日ころまでの中間ころとも言う。)、 F5の用(NK石材の件)のため一人でKW商事を訪ねた際、被告人から、 E1に二〇億円貸しているが、にっちもさっちも行かなくなった、どうにかならないか、いなくなればいいなどと言われた。いなくなってほしい、是非とも頼むという感じだった。『保険金はすぐばれるからやめた方がいい。』と何回も言ったが、どうしてもと言うので、『地元の不良にやってもらったらどうですか。』と言うと、被告人は、『地元じゃすぐばれるからまずいんだ。』という言い方をした。殺害報酬の話は、そのときは出ていない。一億円という話はあったかも分からない。一億円の話については、昭和六〇年の秋口に私と F5が被告人と話した際、 F5の口から出ていた(注。前記三7参照)。二月末から三月初めの話の際、だれかやってくれれば一億円出すという話をしていた。どうしても断わりきれなくなって、知り合いがいたら聞いておいてあげるというようなことを言ったと思う。三〇分くらいの話だったが、被告人の話には気迫が伝わってきた。冗談で言ってるんじゃないなと思った。」などと供述している。
(二) Dの前記(一)の供述の信用性
Dのこの供述は、その内容も、具体的・自然で、他の関係証拠により認められる当時の客観的状況に照らしても無理がなく、その信用性に疑いをいれる点があるとは認められない。
ところが、原判決は、当時、被告人が E1からの債権の回収等に苦慮し、同人に対する悪感情を募らせていたなどの事情があったことは認めつつ、「前年(昭和六〇年)の一〇月か一二月ころには、被告人はいったんは F5の E1殺害を引き受けるという話を断わっているのである。昭和六〇年一〇月か一二月から(昭和六一年)二月か三月までに、前記のとおり被告人の E1に対する心情を変化させる事情があったにせよ、いわゆる堅気の被告人が、わずか数か月の間に、自ら E1殺害による保険金騙取を考え出したとするのはいかにも唐突な感が否めない。したがって、被告人が E1殺害を依頼したとまで認められるか、疑問が残る。」(<引用部分略>)と説示している。
しかし、被告人は、昭和六〇年一〇月か一二月ころ、 E1からの債権の回収に苦慮し、同人の態度に憤りの気持ちを募らせた挙げ句、関係が深かった暴力団関係者の F5、Dを相手に、 E1を殺害して保険金を手に入れるということを話題にしたことなどもあったこと、被告人は、その際には、報酬一億円で E1の殺害を引き受けるという F5の申出をいったん断わったのではあるが、その後、 E1の不履行債務は更に増加し、KW商事の経営状態も更に悪化して、被告人が E1に対する憤りを一層募らせていたこと等の、関係証拠上明らかな諸事情に照らすと、二月末か三月初めの時期に被告人がDの供述するような言動に及んだとしても、これをもって原判決がいうように「いかにも唐突」などと評価するのは当たらない。
また、原判決は、「Dは、その後、DがAとKW商事に行き、本当に E1を殺害すれば報酬を出すのかと被告人に意思確認をした際、……当初被告人はこれ(E1の殺害)を断わる姿勢を見せた趣旨の、被告人が殺害依頼をしたことと矛盾するようにも理解できる供述もしている。」(<引用部分略>)とも指摘している。しかし、被告人が、Dに対してその供述するような言い方で E1の殺害を依頼したとしても、事柄の性質にも照らすと、Dが後日 E1殺害の実行者としてAを連れてきた際には、同人が当時Dほど被告人と関係が深くなかったことなどもあって、被告人が当初殺害の実行を躊躇し、Aの申出を断わるような言動をしたとしても、何ら異とするには足りないのであって、この点を取り上げて、Dの供述に矛盾があるかのようにいう原判決の評価もまた失当というほかない。
このように、原判決が前記(一)のDの供述の信用性に疑いをいれる余地があるとして指摘する点はいずれも理由がないと認められる。結局、Dの前記(一)の供述には、その信用性に特段疑いをいれる点のないことが明らかである。
3 E1殺害の相談がまとまっていった経緯、状況に関する供述について
(一) A、Dの各供述
(1) Aの供述
原判決が<引用部分略>摘示しているとおり、Aは、捜査段階で、二月二一日ころ、Dから、KW商事がある人に保険金三億円を掛けており、その者を殺せば一億円くらいもらえるという話を聞いたこと、その後、この保険金を掛けられているのが E1という者であることも聞いたこと、三月初めころ、神奈川県座間市のクラブ「○○」で、被告人らと酒を飲んだ際、被告人に対し、 E1の殺害について打診したこと、三月二〇日ころ、Dに対し、 E1をやれば(注。殺害したら、の意であることが明らかである。以下同様)本当に一億円をくれるのか、その支払いはどうなるか、確認するように指示したこと、同月二五日か二六日ころ、Dから、やってくれたら、間違いなく一億円を払うが、現金は一〇〇〇万円か二〇〇〇万円くらいしか出ない、保険金が下りるまで五〇〇〇万円か六〇〇〇万円くらい手形で切り、後は保険金が下りたときに現金をくれるという話だったという報告を聞いたこと、その日、Dと共にKW商事に行って被告人に会い、 E1をやったら本当に一億円出してくれることに間違いないかと念を押したところ、被告人は間違いないと答えたこと等の各事実について、詳細な供述をしている。また、原判決も前記箇所で指摘するとおり、Aは、原審公判でも、日時の点等を含め、微妙な点で右捜査段階供述と異なる部分もあるが、基本的にこれと同旨の供述をしている。
(2) Dの供述
原判決が<引用部分略>摘示しているとおり、Dは、原審第四二回公判で、被告人から E1殺害の依頼を受けた翌日、Aにその話をしたら、Aは、しばらく考えてから、先走りみたいな感じで興奮して、それをやらしてくれなどと言ったこと、二、三日後、Aから、報酬の件もちゃんと決めてきてくれなどと言われ、その翌日ころKW商事に行き、Aがやると言っているが、報酬を出してくれるかと被告人に尋ねたところ、被告人は、最初渋っていたが、一億円を出すと答えたこと、その日Aに報告すると、Aが直接自分で行くと言うので、翌日、Aと二人でKW商事に行って、被告人に会ったこと、その際、Aが、あの話やらせてくれと言うと、被告人は、最初「とんでもない。だめです。」などと言って断わっていたが、そのうち、「じゃやってもらいましょう。ばれても自分の名前は絶対に出さないでくれ。」と言って了承したこと、被告人は、報酬として一億円を出すことも了解したが、「今現金がないから、手形で出す。その手形は使った本人が全部処理することにし、保険金が下りたら清算することにしよう。」ということを言っていたこと等の各事実について、やはり詳細な供述をしている。また、原判決が右箇所で指摘しているように、Dは、右第四二回公判期日の後も、第四三回公判期日から第四六回期日まで、引き続き証人として本件について供述しているが、その際には、前記のような出来事があったという時期について、より幅のある供述をし、「最初被告人から E1殺害の話があってから、被告人、A、私の三人の間で話を決めるまで、二週間くらいの間があった。」、「Aを連れて殺しの話を固めに行ったのは一回だけではなく、南千住の仕事の合間にそういう話も出ている。最終的に固まったのが三月一四、一五日ころだった。」などと供述している。
(二) A、Dの前記(一)の各供述の信用性
(1) A、Dの前記(一)の各供述は、確かに、A、Dと被告人との間に E1殺害の合意が成立していった経緯について、その時期や、特に、Dが被告人の話を伝えた際のAの対応の仕方、右合意成立に至る間における各関係者のやり取りの内容等、微妙な点で相違する点などもあることが認められる。しかし、A、Dと被告人との間で、 E1殺害の合意が成立していったという経緯に関する基本的な部分については、その内容もおおむねよく符合し、関係の証拠に照らしても無理がなく、その信用性に疑いをいれるような事情があるとは認められない。すなわち、A、Dの供述は、二月下旬か三月上旬ころ、Dが、被告人の E1殺害の依頼話(前記2)をAに伝えたこと、Aは、それを聞いて、 E1殺害を引き受けることを考え、Dに対し、被告人に会って報酬支払意思を確認するように指示したこと、Dは、これを受けて被告人に会い、被告人から、 E1を殺害すれば間違いなく報酬を支払う旨の確認を受けたこと、そのころ、被告人、A、Dは、三人で会うなどした際、 E1の殺害を話題にしたことなどもあったが、同月二五日か二六日ころ(この時期については、Aの供述が関係各証拠ともよく符合しており、採用するに足りる。)、KW商事において三人で会った際、 E1殺害の実行及び報酬の支払いについて、最終的に確認をするに至ったこと等のその基本的な供述部分において、十分信用するに足りる。
ところが、原判決は、種々の理由を挙げて、A、Dの右(一)の供述についても、その信用性に疑問がある旨説示しているが、その指摘にはいずれも首肯することができない。次項以下に、その理由を補足して説明する。
(2) E1殺害に関する相談がまとまっていった経緯やその状況等について
原判決は、右の点に関するA、Dの供述には、相互にも、またその供述自体の中でも矛盾する点や、関係証拠とも符合しない点があって、信用性に疑問があるという。原判決が指摘する箇所のうち、主なものを挙げると、例えば、原判決は、<1>「Dは、被告人から E1殺害の依頼話を聞き、間もなくAに伝えたところ、Aは自分が引き受けると言ったと供述している。すなわち、Aは、三月一〇日より前に、Dに対し、本件を引き受けると話したことになる。ところが、Dは、他方で、Aは三月一〇日に(南千住の物件の件で)被告人から二五〇〇万円を受け取ったので、 E1殺害を引き受ける気になったと思うとも供述している。したがって、Dの話を聞いたAがこれを引き受ける旨の返事をしたという時期について、Dの供述は動揺している。」(<引用部分略>)、<2>「A供述によると、Aは、Dから話を聞いて一方的に E1殺害を決め、それをDに伝えないまま、突然 E1殺害の件についてきちんと話を決めてくるように話したということになるが、これはいかにも不自然であろう。」(<引用部分略>)、<3>「Dは、三月中旬に E1殺害の共謀が成立していたと供述するが、三月二三日にAとBが大阪へ行った際に、AがBに対して、 E1を殺害することになったら手伝ってほしいという、 E1殺害を決めていないことを前提にした話をしたというのである(前記三10(一)参照)から、右D供述は虚偽であり信用できない。」(<引用部分略>)、<4>「Aは、公判で、『三月一八日に、(F7の立退き関係の話を被告人としていた際)被告人から、 E1の件もやってもらえるかいというふうな話が出て、やると返事した。』などと供述している。しかし、Aの供述によると、AがDに対し E1殺害を承諾する返事をした(AがDに E1殺害の依頼を承諾する旨返事したのは、結局、Dに対し殺害報酬の件等について、被告人と話をきちんとつめてくるように指示した時点であるということになる。)のは、三月一八日より後であって、それより前、すなわち、AがDに E1殺害依頼を承諾する返事をする前の三月一八日の時点で、被告人が既にDからAが承諾した旨の返事をもらったことを前提とした話をすることは理解し難い。」(<引用部分略>)、<5>「Dの言う E1殺害の合意が成立したという日とAが言うそれとの間に、三月二二日に被告人がAに一〇〇〇万円を渡して貸主をAであるとして偽装した貸付けが行われており(前記三9参照)、この印象深い出来事との前後関係でも、AとDの供述は大きな食い違いを示している。」(<引用部分略>)、<6>「Dは、被告人、A、Dの三者で E1殺害の合意ができるまで、Aと複数回KW商事を訪れ、Aが被告人を何度も説得している趣旨の供述をしている。一方、Aは、Dと二人でKW商事に行き、被告人も含めて E1殺害の話をした、一度だけの話合いで殺害が決まったなどとし、またその際D供述のような被告人がAの申出を断わった事実が認められない内容の供述をしている。このように、合意成立時の状況についても、AとDの供述はかなり食い違っているといわざるを得ない。」(<引用部分略>)などの趣旨を説示している。
しかしながら、A、Dの各供述は、被告人から E1殺害依頼の話を受けたDが、これをAに伝え、事柄の性質にも照らし、三者間で、それぞれの思惑も交え、ある程度の期間をかけ、殺害報酬やその支払方法の確認等を含め、その話を次第に具体化して、最終的な合意の成立に至っていった過程を、それぞれの立場から供述しているものとして、十分理解することができるのであって、各供述の間に見受けられる食い違い等も、その全体の信用性に影響を与えるような意味をもつものではないと認めるのが相当である。また、被告人の話を本件の実行者のAに伝えた立場にあるDとしては、Aが比較的早期の段階で、右殺害実行を引き受けたものと理解して、その趣旨を供述している一方、Aとしては、殺害実行の意思をより具体的、確定的に固めた、もっと後の時期に殺害を引き受けたという趣旨を供述しているとしても、本件におけるD、A両名の立場に照らせば、これまた特に異とするには足りないのであって、その結果各供述の間に食い違いと見える点が現れることになっても、特に不自然とか不合理であると評するのは相当ではない。また、当時、AとDは、他の用件もあって、かなり頻繁にKW商事を訪れているのであるから、前記のようにして三者の間に E1殺害の合意が最終的に成立するに至るまでには、三者間で種々の形でこの E1殺害の話が話題にのぼることもあり、このような過程を経て、その合意が次第に形成されていったという趣旨に帰すると思われるDの供述(殊に第四五回公判期日における供述)が、特に自然な内容のものとして、首肯するに足りる。原判決は、この点、Aの供述は、Dの供述と相反すると指摘する(<6>)が、Aは、必ずしも、原判決が要約するように、A、D、被告人の三者で E1殺害の話をした機会が一度だけである旨を供述しているのではなく、かえって、三月一八日KW商事を訪ねた際(このとき、Dも同席していたことは、関係証拠上も明らかである。)、 E1殺害の話が出たとも述べているのである。このように考察すると、原判決が指摘する前記の諸点は、いずれもA、Dの各供述の信用性に何ら影響を及ぼすような性質のものでないことが明らかというべきである。
すなわち、原判決指摘の前記<3>から<5>までについては、以上に説明したとおりである。<1>について更に付言すると、原判決によるDの供述の要約自体、必ずしも正確でないことは、所論が指摘するとおりであると認められる(<引用部分略>)が、いずれにしても、原判決指摘のDの供述部分も、被告人による E1殺害の依頼話をDから聞いてその実行を考えたAが、その後の三月一〇日に被告人から約束どおり南千住の物件の件で二五〇〇万円を支払われて、被告人を信用できると考え、右殺害実行の意思を一層固めていった過程を供述するものとして、何ら不自然ではない。<2>については、Aが、Dに対し、被告人に会ってきちんと話を決めてくるようにと指示した時点で、右指示と同時に E1殺害の引受けの返事をするということは当然あり得るし、Aとしては、自己の右指示をまさにそのような意味をもつものと理解してその趣旨を供述していると解されるのであるから、これまた何ら不自然ではない(現に原判決自体、前記<4>の説示をするに当たっては、Aの供述を右の趣旨に理解することを当然の前提としている。)のであって、原判決の指摘は、特段の考慮に値しない。<6>のうち、A、Dと被告人との話合いの回数に関する原判決の指摘については、既に説示したとおりである。なお、D供述によると、被告人が E1殺害の依頼をした後も、実際にAに対して殺害の実行を委ねる話をする段になって、その実行を躊躇するような言動をしたとされるのに対し、Aは特段そのようなことについて供述していないことは原判決が指摘するとおりである。しかし、Aは、被告人がDの供述するような言動をしたことを特に否定しているものではなく、単にこのようなことがあった旨を供述していないにすぎない。また、この点について、両者の供述に食い違いがあるとみるにしても、この食い違いが、 E1殺害の合意の形成に関するA、Dの各供述の基本的部分の信用性に特段の影響を及ぼすほどの重要性をもつとは到底認められない。なお、Dが供述するように、被告人が E1殺害を自ら言い出した後に、Aによる実行をいったん躊躇するような言動をしたとしても、この点を特段不自然とみるには当たらないことは、前記2(二)で説示したとおりである。
(3) クラブ「○○」での打診について
前記(2)とも関連する点であるが、原判決は、「Aは、三月初めころ、『○○』で被告人やDらと飲酒した際に、 E1殺害について打診する話をしたと供述する(前記(一)(1)参照)が、Dは、そのような事実は知らない旨供述している。同一テーブルにDがいる席での話であり、しかも極めて特異な内容の話であるから、Dがこれを聞いていないということは、Aが被告人に打診した事実が存在しないのではないかという疑いを生じさせる。Dがこれを体験していれば、当然供述しているものと考えられる(被告人も、自白調書において記憶にない旨供述している。)。したがって、Aの右供述は信用し難い。」などと説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、前記(2)でも検討したように、本件当時、被告人、D、Aの間で、 E1殺害の話が次第に具体化し、最終的な合意に至っていく過程にあったというA、Dの各供述の全体の趣旨にもかんがみ、また、その他の関係各証拠にも照らして検討すると、「○○」での打診に関するAの供述も十分首肯するに足りるのであって、原判決が指摘するような疑問をいれる余地はなく、まして、この供述が信用できないとまでいう原判決の評価は誤りであるというほかない。
付言すると、前記のとおり、原判決は、DがAの供述するような話を聞いていない旨供述している点を重視しているが、Aの供述によっても、この際の話というのは、席のそばには歌を歌う場所もある酒席の場においてごく短時間、それとない調子で話されたにすぎないというのであるし、Dが常にAのそばにいて同人の話を聞いていたとも考えられないから、DがAの供述するような話を聞かなかったとしても、原判決のように、不自然であるというのは当たらない。また、原判決は、被告人も自白調書でこの「○○」における話について記憶がない旨供述していると要約しているが、この要約が不正確であることは、所論が指摘するとおりである(<引用部分略>)。
(4) 三月二二日の E1に対する一〇〇〇万円の貸付けについて
三月二二日に被告人、A及びDが E1方を訪れ、被告人がT商で借りた七〇〇〇万円のうちの一〇〇〇万円を、Aが貸主であるという形をとって、 E1に貸し付けたことは、前記三9のとおりである。
この貸付けについて、Aは、「被告人がそんなおかしなまねをするのは、私が既にDを通じて E1殺しの件を引き受ける旨伝えてあったので、被告人としては、このようにひと芝居うって、私と E1を引き合わせるのだと思った。」<書証番号略>などと、Dは、「被告人が、Aに対して、横浜の金融業者になってくれと話していた。それで一〇〇〇万円貸してやってくれ、それが顔つなぎ、顔見せになると言っていた。」(第四二回公判)などと、それぞれ供述し、要するに、 E1殺害の合意が形成されつつあった過程の中で、この貸付けが、これまで面識のなかったAと E1とを結び付けるという重要な意味をもつ出来事であったという趣旨を述べている。
A、Dの右各供述部分も、 E1殺害の合意の形成に関するA、D両名の供述全体の趣旨にかんがみ、また、関係証拠によって認められる当時の客観的状況に照らしても、自然で無理がない内容と評することができ、その信用性に疑問をいれる点があるとは認められない。
原判決は、A、Dの前記各供述部分の信用性に疑問がある旨、種々指摘をしているが、いずれも首肯することができない。
例えば、原判決は、Dの供述について、この貸付けより前に E1殺害の共謀が成立していたというDの供述は虚偽であると説示しているが、原判決のこの判断が失当であることは、既に前記(2)で説示したとおりである。
また、原判決は、この点に関するAの供述についても種々の指摘をしている。既に前記(2)で判断を示してある点を除き、主なものについて検討すると、例えば、原判決は、<1>「三月二〇日ころには、被告人が J1に対して、 E1に一〇〇〇万円を融資してくれる人物が決まった旨連絡していることが認められるので、そのころには被告人がAに対して E1への一〇〇〇万円の融資を依頼していたものと認められるのに、Aがあえて、三月二二日のその日になって決まったと言い、しかもその日の行動として、証拠上、池袋のT商を出てから所沢市にある E1方へ直行したことが明らかであるのに、T商を出てからKW商事へ行き、そこで E1への貸付けの話が出たので了承し、 E1方へ行った、……などと細部にわたってまことしやかに供述しているのは、顔合わせであることを何とかして印象づけるためにあえて虚偽の供述をしたものと思われる。」(<引用部分略>)、<2>「Aは、三月二二日、T商を出た後、T商の紹介料を被告人がくれると思ったから、被告人についてKW商事に行ったが、被告人は紹介料をくれなかったと供述している。しかし、金銭出納帳(<押収番号略>)の三月二二日の欄には、科目『紹介料』、摘要『借入紹介料GE商事(株)』として、一四〇万円と一三〇万円の出金が記載されているところ、一四〇万円はGE商事に渡すべき紹介料として J5に渡されていることが明らかであり、この件についてもう一か所の紹介料ということになればAと考えざるを得ないから、右一三〇万円の紹介料は、Aに渡された紹介料であり、この分までGE商事に渡したものと誤記されたものと認められる。したがって、この点についてのAの供述も虚偽であり信用できない。」(<引用部分略>)、<3>「A供述のとおりであれば、被告人とAの間で E1殺害の合意が成立していない状況下で、Aに E1殺害を依頼できるのではないかというそれなりの見通しのもとに、被告人がAを E1に引き合わせたことになるが、そもそも実際に殺害を実行する人物や殺害方法も分からないのに、Aを E1に引き合わせる必要があったのか疑問であるし、 E1殺害を引き受けてくれるかどうかがAに直接確認できていないまま、 E1殺害を前提とするような顔合わせをすること自体が不自然であろう。」(<引用部分略>)などと指摘している。
しかし、右<1>については、確かに被告人は、三月二〇日ころまでには、Aを貸主として E1に一〇〇〇万円を貸し付けることを計画するに至っていたことは関係証拠上優に認められるが、被告人がAにその話をしたのは三月二二日の当日であった可能性を否定することはできないと認められ、したがって、Aのその趣旨の供述を虚偽であると断定するのは相当ではない。なるほど、Dも、三月二二日より前に被告人がAに右貸付けの話をしていたと供述しているなどの事情は認められるが、他方、Aが、三月二二日、 E1方に赴く途中、同人方に持っていく現金を入れるためのかばんを急遽購入していることや、金融業を営み、借用証等を用意することはもとより容易であったAが、右 E1に対する貸付けに当たっては、平素使っている借用証等の用紙を持参せず、当日T商で入手した用紙を使っていること等、Aが三月二二日の当日 E1方に赴くことを急遽依頼された旨のAの供述を裏付ける事情も認められるのであって、この点のAの供述を虚偽と断定する原判決の判断には直ちに首肯し難いものがある。弁護人は、当審における弁論で、Aのようなやくざ者の場合、あらかじめ予定がありながら、かばんや借用証を用意してこなかったとしても、異とするに足りないなどとも主張するが、直ちに首肯し難い。なお、AらがT商を出てから E1方に赴くまでの間に、いったんKW商事に立ち寄った旨のAの供述は、確かに関係証拠に照らし、採用することができず、同人らは、T商から E1方に直行したと認めるのが相当である。しかし、当時種々の機会にKW商事に立ち寄ることが多かったAとしては、この点の記憶が必ずしも正確でなかったことが十分考えられるから、この点をとらえて、原判決のように、Aが本件貸付けが顔合わせであることを印象づけるため虚偽の供述をしているとまで評するのは短絡にすぎるというほかない。
<2>については、T商への紹介料一三〇万円がAに支払われているから、紹介料をもらえなかったというA供述が虚偽である旨の原判決の認定は、その前提に首肯し難い点がある。原判決は、前記のとおり、金銭出納帳(<押収番号略>)の記載をその認定の根拠としているが、右金銭出納帳の記載内容は、GE商事に一四〇万円と一三〇万円の各紹介料が支払われたというものであって、Aに支払われたというものでないことは、原判決も認めているとおりである。そして、Aは右紹介料の支払いを受けたことを否定している上、T商における七〇〇〇万円の貸付けの場に同席していた J5も、「 F14(A)は、被告人に、『私はいいですから、GEの社長にだけ二分渡して下さい。』という内容の話をして、私に融資の仲介手数料を渡すよう言った。これを聞いた被告人は、私に一四〇万円の仲介手数料を渡してくれた。本来であれば F14(A)も仲介者として二分ないし三分の手数料をもらうことができるのだが、 F14(A)はこのとき手数料の要求をしなかった。仲介手数料は通常の場合、お金の受渡しの段階でやり取りされるので、私は、この日の F14(A)と被告人のやり取りなどを聞いて、一層二人の関係が親密なのだと思った。」などと、Aはこのとき手数料を受け取っていない旨、Aの供述に沿う内容の詳細、具体的な供述をしており、(<書証番号略>)、この信用性に疑問をいれる余地があるとは認められない。もっとも、被告人は、原審公判において、三月二二日T商でAに右紹介料を支払ったと供述しているが、右 J5の供述等に照らしても、信用し難い。なお、被告人の昭和六二年八月一日付け検察官調書には、Aが取ったかDが取ったかはっきりしないが、T商で紹介料一三〇万円を支払った旨の記載もあるが、その内容はかなり不明確なものにとどまっており、直ちに原判決の認定の根拠とするには足りない。また、前記金銭出納帳の記載内容については、そもそも、Aに紹介料を支払った旨の記載があるわけでもないことは前記のとおりであり、また、右金銭出納帳には後日その科目や支払先の記載を改ざんされた部分もあるなど、その正確性に疑問をいれる余地があることも、所論が指摘するとおりである。いずれにせよ、原判決の推論をもって唯一考えられる場合であるとして扱い、これを当然の前提とすることは許されないというべきである。
<3>については、Aは、三月二二日当時は、被告人、Dとの間における E1殺害の話が、かなり進行していたという趣旨を供述しているものということができ、殺害の最終的合意にまでは至っていなくても、この時期に、被告人がAを E1に引き合わせようとしたとするその供述に、何ら不自然な点はない。また、実際に殺害の手を下す人物が決まっていなくとも、Aが実行を引き受ける以上は、Aの指示のもとで実行が行われるのは当然の前提であるし、具体的殺害方法も、Aの側で決めればよいことなのであるから、原判決がいう、実際に殺害を実行する人物や殺害方法が分からなかったことなどは、この時期にいわゆる顔合わせが行われたとするA供述の信用性を何ら左右するものではなく、原判決のこの指摘も失当である。
ところで、被告人は、原審、当審公判で、本件貸付けが、A、Dの述べるような顔合わせの趣旨で行われたことを否定し、この貸付けは、 E1に対する一〇〇〇万円の債権を確実に回収する手段として、Aに依頼し、Aが新たに貸し付けるという形をとって、行ったものであると供述している。すなわち、被告人は、本件貸付けの機会に前記の一〇〇〇万円の手形を回収したし、新たに貸し付けた一〇〇〇万円については、暴力団員のAであれば、自分よりも効果的に回収できるであろうと考えた、というのである。そして、原判決は、被告人のこの供述も、それなりに納得できると説示している(<引用部分略>)。しかし、被告人が、当時 E1に対して有していた極めて多額の債権の中で、特に本件の一〇〇〇万円について、Aに回収を依頼する特段の必要性があったとも認められず、また、Aが、この一〇〇〇万円の回収について特段努力した形跡もうかがわれないこと等にも照らすと、被告人の前記原審、当審公判供述は、甚だ不自然であるというほかない。なお、被告人は、本件一〇〇〇万円の支出に関する金銭出納帳(<押収番号略>)の記載を改ざんする(前記三18)など、 E1に対するこの一〇〇〇万円の貸付けについて、強いこだわりを示していること等の事情も看過できない。結局、被告人の右原審・当審公判供述部分は、前記A、Dの各供述とも対比して、信用性が低いと評価するのが相当であり、原判決の右説示も失当である。
(5) E1殺害の相談がまとまった日に関するAの供述の変遷について
Aは、捜査段階では、前記(一)(1)のとおり、右殺害の相談がまとまった日を三月二五日か二六日ころであると供述していたのに、原審公判では、三月二八日か二九日ころであると供述を変更している。しかし、Aが右供述変更の理由として述べる点が、およそ信用できないことは、原判決が<引用部分略>の部分で説示しているところ等に照らしても、明らかといわなければならない。そもそも、Aが捜査段階で供述する三月二五日か二六日ころと、公判で供述する三月二八日か二九日ころとの間に、Bが北海道へ帰っているのであるが、Aは、原審で当初併合審理を受けたBが、本件殺人は認めつつ、保険金の詐欺幇助については否認し、 E1に生命保険が掛けられていることは知らなかったと主張していたのに符節を合わせ、この点について、従来の捜査段階の供述を、右Bの主張に符合する内容に変更する傾向が顕著であり、右相談がまとまった時期に関する供述の変更も、その一環を成すものと十分推認することができる。
したがって、この点については、Aの捜査段階の供述の方に、特信性はもとより、信用性があると認めるのが相当である。原判決は、「三月二八日か二九日ころに被告人、A、Dの間で E1殺害の合意が成立したというAの公判供述にはもとより信用性がないが、Aの捜査段階の供述についても、そもそも、A供述は、捜査段階から虚偽が多いのであるから、一概に検察官調書は信用性があるともいい難い」と説示している(<引用部分略>)が、この説示もまた首肯することができない。
(6) 以上の次第であるから、前記(一)(1)、(2)の、DがAに E1殺害の話を持ち掛けて、Aがこれを引き受け、その後、被告人、A、Dの間で E1殺害の相談がまとまった状況を述べる、A、Dの各供述部分について、詳細に検討しても、これらの供述の基本的な信用性を疑わせるに足りるような事情があるとは認められない。
4 Bとの共謀に関する供述について
原判決は、A、D供述の信用性を検討するに当たって、「Bとの共謀に関する供述」という一項目を設け、その検討の結果を、「Bの配下の組員である F23は、Bが三月二七日に、 F23と共に札幌に帰る自動車内で、Aからの話として F23に E1殺害の話をしたが、その中で、 E1には生命保険が掛けてあって、Bにも三〇〇〇万円の報酬が出ることまで話している旨供述している。したがって、Bは当時既に E1殺害が生命保険金にからむものであることを知っていたのではないかと思われる。Bがかかる事情を知り得るのは、Aからの話以外あり得ない。ただし、生命保険金のからみで E1を殺害するという話は、被告人との共謀がなくても、十分あり得ることであるから、この事実のみで、Aと被告人の間に E1殺害の共謀が成立したといえないことは明らかである」と説示している(<引用部分略>)。
原判決のこの説示のうち、Bが、三月二七日ころ、Aから、生命保険金を取得する目的で E1を殺害する旨の話を既に告げられていたとうかがわれるとする前半の説示は、正当である。また、そうであるからといって、この事実のみで、Aと被告人との間に E1殺害の共謀が成立していたと当然に認定できるものでもない旨の後半の説示も、もとよりそれ自体は誤りではない。しかし、Bが三月二七日当時、Aから、保険金目的で E1を殺害する旨告げられていたという事実は、確かにそれだけからA、被告人間の共謀の事実を推認させるには足りないとしても、被告人とAらとの間における E1殺害の共謀が成立していった状況を述べるA、Dの供述と符合するものであり、その信用性を裏付ける一つの重要な事情であることもまた、否定することができない。しかしながら、原判決は、前記のとおり説示するのみで、右の事実がA、D供述の信用性評価の上で占めるべき、この意味での重要性には何ら触れる点がない。そうすると、原判決の右後半の説示は、もとよりそれ自体が誤りでないことは前記のとおりであるが、本件の事実認定上右事実がもつ意味を、正当に評価していないうらみを残していることもまた否定し難いといわざるを得ない。
5 殺害費用の支払い等に関する供述について
(一) A、Dの各供述
(1) Aの供述
原判決が<引用部分略>要約摘示しているとおり、Aは、捜査段階及び原審公判で、四月七日に、被告人から E1を北海道に連れ出して殺害する費用を支払ってもらったとし、その関連の事項を含め、詳細な供述をしている。その概要は、「四月二日か三日ころ、 E1がまた金を借りたいと言っているので、同人依頼の一〇〇〇万円の手形を割ってやってほしいと被告人が言ってきている旨、Dから話があり、四月五日にDと E1方を訪ね、三〇〇万円を貸した。その際、 E1に対し、札幌行きを誘った。その帰りにKW商事に寄り、被告人に対し、 E1を札幌に誘ったことなどについて報告した。四月六日、 E1から、四月八日の午後三時過ぎなら札幌に行けるという返事があった。そこで、私は、北海道行き(E1殺害)の費用として被告人に一〇〇〇万円くらいを要求し、 E1に貸した三〇〇万円の立替え分も返してもらおうと思い、Dに対し、その旨被告人に連絡するように依頼した。四月六日の夕方ころ、Dから報告があり、明七日の夕方、手形で一〇〇〇万円、現金で五〇〇万円を渡すことを被告人が了承しているということであった。私は、 J5の自宅に電話し、手形の割引を依頼したところ、 J5は、三〇〇万円二通なら何とかしよう、もう一か所を紹介すると言っていた。そこで、私は、Dに対し、手形の額面は、三〇〇万円二通、四〇〇万円一通にするよう、被告人に連絡するよう依頼し、その日のうちに、そのように決まったとDから報告を受けた。四月七日の夕方、DとKW商事に行き、被告人から、五〇〇万円の現金と三〇〇万円の手形二通、四〇〇万円の手形一通を受け取った。その際、被告人が高島易断の暦を見て、 E1の一番運の悪い日を占ったり、相性占いをしたりした。Dの話では、現金五〇〇万円のうちの三〇〇万円は四月五日に E1に貸したものの立替え分の返済、二〇〇万円は、三月二二日のT商の紹介料ということだった。それで、私は、現金のうち一〇〇万円と、四〇〇万円の手形をDに渡した。KW商事から帰ると、大和グランドホテルでBに会って三〇〇万円の手形二通を見せた。その際、 J5に割引を確認する電話をした。翌八日、GE商事とAEで右三〇〇万円の手形を一通ずつを割引した。」などというものである。
(2) Dの供述
Dも、原判決が<引用部分略>要約摘示するとおり、四月七日にKW商事でAが被告人から E1殺害の費用の支払いを受けたことや、これに関連する諸事情について、原審公判で、やはり詳細な供述をしている。その概要は、「四月五日、Aに言われて E1方に行った。 E1方で、Aが E1に三〇〇万円を貸しているのを見た。その際、Aが、札幌の地図を出し、 E1に北海道行きの話をしていた。 E1は乗り気で、北海道行きについては後で連絡すると言っていた。帰りにKW商事に寄り、Aが被告人に報告していた。四月七日、AがKW商事に行ってくれと言うので、同人と一緒にKW商事に行った。着いたのは、夕方、ちょっと暗くなったころだった。KW商事の社長室で、Aが被告人から現金と手形を受け取った。その際、被告人が、高島易断の暦を使って、 E1の運勢の悪い日や相性を占った。帰りの車中で、このときAが受け取ったのが、現金五〇〇万円と手形額面合計一〇〇〇万円であることを知った。Aは、現金五〇〇万円は E1を北海道に連れていく費用で、手形の一〇〇〇万円は仕事のからみか何かという話をしていた。仕事とは北海道の地上げの件である。KW商事から帰って、大和グランドホテルに行き、Bに会った。その際、Aが、BにKW商事で受け取った三通の手形を見せていた。また、Aは、フロントの脇で電話をかけていたが、相手は J5であることが分かった。」などというものである。
(二) A、Dの前記(一)の各供述の信用性
(1) A、Dの右各供述は、確かに、相互に食い違っている点などもかなりあるが、四月七日夕方、AとDがKW商事を訪れ、被告人から、 E1を北海道に連れ出して殺害するための費用ないしその趣旨を含むものとして、現金五〇〇万円及び手形三通額面合計一〇〇〇万円を受け取ったこと等、その基本的な内容についてはよく符合しており、また、この基本的な供述内容は、後述する各種の客観的な証拠等の裏付けもあり、関係証拠により認められる本件の状況(例えば、Bは、Aの指示を受け、四月八日に札幌のホテルを予約しているが、これなども、そのころになって北海道行きの費用が調達できたことをうかがわせる一つの間接的事実ということができる。)に照らしても、自然で無理がなく、その信用性に疑いをいれる余地があるとは認められない。
ところが、原判決は、A、Dの右基本的な供述内容についても疑いをいれる余地があると説示している。すなわち、原判決によると、前記現金、手形が被告人からAに渡された日は、A、Dが供述する四月七日ではなく、 E1の北海道行きが決まる前の四月五日であったという可能性を否定することができず、したがって、右現金、手形の趣旨は、A、Dが供述するような E1を北海道に連れ出して殺害するための費用(ないしその費用を含むもの)ではなかった可能性があるし、仮に四月七日であったとしても、その趣旨は、やはり、右殺害の費用などではなく、後記(5)の平塚の物件の代金の一部又はそれを引当てとした貸金、貸し手形であった可能性を否定することができないというのである(<引用部分略>)。しかしながら、関係証拠を精査して検討すると、原判決の右の説示には到底首肯することができず、A、Dの前記各供述部分は、基本的にその信用性を肯定するのが相当である。以下、原判決が前記判断に至った理由として指摘する諸点に即し、説明を補足する。
(2) 四月五日の E1に対する貸付けについて
ア 原判決は、四月五日にAが E1方に赴いて三〇〇万円を貸し付けたことは事実と認められると説示しているが、この説示はもとより正当である。ところで、原判決は、右三〇〇万円の貸付けの経緯等に関するA、Dの供述には信用できない点が種々あるという指摘をし、また、A、Dが E1方に赴く前に、KW商事に立ち寄り、その際、被告人から現金五〇〇万円と額面合計一〇〇〇万円の手形三通を受け取った疑いがあり、 E1方に行く前にKW商事に立ち寄ったことを否定するA、Dの各供述は虚偽である疑いがあるとも指摘している。しかし、関係各証拠を精査して検討すると、原判決の指摘のうち、多くの点については、結局理由がないと認められ、殊に、AとDが E1方に赴く前にKW商事に立ち寄っている疑いがある旨の判断には到底首肯することができない。なるほど、殊にAの供述の正確性に関し原判決が指摘する点の中には、理由があると認められるものもないわけではないが、いずれも、四月五日の貸付けの経緯等に関するAらの供述の信用性全体に影響を与えるような性質のものではなく、まして、この点に関しAらがあえて虚偽の供述をしていることをうかがわせるような性質のものではない。
次に、原判決が指摘している主な点について、個別的に検討を加える。
イ 原判決は、Aは、四月五日の E1に対する貸付けについては、 E1が被告人に依頼し、被告人からDを介してAに話が来たと供述しているが、関係証拠によると、 E1とAとの間に直接この件に関する連絡がなされていたことが認められるから、右のA供述は信用できないという趣旨を説示している(<引用部分略>)。
しかし、Aは、Dから右貸付け依頼の話を聞いた後、 E1と連絡をとって、右貸付けの件に関し直接同人と話をしたとも供述していることが明らかである。したがって、原判決指摘のように E1、Aの間で直接連絡がなされているからといって、Aの供述の信用性が何ら損なわれるものではない。原判決の前記説示は、Aの供述の趣旨を正解しないで、その信用性をうんぬんしているにすぎず、首肯するに足りない。
ウ 原判決は、「Aは、記憶が薄れているとは言いながらも、 E1への三〇〇万円の貸付け後、KW商事に寄ったのは、この三〇〇万円の返済を被告人から受けるためであったようにも言い、被告人に三〇〇万円の請求をしたが、そのときにKW商事に金員がなかったのでもらえなかったという。しかし、捜査報告書(<書証番号略>)、捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、四月五日午前一一時五二分に四〇〇万円が西武信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から引き出されており、AらがKW商事に寄ったという時間には既にKW商事に右四〇〇万円を含む約五七五万円が保管してあったから、この点のAの供述は虚偽であるといわざるを得ない。」と説示している(<引用部分略>)。
しかし、Aは、被告人に対して E1に貸した三〇〇万円を請求したと思うと供述しつつも、請求したと思うがはっきりしないとも供述しており、この点必ずしも明確ではない。その点はひとまずおいても、確かにKW商事における当日の現金引出しの状況等は、原判決が指摘するとおりではあるが、当時の被告人と E1の関係等にかんがみると、被告人としては、返済の見込みもない E1への貸金を新たにまた出捐するなどということは、もとより気が進まないことであったことが優にうかがわれるし、Aに右三〇〇万円の請求をされ、手元に現金がないことを口実にしてこれを断わったとしても、何ら不自然ではない。原判決は、KW商事に当時約五七五万円の現金があれば、被告人としては、Aの右三〇〇万円の請求に応じたはずであるということを当然の前提として説示しているが、このような前提自体、それほど根拠があることではないのである。まして、この点を理由として、Aの供述が虚偽であるなどと断定することは到底できないのであって、原判決のこの判断もまた首肯できないというほかはない。
エ 原判決は、Aが、四月五日に E1方で三〇〇万円を貸した際、金利としてWT石材振出の額面六〇万円の小切手を受け取り、 E1方の帰りKW商事に寄ったとき被告人にこれを渡した旨供述しているのは、虚偽であると指摘する(<引用部分略>)。
なるほど、Aの右供述部分は、関係証拠に符合せず、むしろ、Aは、右小切手を被告人には渡しておらず、四月五日のうちに J5方を訪れて、同人に対し、その取立てを依頼したと認められる(前記三10(二)参照)。しかし、そうであるからといって、この程度の供述内容の誤りは、単なる記憶違いと解することも十分可能であるし、この点のみを理由として、Aの右供述が、 E1方の帰りにKW商事に立ち寄ったことを印象づけるために、Aが意図して行った虚偽供述であるとまで推論する(原判決は、Aの供述を、結局、このような意味での虚偽供述であると評価しているものと解される。)のは飛躍にすぎるというべきである。
オ 原判決は、Aが、四月五日に E1に三〇〇万円を貸した際、(前記小切手とともに)額面一〇〇〇万円のWT石材振出手形を担保として受け取り、 E1方の帰りKW商事に寄った際に、被告人に渡したが、取立てを依頼されたのでそのまま持ち帰ったと供述しているのも虚偽であると説示している。そして、その理由として、原判決は、「Aは、四月一六日ころ、京王プラザホテルでWT石材の社長の J7と会って、右一〇〇〇万円の手形の取立ての交渉をした際、京王プラザホテルには被告人も呼んでいたにもかかわらず、被告人に J7を呼んでいることを話した形跡がうかがえず、むしろ J7と被告人を会わせないようにして、 E1から右一〇〇〇万円の手形を受け取っていることを被告人に隠していたものと思われる。」と指摘している(<引用部分略>)。
しかし、Aが、四月一六日ころ京王プラザホテルで被告人と会った際、被告人と J7を会わせないようにしていたという原判決の指摘は、関係証拠上誤りであると認められ、したがって、原判決の前記説示もまた、首肯することができない。なお、この詳細については、後記7で、四月一六日ころの京王プラザホテルにおける被告人との面談の状況等について述べるAの供述の信用性を検討する際に、併せて判断を示すことにする(特に後記7(二)(3)イお参照)。
カ 原判決は、「四月五日は、三月二二日にAが E1に貸し付けた一〇〇〇万円の支払期日となっていたのであるから、その四月五日に E1方へ行く前に、AがKW商事に寄ることは自然である。」とも指摘している(<引用部分略>)。
しかしながら、四月五日が右一〇〇〇万円の貸付けの返済期日に当たるからといって、Aが E1方に赴く前にKW商事に立ち寄ることが自然であるとは格別考えられず、原判決のこの説示は、A、Dの各供述の信用性を何ら左右する理由となるものではない。なお、後記クのとおり、被告人は、原審・当審公判で、Aが、四月五日、 E1方に赴く前KW商事に立ち寄ったとの趣旨を供述しているが、同日Aの来た用件は、後記(5)のいわゆる平塚の物件の関係であるという趣旨を述べているのであって、原判決指摘の右一〇〇〇万円の貸付けとの関係については格別触れていない。すなわち、原判決のこの指摘は、被告人の公判供述によっても、支持されてはいないということができる。
キ 原判決は、前記イからカまでで指摘した各説示をした後、「以上の次第で、 E1に貸し付けた後、KW商事に寄ったというAの供述中には、重要部分において虚偽の部分が含まれていることを考えると、 E1に貸し付けた後、KW商事に寄ったというA及びDの各供述は、その信用性に重大な疑問が生じる。」(<引用部分略>)と、その検討結果を要約している。しかし、その説示内容自体、甚だ不明確であるといわざるを得ないが、その点をひとまずおいても、Aの供述中にはその重要部分で虚偽が含まれているというその評価自体が首肯できないことは、既に説示したとおりである上、そもそも、Aの供述に虚偽があるからといって、なぜDの供述までその信用性に疑問をいれることになるのか、到底首肯できない。
ク 被告人は、原審・当審公判で、四月五日、Aから後記(5)のいわゆる平塚の物件の代金を払ってほしいという連絡があり、同日の昼、AとDが訪ねてきたので、現金五〇〇万円と額面合計一〇〇〇万円の手形三通をAに渡したと供述し、弁護人も、被告人の右供述に依拠し、Aらは、KW商事に立ち寄ってから E1方に赴いた旨主張する。そして、原判決も、Aらが、四月五日 E1方に赴く前にKW商事に来たという弁護人の主張や被告人の右供述は合理性を有しているように思われると説示している(<引用部分略>)が、原判決のこの判断は到底首肯することができない。そもそも、いわゆる平塚の物件の関係でAらが訪ねてきたという趣旨を述べる被告人の原審・当審公判供述は、全体として信用するに足りないと認められるのであるが、この点については、後記(5)でまとめて判断を示すことにする。
(3) 押収されているメモについて
原判決も、<引用部分略>説明しているように、本件では、被告人が、Aとの間で行った手形や金銭のやりとりの明細を同人に説明し、あるいは確認させるため、昭和六一年中に数回にわたって、同人に渡し、Aの妻から警察に任意提出されたメモが証拠として取り調べられている。これらのメモの作成の仕方、正確性について、原判決が、「被告人は、公判において、メモの作成経過について、『Aに金銭や手形を渡した際に控えとしてメモのようなものを作成しており、それをもとに清書してメモの原本を作成し、そのコピーをAに渡した。その後更に手形等が渡されているので、その清書したメモの原本にメモ書きし、しばらくして更にそれを清書してメモの原本を作成し、そのコピーをAに渡す、という経過をたどって、押収されているメモを作成し、Aに渡した。』という趣旨の供述をしている。また、G弁護士など被告人の性格をよく知る関係者の供述や押収されている手形帳控・小切手帳控の記載等を総合すると、被告人は几帳面にメモを取る性格であったと認められる。したがって、右メモの各記載は、金銭出納帳等を参照するほかに、手形や金銭が渡された後、以前に清書して作成されたメモに書き留められた記載を、清書するために転記して記載する等の方法によって作成されたものと解するのが相当である。」(<引用部分略>)、「記載内容を見ると、右メモの記載は、金銭出納帳等を見て転記したにすぎないとは認め難い内容になっている。」(<引用部分略>)と説示しているのは、基本的に正当であり、前記各メモは、右原判決説示のような作成の経緯に照らしても、その正確性は高いと優に認めることができる。
そうして、右各メモのうち、<押収番号略>の各メモには、被告人がAに交付した現金に関する記載等があるが、これらのメモには、いずれも、四月七日に被告人がAに対し五〇〇万円の現金を交付したという内容の記載がなされている。この記載は、前記のような右メモの正確性にも照らし、まさに右メモに記載されているとおり、四月七日に被告人がAに対し現金五〇〇万円を交付したことをうかがわせる重要な証拠であることが明らかであって、もとより、同日に被告人から現金五〇〇万円を受け取った旨を述べる前記(一)のA、Dの各供述の信用性を裏付けるに足りる重要な客観的証拠であるといわなければならない。
ところが、原判決は、前記各メモには誤りもある旨の指摘をした上、「右各メモには前述のような誤りもあることから、手形や金銭を渡したどれくらい後に記載されたか、判然としない。したがって、右各メモの記載内容は、Aが割り引いた先やAの使用目的等、専らA側の事情を記載した部分(注。すなわち、Aが右各メモを受け取った後で、Aの側で書き加えた部分)を除いては、一応の正確性を担保しているものと認められるにすぎない。」(<引用部分略>)、「被告人とA間において、金銭や手形の授受についての多少の日にちのずれは、重要なものではなかったと思われるので、被告人自身関心もないだろうし、Aも同様であったものと思われる。したがって、メモの記載自体は、やはり、一応の正確性を担保しているにすぎず、四月五日の預金引出状況(注。後記(4)イ)、メモの記載の誤り等から考えると、五〇〇万円が四月七日に渡されたという趣旨に理解できる部分のメモの記載の正確性については、問題が残るといわざるを得ない。」(<引用部分略>)と、説示している。
しかし、右各メモの記載に誤りがあると原判決が指摘している点について逐一検討してみても、いずれも右各メモの作成の仕方の正確性に格別疑問を生じさせるような性質のものはなく、まして、現金や手形の授受の日を誤ったことをうかがわせるような記載があるとは認められないことは、所論が指摘するとおりであると認められる(<引用部分略>)。すなわち、原判決が、右各メモには誤りもあるということを根拠として、本件五〇〇万円の授受の日に関する記載についても、その正確性に疑問をいれる余地があるという趣旨を説示しているのは、その根拠が薄弱であり、不当であるといわざるを得ない。なお、原判決が指摘する四月五日の預金引出状況についても、この点で格別疑問とすべき点が認められないことは、後記(4)イで説示するとおりである。
以上の次第であるから、先にも説示したとおり、<押収番号略>の各メモは、四月七日にKW商事を訪ね、被告人から現金五〇〇万円(及び額面合計一〇〇〇万円の手形三通)を受け取ったというA、Dの各供述の信用性を裏付ける重要な証拠であることが明らかであって、その証拠価値に疑問をいれる余地もあるという趣旨を述べる原判決の前記説示は、誤りであるといわざるを得ない。
(4) KW商事の金銭出納帳について
ア 押収されているKW商事の金銭出納帳(<押収番号略>)の四月七日の欄には、科目「立替金」、摘要「現金引き出し(SO)」、支払金額「5000000」との記載がなされている。
右金銭出納帳の一般的な記載状況は、原判決が第二・四5(一)「金銭出納帳の記載状況」(<引用部分略>)で説示しているとおりであると認められ、その他、右金銭出納帳の使用目的、使用状況等にかんがみても、特にその各収支があった日の記載の正確性には特段問題がないと認めるのが相当である。
そうすると、前記のとおり、この金銭出納帳には、四月七日に被告人からSOすなわちAに対し五〇〇万円の現金が支払われたという内容の記載がなされているのであるから、この記載は、やはり、四月七日に被告人がAに対し現金五〇〇万円を交付したことをうかがわせる重要な証拠であることが明らかであり、もとより、同日に被告人から現金五〇〇万円を受け取った旨を述べる前記(一)のA、Dの各供述の信用性を裏付けるに足りる重要な客観的証拠であることが明らかである。
ところが、原判決は、被告人がAに五〇〇万円を渡したのは実際には四月五日であったのに、被告人の妻の 甲2が、四月七日に渡したものと勘違いして、誤って右金銭出納帳の四月七日の欄に記帳した可能性がある旨を説示するが、原判決のこの判断は到底首肯することができない。以下に、その理由の要点を補足説明する。
イ 原判決は、右の判断に至った前提として、Aに渡された現金がいつ用意されたか、という点を問題にしている。
原判決も指摘するとおり、前記金銭出納帳には、四月五日の欄に、西武信用金庫から現金四〇〇万円を引き出した旨の記載があり、また、同日の最終時点における差引残高(一応、KW商事事務所における保管金の総額とみてよいであろう。)が五七五万五六一〇円と記載されている。四月五日(土曜日)に引き続く四月七日(月曜日)の欄には、一二の収支の記載があるが、その六番目には、西武信用金庫から現金五〇〇万円を引き出したことが、七番目には、 F15に貸付金として五〇〇万円を支出したことが記載され、同日の欄の九番目に、前記SOに対する五〇〇万円の支出の記載がなされている。
原判決は、更に、前記四月七日の西武信用金庫(具体的には同信用金庫東久留米支店である。)からの五〇〇万円の引出しに係る小切手の控え(<押収番号略>の小切手帳控)に、渡し先として「 F15立替金」と記載されていること等の諸事情を指摘した上、「四月七日に西武信用金庫東久留米支店から引き出された五〇〇万円がそのまま F15に貸し付けられたものであることは動かし難いものと認められる。」とし、それに引き続いて、「したがって、同日の欄に記載されている前記『立替金 現金引き出し(SO) 5000000』の記載は、四月五日か七日かはともかくとしても、このAに渡された五〇〇万円のうち四〇〇万円は四月五日に同支店から引き出された四〇〇万円であることも間違いなく、残り一〇〇万円はKW商事に保管されていた現金とみるべきである。」と説示している(<引用部分略>)。その上で、原判決は、「KW商事は、土曜日も平日同様の営業をしているものの、日曜日(四月六日)は定休日であるから、前記出納帳の土曜日の記載からみても、当時土曜日に、格別の使用目的もないのに、わざわざ金融機関から大金を引き出してKW商事事務所に置いておくことはしていなかったものと認められる。」(<引用部分略>)、「格別の使用目的もなかったのであれば、わざわざ土曜日のそれも昼近くになってから(注。前記四月五日の四〇〇万円引出しに係る小切手の写[<書証番号略>添付]によれば、右引出しの時刻は同日午前一一時五二分と認められることは、原判決指摘のとおりである。)四〇〇万円を引き出す必要性もなかったものといわざるを得ない。……したがって、翌日(四月六日)に定休日を控えている四月五日の時点で、しかも使途も決まっていないのに、わざわざ四〇〇万円を金融機関から引き出すというのは不合理であるから、そこに何らかの現金引出しの目的があったものと思われる。四月五日に引き出された四〇〇万円の全額が、現実にAに渡されているということは、同日の現金引出しの時点までにAのためにあらかじめ引き出しておくべき事情が生じていたことを推認させるものである。」(<引用部分略>)と説示している。
原判決のこの指摘にすべて理由があるとすると、Aに五〇〇万円が渡された日が四月七日でなく四月五日であり、右金銭出納帳の記載は、 甲2が勘違いして誤記した可能性があるという原判決の推論に一つの根拠を与えるのみならず、殊に、四月六日に E1から北海道行きを了承する連絡があったから、その後、被告人に対し費用を用意するように連絡したというAの供述の重要部分に疑問をいれる余地があることになる。
なるほど、四月七日に被告人が現金五〇〇万円を西武信用金庫東久留米支店から引き出した直接の目的が、 F15に対して五〇〇万円を支出するためであったことは、原判決指摘の小切手控の記載等から、うかがうことができる。しかし、そうであるからといって、四月五日の四〇〇万円の引出しが、Aに対して支出することを目的としてなされたものと推認されることになるとか、したがって、被告人から五〇〇万円の支払いを受けることは四月六日になって決まったことである旨のAの供述の信用性に疑問を生じることになるというのは、飛躍にすぎるというほかなく、首肯できない。そもそも、KW商事における帳簿等を精査しても、四月五日の四〇〇万円の引出しが、Aのためであることを具体的に示すような記載は何ら見当たらない上、四月七日の引出しが F15に渡すためであったとしても、そのことは、Aの前記供述と直ちに矛盾するものではない。例えば、所論も指摘するとおり(<引用部分略>)、四月五日に F15から連絡があって、被告人が F15のため現金四〇〇万円を引き出して用意したが、当日 F15が来なかったため、これを事務所内に保管しておいたところ、Aが供述するとおり、四月六日に同人から被告人に連絡が入り、Aのために現金五〇〇万円を渡す必要が生じたので、これを事務所にあった現金(五七五万円余)からまかなうことにし、四月七日、 F15に渡すための現金五〇〇万円を新たに引き出したというような事態も、十分合理的に考えられるのであり、したがって、この点を理由として、Aの右供述部分の信用性に直ちに疑問が生じることになるかのようにいうのは、不当であるといわざるを得ない。
なお、被告人は、原審・当審各公判で、四月五日に後記(5)のいわゆる平塚の物件の代金を支払ってほしい旨の連絡がAからあり、現金を用意した旨、原判決の前記説示に沿う供述をしているが、そもそも、被告人の右平塚の物件に関する供述が信用できないことは、後記(5)でまとめて検討を加えてあるとおりである。
ウ 原判決は、前記イの説示に引き続いて、前記金銭出納帳の記載について検討を加えた上、「四月七日のAやDがKW商事に来たという時刻が 甲2の帰宅後であったのであれば、四月七日の出来事としてその日に 甲2が金銭出納帳に記載することはあり得ない。さらに、西武信用金庫関係の銀行勘定帳(<押収番号略>)によると、この勘定帳に、四月五日にKW商事の小切手を切って四〇〇万円を西武信用金庫東久留米支店から引き出した旨の記帳をしたのは 甲2であるから、右四〇〇万円の引出しについての記憶の新鮮な 甲2が、被告人から金員の支払先を聞いた際に、支払先のみを確認して四月五日の出金を勘違いして四月七日の出金として記載したものとも考えられる。」(<引用部分略>)と説示しているが、右の程度の理由によって、 甲2が出金の日を勘違いして記帳したと考えられるとするこの説示は、それ自体根拠が薄弱であって、不当であるといわざるを得ない。
まず、原判決は、前記イで検討したように、そもそもAに対する支出が四月五日に予定されていたという可能性があることを肯定し、この点を前記の説示をする一つの根拠としていると解されるが、右可能性を肯認できるとする判断自体、首肯できないことは、既に説示したとおりである。
ところで、本件金銭出納帳は、当初、ボールペンで一行おきに記載され、その後、一行おきではなくなったものの、鉛筆書きになっており、また、その前後を通じ、各日の欄の間に余白が開けられるなど、一見して、後日に前の日の収支の記載を追加したり、訂正したりすることを予定したような記載のされ方をしていることが明らかである。また、そのような事情は、本件当時右金銭出納帳の記帳に当たっていた 甲2や F24の各原審公判供述等によっても、うかがうに足りる(F24は、忙しいときなど、次の日にまとめて記帳することもあったとの趣旨をも供述している。)。したがって、四月七日の欄に記載されている収支の記載が、すべて同日のうちに記帳されたということにはならないのであり、例えば、四月八日又は九日に(なお、本件金銭出納帳には、四月八日分の記載はない。)、 甲2がその記載をしたものもあることが十分考えられる。四月七日の欄の前記SOに対する五〇〇万円支出の記載及びこれに引き続く収支の記載も、このようにしてなされた可能性があり、前記A、Dの各供述等に照らすと、その可能性は高いと認めることができる。ところが、原判決の前記の説示は、このような可能性を考慮の対象ともしていないのであって、一面的かつ不当であるといわざるを得ない。
なお、原判決は、前記のとおり、 甲2が、四月五日の支出を四月七日の支出と勘違いして記帳したとも考えられると説示している。しかし、金銭出納帳の作成目的、記帳状況等に照らし、また、KW商事における通常の事務処理のあり方にかんがみても、支出の日を勘違いして記帳した可能性があるなどというのは、むしろ極めて考え難い事態を想定するものというべきであって、原判決の右の程度の説示では、その根拠が薄弱であるといわざるを得ない。のみならず、Aに対する五〇〇万円の支出が四月五日に行われた可能性があるというのは、被告人の公判供述に依拠した認定であることが明らかであるが、被告人の右公判供述によれば、そもそも被告人がAに右五〇〇万円を支出したのは四月五日の昼ころであったというのであり、また、同日は、 甲2が勤務していたが、同女はこの日も平常どおり午後六時ころまで勤務していたものと推認されることに留意すべきである。また、原判決は、四月五日に四〇〇万円引出しの小切手を切って同金額を引き出したのが 甲2であり、この関係の記憶が同女には新鮮であったと考えられるとも指摘するが、そうであればなおさら、同女が四月五日の支出を四月七日と勘違いするなどということは考え難いというべきであろう。そもそも、前記のとおりの 甲2の勤務時間との関係等にも照らすと、四月五日に引き出された四〇〇万円が、(他の一〇〇万円とともに)同日の昼にAに支出されたのなら、そのことについては、同日の収支を記録する立場にあった 甲2が当然同日のうちに了知したはずであるし(原判決は、金銭の支払先については被告人しか知らないであろうから、四月五日のうちには 甲2が被告人から聞かなかったのではないかと思われると説示しているが、首肯し難い。)、また、右四〇〇万円引出しの記憶が新鮮であればあるほど、右支出の日を同女が勘違いするなどというのは、およそ不自然な想定になることが明らかといわざるを得ない。
以上の次第であるから、原判決の前記の説示は極めて不自然かつ不合理な想定を内容とするものであって、到底首肯することができないというほかはない。
エ 原判決は、四月五日にAやDが E1方へ行く前にKW商事に立ち寄って E1に融資する三〇〇万円を調達した可能性が高いし、同日被告人が四〇〇万円を引き出したのもそれに合致していると指摘し、このような事情も、金銭出納帳の記載が誤記である可能性を肯定する一つの根拠となるという趣旨を説示しているようでもある(<引用部分略>)が、そもそも、右説示の前提が認められないことは、既に前記(2)、(4)イで詳細に検討を加えたとおりであるから、原判決のこの説示自体、理由がないというほかない。
(5) いわゆる平塚の物件に関する被告人の原審・当審各公判供述との関係について
ア 前記(一)のとおり、A、Dが、四月七日に E1殺害の費用ないしそれを含むものとして被告人から現金五〇〇万円及び額面合計一〇〇〇万円の手形三通(いずれもKW商事振出)を受け取ったと供述しているのに対し、被告人は、原審・当審各公判で、右現金、手形の交付自体は認めつつ、その趣旨や時期について、これと異なる供述をしている。特に、被告人は、後記ウのとおり、これらの現金、手形は、いわゆる平塚の物件(神奈川県平塚市四之宮<番地略>の宅地[登記簿上の地積三七九平方メートル]及び同土地上の建物。以下、この両者を併せて[平塚の物件]といい、土地のみを指すときは「平塚土地」、建物のみを指すときは「平塚建物」という。)の関係でAに交付したものであって、 E1の北海道行きとは無関係である旨を供述しているのであり、原判決も、結局、被告人のこの供述の信用性は否定し難いという趣旨を説示している。そこで、本項では、特に、平塚の物件に関する被告人の右供述に信用性を肯認できるか否かの点を中心として、検討を加えることにする。
イ まず、関係証拠によれば、平塚の物件は、 J10が所有していたが、Aが、被告人や F17を現地に案内し、その購入方を働きかけるなどしていたこと、四月四日には、 J10からKWハウジングに対する所有権移転登記がなされていること(登記簿上の登記原因は、「昭和六一年四月三日売買」とされている。)、その後の一一月二一日、KWハウジングから J6(J2の配下)に対する所有権移転登記がなされていること(登記簿上の登記原因は「昭和六一年一〇月三〇日売買」とされている。)等の事実が明らかである。
ウ そして、平塚の物件に関する被告人の原審公判供述の内容は、おおむね、原判決が、<引用部分略>要約しているとおりであると認められるが、要するに、被告人は、「平塚の物件は、Aがもとの所有者から取得し、KWハウジングがAから購入したものである。四月五日、Aから、平塚の物件の残代金の一部五〇〇万円を支払ってもらいたいから、KW商事へ行くという電話があったので、西武信用金庫東久留米支店から四〇〇万円を引き出し、手元の現金一〇〇万円と合わせ、五〇〇万円の現金を用意した。同日昼ころAがKW商事に来たので、この現金五〇〇万円を渡したところ、更に、Aが、平塚の物件の件で手形を一〇〇〇万円ばかり貸してほしいと言ってきたので、これも承諾し、額面三〇〇万円のもの二通(手形番号HA82774、82775)、四〇〇万円のもの一通(手形番号HA82773)の、合計三通のKW商事振出の手形をAに渡した。この手形は、平塚の物件に関するAの代金請求権を引当てにして貸したという理解であるが、自分としては、KWハウジングから返してもらえばいいと思っていた。自分としては、KWハウジングから返ってもいいし、Aから返ってもいいということである。この話の中で、Aが、南千住の物件が終わったが、 F10に返済すべき同物件の仮処分の供託金(四〇〇万円)を下ろせないから、四〇〇万円を立て替えてくれと言うので、この一〇〇〇万円の手形の中から使えばいいと言った。現金五〇〇万円は平塚の物件の売買代金の立替払い(KWハウジングに対する立替え)で、一〇〇〇万円の手形はAに貸したことになる。ただ、この四〇〇万円の手形については、手形が F10に行くのなら、供託金はいずれKW商事に入ってくるから、KW商事が決済すべきことになる。」との趣旨を供述している。
また、被告人の当審公判供述は、前記現金、手形の趣旨等については、おおむね右原審公判供述と同旨であるが、「現金五〇〇万円は、平塚の代金の内金として渡した(立替払いしてやった。)ものであるが、額面合計一〇〇〇万円の手形三通(手形番号HA82773から82775まで)は、平塚の物件の代金を引当てとしてAに貸したものである。したがって、これらの手形は、いずれもAが決済することになっていた。その後の四月一九日か二〇日ころ、更に平塚の物件の代金の一部として額面一〇〇〇万円の手形(手形番号HA82771)をAに交付した。この手形は、代金の一部であるから、被告人がKWハウジングのため立て替える趣旨で振り出したものであり、被告人が決済することになっていた。ところが、四月終わりか五月ころ、Aが、HA82771の手形を割れないと言って戻してきた上、四月五日に受け取った三通の手形をその代わりに払ってくれと言うので、これを了承し、これら三通の手形を被告人が決済することになった。」などと、原審公判では述べなかった事柄を新たに供述したり、原審公判での供述内容を微妙に変化させている点もある。また、被告人は、当審公判供述の中で、「平塚の物件の代金額は、四月二一日に二〇〇〇万円と決まり(買主の側で担保の負担を引き受けるという前提)、四月三日に被告人が振込送金した五〇〇万円、四月五日に支払った現金五〇〇万円、四月一九日か二〇日に手形(手形番号HA82771)で支払った一〇〇〇万円が、右代金に充てられることになったが、前述のとおり、HA82771の手形が戻されてきたため、四月五日に交付したHA82773から82775までの合計一〇〇〇万円の手形が代わりに代金の支払いに充てられることになった。」などとも供述している。なお、被告人は、当審公判で、「平塚の物件の件は、通常の取引と思っていたし、Aがもってきた話だからといって、特段問題がある物件であるなどとは考えていなかった。」などとも供述し、平塚の物件の売買について、もとの所有者との間などで、権利関係に問題があるというような認識もなかったという趣旨をも述べている。
エ 一方、Aは、原審公判で、平塚の物件の取引の経緯等について、所論が<引用部分略>要約しているとおりの供述をしている。すなわち、Aは、「たまたま平塚の物件の話を被告人にしたら、被告人の方でKWハウジングに買わせようかという話になったが、売買代金、支払方法、契約時期等は明らかでない。代金はある程度はもらっているとは思うが、二〇〇〇万円もなかった。平塚の物件の権利証が東京の業者に預けられており、それを引き上げるということで、被告人から五〇〇万円か六〇〇万円くらいもらったと思うが、その後でお金をどうもらったか定かでない。四月七日に被告人から受け取った現金、手形は平塚の物件とは関係がない。KWハウジングに登記名義を変えた後、KWハウジングに銀行から内容証明みたいなものが来たということで、裁判になって揉めたりするのはいやだからなどと被告人に言われ、 J2の方に、きちっと名義を変えて、きちっとやれと指示し、権利証等全部を渡したので、それ以後のことは分からない。」などと供述している。
オ このように、被告人は、平塚の物件については、A、KWハウジング間で、通常の売買の取引が行われ、四月三日に内金五〇〇万円が支払われたのに引き続き、四月五日に代金の内金五〇〇万円が支払われ、更に残代金として一〇〇〇万円の手形が振り出されたと供述するのであるが、その供述は、内容自体不自然な点が多い。そもそも、前記ウでも説示したように、被告人は、当初は四月五日に振り出した手形の少なくとも一部については、KW商事が決済することになっていたという前提で供述していたのに、当審公判では、右各手形はAに貸したものであるから、あくまで決済はAが行うという約束であったと供述を変更したり、それにもかかわらず、これら手形を結局被告人の側で決済することになったという経緯について、原審公判では供述しなかった前記HA82771の手形に関する事情を新たに供述するに至るなど、その供述には重要な点で変遷があり、しかも、右HA82771の手形の振出の経緯等に関する被告人の当審公判供述は、極めてあいまいで、必ずしもその状況に関する記憶があるのではなく、約束手形帳控(<押収番号略>)の消去痕等を見ればそのように解釈できるという趣旨を供述しているにすぎないことを自認している部分もあるなど、全体として不明確で、不自然な供述に終始しているといわざるを得ない。
これに対し、Aの前記エの供述は、関係証拠によって認められる本件の状況ともよく符合しているということができ、被告人の前記公判供述とも対比して、その信用性は高いということができる。
すなわち、当審で取り調べた J10や J8の証言を初めとする関係証拠によれば、そもそも平塚の物件の所有者の J10とAとの間には、 J10の債務の処理等をめぐり、Aや F2組関係者らが介入したなどの関係があったが、平塚の物件を J10がAないしその関係者に譲渡したり、担保に供するなどしたことはないこと、一方、 J10は、金融業者である東京信用に対し、債務の担保として平塚の物件の権利証を預けていたが、Aやその配下の者らが、東京信用の担保に入っていた J10所有の別の物件を勝手に占拠し、Aは、その占拠を解く条件として、右平塚の物件の権利証を引き渡すように要求し、東京信用側は、結局Aの要求を受け入れ、 J10に断わることなく、右権利証をAに引き渡したこと、 J10からKWハウジングに対する前記イの四月四日付け所有権移転登記は、Aが、このようにして入手した権利証を使い、あらかじめ J10から受け取っていた委任状を勝手に使うなどしてその手続を行ったものであること、平塚建物は、 J10の営む左官業の従業員らが居住する寮として使用されており、昭和六二年一月、Aらが同建物を強引に取り壊してしまうまで、同様の状態で使用されていたこと、 J10は、九月と昭和六二年四月に、二回にわたり、右移転登記の抹消等を求める民事訴訟を提起し、同年九月、 J6ら被告側も J10の主張を認め、同人に登記名義を回復することに同意して、和解をみるに至ったこと、平塚の物件に関しては、四月三日付けで、A、KWハウジング間の売買契約書が作成されており、また右契約書上売買代金額は二〇〇〇万円とされているが、この契約書も、実は契約書上の作成日付である四月三日のころに作成されたのではなく、前記民事訴訟の提起後、登記簿上の登記原因と辻つまを合わせるために、作成されたにすぎないこと、KWハウジングの社長である F17は、原審公判で、平塚の物件は、KWハウジングがAから代金二〇〇〇万円で買ったものである旨供述しているが、その一方、右契約の経緯等については極めてあいまいな供述にとどまり、特に、KWハウジングの帳簿には平塚の物件の取引に関する記載がない、四月三日にKWハウジング名義で行われている五〇〇万円の振込送金は、KW商事が平塚の物件の代金を立て替えてくれたものであるが、残りの一五〇〇万円の支払いをどうしたかは思い出せないなどと、不明確、あいまいで、事実平塚の物件を買い受けた者の供述としてはまことに不自然な供述に終始していること等が明らかであって、これらの諸事情は、Aの供述する内容におおむね合致し、その信用性を裏付けるに足りるものということができる。
そうして、平塚の物件をめぐる前記認定の諸状況等に照らすと、四月五日当時、代金の支払いないし代金を引当てとした貸し手形等、名目は何であれ、平塚の物件の価額に相当する二〇〇〇万円全額(被告人は、平塚の物件の、同物件により担保されている債務相当額を控除した取引価額としては、二〇〇〇万円が通常と考えられるという趣旨を供述しているが、この供述内容は、首肯することができる。)が、平塚の物件の取引に関してAに対し支払われるような状況にはなかったと優に推認できるのであって、当時平塚の物件の関係で二〇〇〇万円もの支払いを受ける状況にはなかったという趣旨を述べるAの供述は、この点でも、極めて自然な内容ということができる。なるほど、四月三日に被告人がKWハウジングの名義でAに振込送金した五〇〇万円については、Aもまた、平塚の物件に関し、被告人から五〇〇万円か六〇〇万円くらいの支払いを受けたという趣旨を供述していること、 F17も、前記のとおり、この五〇〇万円については、平塚の物件の代金の立替払いである旨を供述していること等の諸事情にも照らし、疑問もあるが、平塚の物件の代金の関係の支払いである旨の被告人の供述の信用性を必ずしも排斥し難い。しかし、この五〇〇万円のほか更に、四月五日に現金五〇〇万円を平塚の物件の代金の立替払いとして支払ったとか、その際平塚の物件の代金を引当てにして額面合計一〇〇〇万円の手形をもAに交付したとか言う被告人の供述は、前記の検討結果に照らし、到底信用し難いというほかはないのである。
なお、原判決は、手形番号HA82773から82775までの各手形の控(<押収番号略>)の消去痕が、被告人の前記供述の信用性を裏付けていると理解しているようであるが、このような理解が失当であることは、後記(6)で説示するとおりである。
以上の次第であるから、平塚の物件に関し四月五日に現金、手形をAに交付した旨を言う被告人の原審・当審各供述はその信用性を肯認できないことが明らかであり、その信用性を否定し難いという趣旨を説示する原判決は、証拠の証明力の判断を誤っているといわざるを得ない。
(6) 約束手形帳控について
ア 前記手形番号HA82773から82775までの手形の控が、<押収番号略>の約束手形帳控の中にあるが、これらの控には、原判決が<引用部分略>の部分で摘示しているとおりのボールペン書きの記載や、鉛筆書きの記載を消去した痕がある。
すなわち、これらの手形控の支払期日欄には、いずれも、「(昭和)61(年)6(月)6(日)」の記載がボールペンでなされ(ただし、括弧内は、印刷された部分である。)、また金額欄には、HA82773については「¥4、000、000」と、HA82774、82775についてはいずれも「¥3、000、000」とボールペンで記載されている(HA82774については、手形本券が回収された後、本券上の手形番号の部分が切り取られて、控の金額欄に貼り付けられているため、一見すると金額欄の記載が読めなくなっているが、控を裏から透かして見ると、「¥3、000、000」の記載を読み取ることができる。)。
さらに、検査回答書(<書証番号略>)によると、HA82773の手形控には、受取人欄に「平塚土地、 F10工業 1000万円 (株)KWハウジング1000万円 <1>」の、振出日欄に「4/7」の各記載が鉛筆でなされた後消去された痕跡があると認められる。なお、右検査回答書では、前記受取人欄の金額に関する消去痕のうちの一つを「10000万円」と判読したとされているが、原判決が指摘するとおり、これは、「1000万円」と判読するのが相当であると認められる。
また、右検査回答書によると、HA82774の手形控には、受取人欄に「平塚土地 建物 AE (株)KWハウジング <2>」と、振出日欄には「4(月)7(日) 4/7」とそれぞれ鉛筆で記載された後消去された痕跡があり、HA82775の手形控には、やはり受取人欄に「平塚土地 立替金 (株)KWハウジング <3>」と、振出日欄には「4(月)7(日) 4/7」とそれぞれ鉛筆で記載された後消去された痕跡があることが明らかである(ただし、いずれも括弧内は印刷された部分である。なお、右検査回答書では、「自然光での肉眼的判読は困難」とあるが、右各手形控を見ると、そのときの条件次第によっては、肉眼でも、各振出日欄の「4/7」、HA82773の受取人欄の右上部の「1000万円」等はその消去痕から読み取ることができる。)。
なお、これらの消去痕のうち、HA82773の受取人欄の「 F10工業」HA82774の受取人欄の「AE」及びHA82775の受取人欄の「立替金」の各記載と、それぞれの各受取人欄の「平塚土地」の記載は原判決の指摘するような態様で(<引用部分略>)重ねて記載されたものであると認められる。
イ ところで、原判決は、これら手形控の受取人欄の消去痕のうち、「平塚土地」あるいは「平塚土地 建物」や「(株)KWハウジング」等は、手形の振出原因に関する記載と考えられるから、まずこれらの手形を振り出したころに、前記「平塚土地」、「平塚土地 建物」、「(株)KWハウジング」、「<1>」、「<2>」、「<3>」が同時に鉛筆で記載され、その後これらの記載を消去した後で、前記「 F10工業」等の手形の流通先を表す記載がなされたものと推認できると説示している(<引用部分略>)。そうして、原判決は、この点をこれら手形が平塚の物件に関して交付された疑いがあるという一つの重要な根拠としていることが明らかである。
しかしながら、右「平塚土地」等が、振出原因に関する記載であるから、これらの手形の振出当時に記載されたという原判決の前提自体、本件の場合には直ちに首肯することができないといわなければならない。
そもそも、これら手形が振り出された日が四月五日であれ、四月七日であれ、平塚の物件に関し、一〇〇〇万円もの手形が被告人からAに交付されるような状況にはなかったことは、前記(5)で既に詳細に検討したとおりである。すなわち、このとき、平塚の物件の残代金の内金として現金五〇〇万円をAに支払うとともに、残代金を引当てとして一〇〇〇万円の手形を同人に交付した旨を述べる被告人の原審・当審公判供述は、当時の客観的状況ともおよそ符合せず、信用性が著しく低いことも既に説示したとおりである。そうであるとすると、平塚の物件に関してこれら手形を振り出したかのような内容が記載されている右手形控の消去痕自体、その記載の経緯には疑問をいれる余地があるといわなければならない。
一方、これらの消去痕は、いったん記載したものを消去して更にその上にまた新たな記載をするなど、その記載・消去の仕方自体、かなり特異で疑問をいれる余地がある上、被告人は、これらの記載・消去の状況については、記憶がないと供述するのみで、満足な説明をなし得ていない。もっとも、被告人は、当審公判では、具体的な記憶はやはりないとしながら、いったん書いた手形控の記載を消去したのは、Aに渡すメモの方に記載したから、手形控の方は必要なくなったためであると思うとか、Aから手形が返ってきたから手形控の方は必要なくなったためであると思うとか、説明を試みているようでもあるが、このような理由で手形控の記載をわざわざ消去する必要があったとは到底考えられず(なお、Aが手形を返してきたというのは、前記三通の手形のうち、HA82774の一通にすぎない。)、およそ不合理な説明に終始しているというほかはない。なお、弁護人も、当審における弁論で、右抹消の理由について、被告人の前記供述と基本的に同旨の説明を試みている(<引用部分略>)が、前同様の理由により、これまた首肯するに足りない。
ところで、G弁護士の原審証言を初めとする関係各証拠によれば、昭和六二年に入ると、本件について被告人が関与しているのではないかという疑惑が報道機関等によって広く取りざたされ、被告人も自分が捜査の対象となることを予想する中で、Aと被告人との間で行われたこれまでの資金の流れについて捜査機関が注目することを想定し、G弁護士も交えるなどして、その説明づけを試みていた状況が十分看取される(被告人は、当審公判で、自分が本件の容疑で取り調べを受けたり、逮捕されたりするとは予想していなかったという趣旨を供述するが、関係証拠によって認められる当時の状況に照らし、到底信用できない。)。そして、前記三18のとおり、被告人が三月二二日にAを介して E1に一〇〇〇万円を貸し付けたことに関する金銭出納帳(<押収番号略>)の記載を改ざんさせたのも、このような状況の中で行われたことであると推認できるのである。このような状況に加えて、被告人が、逮捕後間もなく、まだ本件の容疑を否認していた時期に、平塚の物件に関してAに資金を提供していた旨の供述をしていたこと等をも併せて考慮すると、前記手形控の「平塚土地」等の記載をもって、振出原因の記載であるから被告人が振出の時期に記載したものであると断定する原判決の認定は、安易にすぎるといわざるを得ない。
なお、当審で取り調べたAの平成四年一一月二五日付け検察官調書(その信用性を肯定できることは、後記10で説示するとおりである。)には、「昭和六二年五月に新宿のセンチュリーハイアットホテルに私と被告人、それにBやG弁護士が集まり、警察から調べを受けた際の相談をした際、被告人からこの平塚の物件についても私との間で取引があったようにしてほしいとか売買をしたと話してほしいと言われていた」、「この新宿のホテルで被告人と相談した際には、他の物件についても、被告人から私の方へ手形が出ているように辻つまを合わせることにし、被告人の帳簿上使途不明金がなくなるようにといった話合いもしている。」旨の供述が録取されていることも当裁判所の前記の認定を裏付けるものということができ、なお、Aの検察官調書の右供述部分についても、その信用性に特段疑いをいれる事情はないと認められる。
ウ 前記各手形控の振出日欄には、これらの手形が四月七日に振り出されたという趣旨の記載がなされていることは、前記アのとおりである。
原判決は、この点について、「右四月七日を意味する振出日が記載された状況については全く捜査されていないので約束手形帳控の痕跡や関係証拠から推測するしかないが、手形を振り出した後に、前述のメモや金銭出納帳(注。前記(3)、(4)参照)を根拠に記載したものとも考えられないではない。そうであれば、金銭出納帳やメモが四月五日の出金を七日と誤記している可能性が否定できず、約束手形帳控にも誤記された可能性が出てこよう。」(<引用部分略>)と説示している。
しかし、原判決の右の説示は到底首肯することができない。そもそも、手形控の性質や手形振出の通常の事務処理の手続にかんがみても、手形控の振出日の記載こそ、手形の振出のころにまず記載され、メモとしても最も原始的な意味をもつと考えるのが自然であり、特段の根拠なく、前記メモや金銭出納帳の記載を手形控の方に移記したというような手順を想定するのは極めて不合理な考え方というほかない。もとより、関係証拠を精査しても、本件で、右の意味における特段の根拠があることをうかがわせる事情があるとは全く認められない。また、前記メモや金銭出納帳が、四月五日の出金の日を四月七日と誤記している可能性を否定できないなどという説示にも全く根拠がないことは、前記(3)、(4)で詳細に検討したとおりである。したがって、原判決の前記の説示は、その内容自体がまことに不合理であるというほかなく、到底首肯することができない。
原判決は、また、「さらに、HA82774の手形は四月八日GE商事で、HA82775の手形は同日AE八重洲支店で割り引かれている。HA82775の手形については、四月七日の昼ころまでに J5あるいはAを通じてAE八重洲支店にあらかじめ割引の申込みがなされ、直ちに同支店から本店の稟議に付され、同日午後本店の決済が下りている。したがって、あらかじめ、 J5あるいは同支店の係員から手形振出を確認するための電話連絡がKW商事になされたことも十分考えられ、その日(四月七日)を約束手形帳控に記載した可能性等も出てこよう。……そうであれば、右『4(月)7(日)』は、Aに手形を渡した日としてではなく、振出の有無を確認する電話がかかってきた日、すなわち、振出を確認する電話がかかってきたことにより、被告人自身も手形が確定的に割引に出されたことを認識するであろうから、割引に出されることを被告人が確定的に認識した日を意味するもの等として記載されたものと理解でき、その鉛筆書きがいったん消去された後、同様のことを意味するものとしてあるいは、被告人自身が右記載をAに手形を渡した日であると誤解して、HA82773ないしHA82775の約束手形帳控の振出日欄に『4/7』を記載したのではないかとも思われる。したがって、約束手形帳控の右『4(月)7(日)』及び『4/7』がAに手形を渡した日を意味するものとして理解することには疑問が残る。」と説示している(<引用部分略>)。
しかし、原判決のこの説示によると、被告人は、HA82773から82775までの各手形を振り出したときには、各手形控の振出日欄に何も記載せず、その後、 J5かAEの係員から振出確認の電話がかかってきた際に初めて、割引先が確定したことを知ることができたHA82774、82775の各手形の手形控の振出日欄に「4(月)7(日)」と記載したということになるのであるが、このような事務処理の手順を想定することは、手形振出の通常の事務処理のあり方や手形控の機能等に照らし、これまた極めて不合理であって、特段の事情がない限り、およそ首肯し難い考え方であるというほかはない。なお、関係の証拠に照らして検討しても、右の意味における特段の事情に当たる事情など、本件では一切認めることができない。なるほど、HA82774と82775についてのみ記載されている「4(月)7(日)」に関しては、原判決の推論を入れる余地があるとしても、前述した手形控の性質、殊にそのメモとしての機能等に照らすと、HA82773から82775までの各手形の控に共通に記載されている「4/7」は、まさに右各手形の振出のころに、その振出の日をメモしておくために記載されたものであると認めるのが相当であり、この記載の時期ないしその意味に関する原判決の前記説示は、失当であるというほかない。
以上の次第であるから、前記各手形控の振出日欄に存在する消去痕についての原判決の説示は、およそ首肯するに足りないというほかはなく、これらの消去痕は、むしろ、前記HA82773から82775までの各手形が、実際に四月七日に振り出されたことをうかがわせ、その旨を述べるA、Dの前記(一)の各供述の信用性を裏付けるに足りる重要な証拠であるということができる。
エ 原判決も指摘するように、前記<押収番号略>の約束手形帳控の中にある手形番号HA82771の手形控は、ボールペン様のもので、金額欄に「¥10、000、000」と、支払期日欄に「(昭和)61(年)6(月)19(日)」と(ただし、括弧内は、印刷された部分である。)それぞれ記載されている(この手形控の金額欄及び支払期日欄には、手形本券の手形番号の部分が切り取られて貼り付けられているが、裏から透かして見ると、これらの記載を読み取ることができる。)。さらに、前記検査回答書(<書証番号略>)によると、この手形控には、受取人欄に「平塚土地建物 (株)KWハウジング」、振出日欄に「(昭和)61(年)4(月) 19 20(日)」(ただし、括弧内は印刷された部分であり、「19」と「20」とは重ねて記載されている。すなわち、「19」の上か下に「20」が記載されている。)、備考欄に「4/21 決まり・1500万円」とそれぞれ鉛筆で記載された後、消去された痕跡があることが認められる。なお、このHA82771の手形は、支払期日前回収されたため、決済されなかったことが明らかである。
原判決は、このHA82771の手形控の受取人欄の前記消去痕の記載等に照らすと、この手形は平塚の物件に関するものとして振り出されたと認められると説示しているが、前記(5)で認定した平塚の物件をめぐる状況や、前記(6)イで説示したとおり、そもそも平塚の物件に関して手形を振り出したことを表すような手形控の消去痕の記載には信をおき難い点があること等に照らすと、原判決のこの認定には疑問をいれる余地があるといわざるを得ない。
のみならず、仮にこの点については一応原判決の前記認定に従い、HA82771の手形が平塚の物件に関して振り出された(原判決は、結局、この手形の振出をもって残代金の支払いに充てられたと認定しているものと解される。)ということを前提として考察しても、HA82771の手形控の消去痕の内容は、前記HA82773から82775までの各手形が平塚の物件の関係で振り出された可能性があるという原判決の前記認定とは矛盾する意味をもつことが明らかである。
すなわち、もしHA82771の手形が平塚の物件の代金の支払いとして振り出されたのであれば、原判決の認定によると、平塚の物件に関しては、四月三日に五〇〇万円が既に支払われたというのであるから、四月一九日か二〇日における右一〇〇〇万円のHA82771の手形の振出により、少なくとも一五〇〇万円分の代金が支払われたことになる。ところで、前記手形控の備考欄の「4/21 決まり・一五〇〇万円」の消去痕は、その内容の真実性はひとまずおき、四月二一日に平塚の物件の代金が決まり、その代金全額か、その時点における残代金が一五〇〇万円であることを意味するものとして記載されたものと理解するのが自然である(右記載の意味に関する原判決の認定も同旨と解される。<引用部分略>)が、四月二一日における残代金が一五〇〇万円であったというのは考えられないから、この記載は、代金の総額が一五〇〇万円と決まったということを意味することになる。この点に加え、被告人も F17も、平塚の物件については、売買の話があった当初のころから代金額は二〇〇〇万円くらいということになっていて、特に変更はなかったという趣旨を供述している(なお、平塚の物件にはかなり高額の担保が設定されており、二〇〇〇万円を上回るほどの代金を相当とするような状況にはなかったと認められる。)こと等をも併せて考慮すると、四月五日であれ、四月七日であれ、また、代金の内金の支払いとしてであれ、代金を引当てとした貸付けとしてであれ、平塚の物件に関し、更に一五〇〇万円(現金五〇〇万円及び手形三通額面合計一〇〇〇万円)が被告人からAに交付されたというようなことはおよそ考えられないというべきである。
原判決は、平塚の物件の代金額が未定のうちに、四月五日か七日、現金、手形合計一五〇〇万円がこの物件の関係で支払われたとしても、平塚の物件の価値を考えると不自然でないとか(<引用部分略>)、前記「4/21 決まり・一五〇〇万円」については多様な解釈の余地があるから、四月五日か七日に被告人からAに渡された現金と手形合計一五〇〇万円を平塚の物件の代金とみることに、不合理性はないとか(<引用部分略>)説示しているが、既に検討した諸点に照らし、いずれも失当であることが明らかである。
ところで、被告人は、当審公判で、「四月五日にAに渡した現金五〇〇万円は、平塚の物件の内金として同人に支払ったものであり、同日Aに対して振り出された手形番号HA82773から83775までの額面合計一〇〇〇万円の手形は、平塚の物件の代金を引当てにしてAに貸したものである。これらの手形はAに貸したものであるから、決済は当然Aがすることになっていた。その後、四月一九日ころ、Aが、平塚の物件の代金として一〇〇〇万円の手形を振り出してくれと言ってきたので、これを承諾し、HA82771の手形を振り出してAに渡した。この手形は代金の支払いとして振り出したものであるから、決済は被告人がするということだった。ここで平塚の物件の代金として一〇〇〇万円の手形を新たに振り出すと、HA82773から82775までの手形については引当てがなくなってしまうことになるが、Aはこれらの手形は絶対に落とすと言っていたし、Aを信用していた。その後の四月二一日に、四月三日に支払った五〇〇万円を除く平塚の物件の残代金が一五〇〇万円と決まったので、その旨をHA82771の手形控の備考欄に『4/21 決まり・一五〇〇万円』と記載した。ところが、四月終わりか五月ころ、AがHA82771の手形を返却し、この手形の代わりに、四月五日に借りた手形を決済してくれと言ってきたので、これを承諾し、結局、HA82773から82775までの各手形を自分の方で決済することになった。」との趣旨を供述している。
しかし、そもそも右HA82771の手形の振出や、各手形控の記載の経緯・状況に関する被告人の当審公判供述は、それ自体甚だあいまいで、また、被告人に必ずしもその記憶があるのでもなく、単に各手形の控の消去痕等の記載を見るとそのように解釈できるという趣旨を供述しているにすぎないことを自認している部分もあるなど、全体として不明確で、不自然な供述に終始しているといわざるを得ないこと、HA82773から82775までの各手形を被告人が決済することになった状況等、重要な点で、原審公判でも述べないような事情について当審に至り突然供述するなど、首肯し難い重要な供述の変遷があること等は、既に、前記(5)オで、説示したとおりである。のみならず、被告人が当審で述べる前記「4/21 決まり・一五〇〇万円」の消去痕に関する説明は、要するに、四月二一日に平塚の物件の代金が決まったので、四月三日に支払った五〇〇万円を除く残代金の金額である一五〇〇万円を記載したというのであるが、代金の総額でもなく、また、右四月二一日時点における残代金の額でもない(被告人の供述によると、決定した代金総額は二〇〇〇万円であり、四月三日に振込で五〇〇万円、四月五日に現金で五〇〇万円、四月一九日か二〇日に手形で一〇〇〇万円を支払ったので、四月二一日時点における残代金はなかったということになる。)、四月三日時点における残代金をあえて記載する理由などおよそなかったというべきであり、被告人自身、なぜそのような記載をしたというのか、首肯できる説明を全くなし得ていない。以上に照らすと、被告人の前記当審公判供述も、採用するに足りないことが明らかというべきである。
オ 原判決は、「Aから四月六日に E1を殺害するための費用の捻出を依頼され、いったん殺害費用の名目を特定の用途ないしは費目としての『平塚土地』と決めた者が、あえてその後自分に有利な右記載を消し、流通先を書いたり疑惑を招きかねないような費目である『立替金』等と書いたりするであろうか。……『平塚土地』等の記載が犯罪につながるものではなく、経済取引に関するものであったからこそ、『平塚土地』等の記載を消した上、流通先や『立替金』の記載をしたのではなかろうか。」(<引用部分略>)と説示している。
しかし、右「平塚土地」等の記載が、手形振出の時点で記載されたということ、したがって、右「平塚土地」等の記載が、流通先に関する記載や「立替金」等よりも先に記載されたということを、原判決がいずれも当然の前提としていること自体、首肯できないことは、前記イで説示したとおりであり、原判決のこの説示も、その前提に誤りがあるといわなければならない。
(7) 手形番号HA82774、82775の各手形の割引状況について
ア 前記三10(二)で認定したとおり、Aは、四月八日(昼)、手形番号HA82774の手形をGE商事で、HA82775の手形をAE八重洲支店でそれぞれ割り引いている。
イ ところで、 J5及びAE八重洲支店社員の J14は、原審で、いずれも右各手形の割引を決める前、事前に手形自体又はそのファックスを受け取っているはずであると供述している(J5は、四月六日にAが手形を持ち込んできたのではないかと思うという趣旨を、 J14は、四月七日の午前中に手形のファックスが送られてきていたものと思うとの趣旨をそれぞれ供述している。)。A、Dの供述によると、事前に J5や J14が右各手形又はそのファックスを目にする機会があったとは考えられないから、 J5、 J14の前記各供述は、明らかにA、Dの供述と矛盾しているといわなければならない。しかし、 J5、 J14の右各供述部分が、その内容自体、また関係の証拠とも照らし、直ちに信用し難いものであることは、原判決も説示するとおりであり、その理由も、原判決が<引用部分略>説示しているところをおおむね是認できると認められる。
ウ ところで、AEの貸出金許可申請書写(<書証番号略>)等の関係各証拠によると、Aは、三月三一日、AE八重洲支店に対し、KW商事振出の三〇〇万円(支払期日は五月二五日)の手形の割引を申し込み、AEで審査の上、事故発生の際に抵当を付けるという条件を付した上で許可することになったこと(<書証番号略>は、その際AE社内で作成された貸出金許可申請書の写である。)、しかし、この貸出は結局実行されないままで終わったこと、四月七日午前、Aは、 J5を通じて、AE八重洲支店に対し、割り引く手形の支払期日を六月六日と変更するほかは、前回申込みの際と同様の内容で割引融資を実行してほしいという申込みをし、 J14は、<書証番号略>の貸出金許可申請書の申請の年月日を四月七日に、割引手形の満期を六月六日にそれぞれ訂正した書面(<書証番号略>)により、改めて本店に対し稟議に回したこと、その決済の結果は、同日午後二時二分、本店審査課から八重洲支店にファックスで通知があり、四月八日、AE八重洲支店で、HA82775の手形が割り引かれるに至ったこと等の各事実を認めることができる。
原判決は、この点について、「<書証番号略>の貸出金許可申請書に、変更された手形の支払期日として六月六日が記載され、この支払期日が実際に割り引かれた手形の支払期日と合致していることは明らかである。したがって、四月七日の午前中のうちに、AE八重洲支店に支払期日の変更申請がなされたということは、少なくともAは四月七日の午前中までに右手形の支払期日を正確に知っていたということになろう。これは、Aがそのころ既に右手形を取得していたのではないか、だからこそ J5を介したか否かは別としてAEに手形の正確な支払期日の連絡ができたのではないか、という疑問を生じさせる。」(<引用部分略>)という疑問を提起している。しかし、この疑問に特段の根拠がないことは、原判決自身が、「四月七日に J5あるいは J14がKW商事にいる被告人に電話をかけて振出の確認をした際、前日の四月六日にAから手形振出の依頼を受け、四月七日中には振り出すことが確定していたので、被告人が J5あるいは J14の電話に応答した際、満期日が六月六日であると連絡しているものとも考えられる。したがって、貸出金許可申請書に満期日が六月六日と正確に記載されているとしても、それ自体では四月七日の午前中には少なくともAのところに右手形が渡っていたのではないかという前提をとれないことになる。」(<引用部分略>)と説示しているとおりであり、原判決がこの判断の理由として説示しているところ(<引用部分略>)も、首肯するに足りる。
ところが、原判決は、このように述べた後、一転して、「しかしながら、四月七日午前中に被告人が J5あるいは J14から振出の有無の確認を受けたとしても、現金と手形が四月五日に渡された可能性が否定できない以上、既に四月五日にAに振り出していた手形の満期日を六月六日と連絡した可能性が残るといわざるを得ない。」(<引用部分略>)と説示している。しかしながら、前記現金、手形が四月五日に渡された可能性を否定できないという原判決のこの前提が首肯できないことは、これまで、この5の項で、種々検討してきたとおりである。したがって、原判決のこの説示は、その前提に誤りがあり、結局、理由がないというほかはない。
(8) その他
その他、関係各証拠を精査して検討しても、四月七日に被告人から E1殺害のための費用を受け取ったというA、Dの前記(一)の各供述の信用性に特段疑いをいれるような事情があるとは認められない。なるほど、この点に関するA、Dの各供述には、細かな点で相互に食い違ったり、関係の証拠とそごしたりしている点もあることは認められるが、いずれも、供述の基本的部分の信用性に影響を及ぼすような性質のものではないと認められる。
若干の点について付言すると、次のアからカまでのとおりである。
ア 原判決は、HA82773から82775までの手形の決済をだれの負担で行うのかについて、特段の話合いがなされなかったという趣旨を述べるAの供述は不自然であるとも指摘する(<引用部分略>)。なるほど、Aの供述によっても、これらの手形をだれの負担で決済することになっていたのか、必ずしも明らかとはいえない。しかし、Aの供述によると、Aは、 E1殺害後に被告人からまとまった殺害報酬が当然すみやかに支払われるものと期待していたことがうかがわれる(E1の死体発見が遅れ、保険金の支払いも遅れたため、まとまった報酬の支払いがすみやかに行われなかったのは、Aにとってはもとより予想外の出来事であったと推認できる。)。また、その報酬支払の段階で、右各手形の決済についても清算を行えば足りると考えられて当然の状況であったと認められるから、これらの手形の決済をだれが行うかというようなことについて、その振出の段階で詰めた話合い等が行われなかったとしても、特段不自然であるとは思われない。また、 E1殺害後、同人の死体が発見されず、したがって保険金も支払われないうちに、約二億円もの手形等が被告人からAに対して交付されるに至ったことは、前記三13のとおりであり、このような状況の中、右一〇〇〇万円の手形の決済について振出の後にも特段の話合いがなされなかったとしても、いずれにせよ保険金支払の段階で、約束の報酬とともに調整すれば足りることであるから、これまた原判決が指摘するほどに不自然ではないと認められる。
イ 原判決は、「Dは、四月五日の時点で、 E1殺害の実行行為に加わることを拒否しているのであるから、少なくとも、四月六日にAが、Dに対して、被告人に殺害費用を出してくれるように依頼することを指示したというAの供述は信用性に乏しいであろう。」とも指摘する(<引用部分略>)。しかし、D自身が E1殺害の実行行為に加わることを拒絶したとしても、Aの立場としては、 F2組とA、被告人との従前の各関係にもかんがみ、被告人に対する連絡等は相変らず F2組のDを通じて行うこととしても、何ら不思議ではない。したがって、前記のような理由をもってAの供述に信用性が乏しいとする原判決の評価は首肯し難い。なるほど、Dは、Aから、同人が供述するような指示、連絡を受けたことを否定する供述をしているが、この点に関する両者の供述の食い違いは、右両名の本件におけるそれぞれの立場、とりわけ、Dとしては、 F2組と本件との関係にかかわる事項については、率直な供述をはばかる立場にあることがうかがわれること等にかんがみると、それなりに理解することが可能であるというべきであり、少なくとも、Aの供述の信用性について一方的に疑問を提起する原判決の態度は相当ではないというべきである。
ウ 原判決は、また、「四月六日(日曜日)はKW商事の定休日であり、……定休日の関係で、四月六日に被告人へ連絡することはできなかったのではないかという疑問が解消できないと考えざるを得ない。当時被告人が自宅にいたのかどうかについても、全く捜査はなされていない。したがって、四月六日にAから被告人に殺害費用の支払いにつき連絡がなされたかどうかの点につき、Dを通じて依頼したというAの捜査段階からの供述に信用性がないけれども、A本人が被告人に連絡をとったとも直ちにはいえない。」(<引用部分略>)とも説示する。
しかしながら、確かに四月六日は日曜日であり、日曜日にはKW商事の営業が休みになっていたことは認められるが、そうであるからといって、日曜日にAやDが被告人と連絡をとれなかったという原判決の判断には特段の根拠がない。かえって、A、Dの各当審公判供述によると、当時、A及びDは、いずれもKW商事のみならず、被告人の自宅の電話番号も知っていたと認められるから、日曜日に連絡をとることも可能であったことが明らかである(なお、A、Dの各当審公判供述のうち、原審公判供述や捜査段階の供述と異なる点については、信用性を肯認し難い部分があることは、後記10で説示するとおりであるが、右説示の部分に関する当審供述については、特段信用性に疑いをいれる点がない。また、後記10のとおり信用性を肯認し得ると認められるAの平成四年一一月二九日付け検察官調書もこの点同旨である。)。さらに、KW商事は、被告人の個人企業というべき実態の会社であって、その事務所も被告人の自宅の付近にあったのであるから、日曜日に被告人がKW商事の事務所に赴くはずがなかったという趣旨の原判決の前提自体、決して自明のことであるとはいえないのである。なお、原判決の前記説示のうち、Dを通じて被告人に連絡した旨のAの供述に信用性がないという判断が失当であることは、前記イで検討したとおりである。結局、原判決の以上の説示もまた理由がないというほかはない。
エ 原判決は、四月七日にKW商事で被告人から現金及び手形を実際に手に取って受け取った者がだれであるかについて、AはDが受け取ったと、DはAが受け取ったと、それぞれ異なる供述をしている点を指摘した上「AがDに依頼して被告人に連絡をとったという供述が信用できないところであり、Dが受け取ったという供述は、Dが被告人に連絡した供述が前提になるものと考えられるから、この点についてもA供述は信用できない。」、「一方、D供述も、……肝心の殺害費用受渡しの状況になると、……かなり不自然な供述をしており、実際に体験したことを証言しているのか疑問を生じる。」などと説示している(<引用部分略>)。
なるほど、四月七日にKW商事で右現金及び手形を実際にだれが手にしたのかについて、AとDの各供述が一致していないことは、原判決指摘のとおりである。しかし、二人でKW商事を訪問して、右現金及び手形を受け取ってきたこと自体については、A、Dの各供述は合致しているのであって、具体的にその場でこれを手にしたのが二人のうちどちらであったかという点に関して両者の供述に食い違いがあったからといって、右授受の事実自体に関する各供述の信用性が左右されるものではない。なお、この点に関するAの供述に信用性がないと判断する理由として原判決が説示している内容自体、首肯し難いと認められることは、前記イで検討したとおりである。また、Dの供述に不自然にあいまいな点があるという原判決の指摘は、当裁判所としても首肯することができると考えるが、この点は、前記イで説示したDの本件における立場をも十分考慮にいれて考察する必要があることが明らかであって、少なくとも、右現金及び手形の授受の事実自体に関するDの供述の信用性を左右するような性質をもつものではないと認められる。
オ 原判決は、四月七日に被告人から受け取った現金及び手形の趣旨に関するA、Dの各供述が食い違っていること(前記(一)参照)を指摘した上、「四月七日に受け取ったという現金五〇〇万円のうち二〇〇万円について、T商の紹介料であるというAの供述は虚偽である。また、残りの現金三〇〇万円についての説明、すなわち、四月五日に E1方からの帰りにKW商事に寄り、 E1に貸し付けた三〇〇万円の追加融資分を被告人から返済してもらおうと考えたが、当日KW商事にそれに見合う現金がなかったのでもらえなかったというAの供述も虚偽である。」、「D供述は、五〇〇万円が殺害費用だと述べているのか、一五〇〇万円が殺害費用だと述べているのか、必ずしもはっきりしないが、そもそも、三月中旬にKW商事において、被告人、A、Dの三者で E1殺害の共謀が成立し、その帰りにAから、一億円の報酬の分配につき、『Dさんに三〇〇〇、自分(A)が三〇〇〇、Bが三〇〇〇、あとの一〇〇〇はこの費用だ。』という趣旨の話があったというのである。したがって、このD供述によれば、 E1殺害後に支払われるべき一億円の報酬の中に殺害費用が含まれていることをAも了承していたということになるのである。それにもかかわらず、四月七日に殺害費用が支払われることになったということについて何の説明もない。供述自体の中に矛盾がある。」などと説示している(<引用部分略>)。
しかし、Aの供述を虚偽と判断する理由として原判決が挙げている点が誤りであることは、既に前記3(二)(4)、5(二)(2)ウで詳細に説示したとおりである。
また、Dの供述が、右現金、手形の趣旨について必ずしも明確でないとしても、そもそもDは、Aのように、この点について関心を払うような立場にあったものでないことが認められるから、特段異とするには当たらない。また、殺害費用について、あらかじめDの供述するような話がなされていたとしても、Aが、実際に相当の費用を使って E1を北海道にまで誘い出し、そこで同人を殺害するという段になって、その当座の費用を要求するということは、そもそも事柄があらかじめの契約に従って遂行されることが期待されるような経済取引などではなく、暴力団員による殺害計画に係ることであり、まして、Aとしては、一時的にせよ、自ら経済的な負担をしてまで被告人のため E1を殺害することなどは考えなかったと推認することこそがむしろ自然であるというべきであるから、これまた原判決がいうほどに矛盾があるとか、不自然であるなどと評するのは当たらないというべきである。
カ 原判決は、四月七日に受け取った現金、手形のうち現金一〇〇万円及び額面四〇〇万円の手形(手形番号HA82773)をDに渡した旨のAの供述と、この点を否定するDの供述が食い違っていることを指摘した上、Aのこの供述は虚偽であると説示する(<引用部分略>)。
しかし、原判決は、AがこのときT商の関係の紹介料を被告人から受け取るはずがなく、したがって、その中から現金一〇〇万円をDに渡すということもあり得ないから、右一〇〇万円の現金の交付に関するAの供述は虚偽であり、また、この一〇〇万円に関する供述が虚偽であるということは、四〇〇万円の手形に関する供述もまた虚偽であるという判断に傾く事情であるなどと指摘している(なお、原判決書<引用部分略>を参照)が、右紹介料に関する原判決の判断が誤りであることは、既に前記3(二)(4)で説示したとおりであり、したがって、原判決の前記判断はその前提において誤っているというほかない。また、A、Dの各供述中に、Aが被告人から受け取った現金、手形の一部をDに渡したかどうかという点で虚偽の部分があったとしても、それは、本件における右両名の立場等にかんがみれば、それなりに理解することができる性質の事柄であって、右現金、手形の授受やその趣旨に関する両名の供述自体の信用性は何ら左右されないというべきである。
6 四月八日から E1殺害までの状況に関する供述について
(一) 北海道からの電話連絡について
Aは、四月八日に北海道へ行った後、毎日被告人と F2組に電話で経過を説明していた旨供述している。
Aのこの供述もまた、その内容自体、当時の同人の立場等に照らして、自然で合理的であり、なるほど、Aが北海道からどこに電話していたかを直接裏付けるに足りる資料は、既に存在してはいないと認められるが、Aが、札幌、函館でそれぞれ滞在していた札幌グランドホテル及び湯の川観光ホテルから、相当の電話料金を要する長距離電話を頻繁にかけていたことがうかがえること等によっても裏付けられているということができる。確かに、原判決も指摘するとおり、被告人もDも、原審公判で、Aが供述するような電話連絡を受けたことを否定する供述をしているが、この点については、被告人やDの本件における立場、特にDの場合については、同人と F2組との関係等に照らすと、それなりに理解することができ、少なくとも、Aの右供述の信用性を否定するに足りるような理由になるものではない。
原判決は、「Aの毎日被告人らに連絡していたという証言は、これを裏付ける証拠がなく、信用し難い。」と説示している(<引用部分略>)が、以上に検討した事情に照らし、理由がないというべきである。
(二) 四月八日夜の連絡について
Aは、「四月八日、 E1より先に札幌に行き、市内のキャバレーに行った。すると、 E1が後からやって来たが、自分とは面識がない二人の男が E1に同行していたので、同日夜、札幌グランドホテルから被告人に電話して、この二人の男について心当たりがないか尋ねた。すると、被告人は、年配の方は E2という弁護士崩れで、KW商事の手形を変造したりしたことがある男だ、もう一人の方はよく分からないなどと言っていた。」旨供述している。
Aのこの供述も、前記(一)で検討した点にも照らし、それ自体、本件の状況ともよく符合し、具体的かつ自然であり、このとき E1に同行していた E2(株式会社P運輸代表取締役。)やAに同行していた F21の各供述等、関係証拠ともよく合致し、また、札幌グランドホテルの前記通話記録等によっても裏付けられているということができ、その信用性に疑いをいれる点はない。
原判決は、四月九日朝、Aが E2に対して、同人の手形変造の話をしたという E2の原審公判供述は信用できないと説示する。しかし、仮に E2のこの点の供述に信用し難い点があるとしても、そのことを理由として、 E2の供述の基本的信用性が否定されるかのように評するのは失当であり、むしろ、 E1らとともに北海道に赴いたことやその後の状況等を述べる E2の供述は、全体としてその信用性が高いと認めるに十分である。したがって、同人の供述が、Aの前記供述の信用性を裏付ける証拠価値をもっていることは明らかである。
なお、被告人は、三月二二日、 E1方に赴いて一〇〇〇万円を貸してから、A、DらとともにKW商事に帰った際、 E1のことについて種々Aらに話した、その際 E2のことについても話した旨述べ、要するに、Aは、北海道に赴く前に既に E2についての知識をもっていたという趣旨を供述するが、その供述は、特段の裏付けがないのみならず、 E2、 F21らの供述等の関係各証拠と明らかに矛盾する内容であって、前記Aの供述と対比し、信用性が低いことは明らかである。原判決は、被告人のこの供述の信用性を否定できないという趣旨を説示しているが、失当というほかない。
(三) 四月一一日における三〇〇万円の追加送金について
(1) Aは、四月一〇日午後七時ころ函館に到着して、湯の川観光ホテルに着いてすぐ、被告人に電話して、持ち金が足りなくなったので、三〇〇万円くらいを住友銀行築地支店の自分の口座に送金するように依頼したところ、翌日被告人から三〇〇万円が振り込まれてきた旨を供述している。
(2) 関係各証拠によると、このころKW商事の当座預金口座はほとんど残高がない状況であったが、四月一一日、前記 F17が、被告人の依頼により、青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に五〇〇万円を送金し、同日、被告人がそのうちの三〇〇万円を、振込人の名義をDとして、住友銀行築地支店のAの口座に送金させたことが認められる。また、原判決も指摘するとおり、右三〇〇万円が送金されたことにより、Aの前記口座は、その預金残高が三一三万七四三四円となったが、Aが函館に滞在している間に合計三〇〇万円が同口座から引き出されている。そして、これらの金員は、まさにAの必要のために費消されたものとうかがわれ、名義人であるDがこの支出に関係したことをうかがわせるような事情は全く認められない。また、KW商事の銀行勘定帳(<押収番号略>)には、この三〇〇万円の送金が、摘要「立替金SO」として、記載されている。
これらの諸事実は、いずれも、この三〇〇万円が、当座の費用の追加支出として被告人に送金してもらったものである旨のAの前記供述とよく符合するものであり、Aのこの供述は、それ自体自然で、具体的であるのみならず、これらの関係証拠によってもその信用性が裏付けられているということができる。なお、Aの右供述のほか、この時期以後、被告人がAに対する送金について、いずれも本名を用いず、種々の偽名を用いていること(前記三13)等に照らすと、被告人が本件三〇〇万円の送金についてDの名義を使用したのも、この送金にDが関係しているからではなく、事柄の性質にも照らし、単にAに対する送金について被告人の関与が明らかになるようなことを避けようとしたからにすぎないものと優に推認することができる(被告人の捜査段階における自白も、その趣旨を供述している。)。
(3) ところが、原判決は、本件三〇〇万円の送金の趣旨に関するAの前記供述の信用性には疑問があるという趣旨を説示しているが、この判断には到底首肯することができない。
ア 例えば、原判決は、「検察官が E1殺害費用等と主張する現金五〇〇万円と手形三通が被告人からAに対して渡されたのは、四月五日である可能性が否定できず、また四月七日に渡されたとしても、……被告人が現金や手形を渡した趣旨が、 E1殺害費用ではなく、……平塚土地代金を引当てにした貸金等の可能性がある。そうであれば、それらの授受の際には、Aが E1殺害の意図を被告人に隠していた、あるいは少なくともAが E1殺害についての被告人の意向を確認していなかったことになろうし、 E1殺害費用の追加送金とされる三〇〇万円についても、Aが直接被告人に電話で依頼したとしても、殺害費用の追加であるという趣旨を隠した上で、あるいは少なくとも殺害費用の追加であることの趣旨が被告人に伝わらないまま、D名義での送金を依頼した可能性も否定できないように思われる。」と説示している(<引用部分略>)。
しかし、原判決のこの説示が前提とする、前記現金五〇〇万円及び手形三通が授受された日が四月七日ではなく四月五日である可能性があるとか、これらの現金、手形の趣旨が、平塚の物件の代金を引当てとした貸金等であった可能性があるとかの原判決の判断がおよそ理由がなく、誤りであることは、既に前記5の項で、詳細に説示したとおりである。
イ 被告人は、原審公判で、四月一〇日ころ、Dが電話で、三〇〇万円を貸してくれと言ってきたので、 F17から五〇〇万円の振込を受けた上、Dの指定するAの口座に三〇〇万円を送金した旨供述している。
そして、原判決は、被告人のこの原審公判供述の信用性を必ずしも否定できないと説示しているが、Dも、被告人の供述するようなやりとりについては何ら供述していない上、そもそもDに対する貸金をAの口座に送金したという被告人のその供述内容自体、不自然であるというほかなく、また、前記のとおり、Aの口座に送金された本件三〇〇万円の使途について、Dが関与していることをうかがわせるような事情は全く認められないこと、前記銀行勘定帳(<押収番号略>)にもSOのための立替えである旨の記載がされていること等にも照らすと、被告人の右供述は、Aの前記供述と対比して、その信用性をおよそ認め難いというべきであり、原判決の説示は失当である。
原判決は、SO金銭消費貸借契約書一綴り(<押収番号略>)の中に、四月一一日の三〇〇万円の振込に関し、Aが記載したと思われる「D」という記載がなされていることを重視している。しかし、以上説示の諸事情のほか、Dに実際に渡った現金、手形等についてまとめて記載していると思われる<押収番号略>の中の「D氏分」という表題のあるメモ書き部分に、本件三〇〇万円の記載がないこと等に照らすと、原判決のように、右「D」の記載を重視するのは当たらない。むしろ、右「D」の記載は、この三〇〇万円の送金がDの名義で行われたことを表しているにすぎないと認めるのが相当である。なるほど、原判決も指摘するとおり、Aは、この送金がDの名義で行われたことは知らなかったと供述しているが、その趣旨は、取調べ当時に言われるまでそのことを忘れていたという趣旨を言っているものとも解される。むしろ、Aとしては、この送金がD名義でなされていることは、被告人から言われなくとも、自分の口座の入出金を確認すること等により容易に知り得たはずであるから、そのことを表す趣旨で、前記「D」の記載をしたものと容易に推認することができる。いずれにせよ、右「D」のメモ書きを重視して、この送金が真実Dの関係したものであったという可能性を肯定しようとする原判決の立論の仕方は首肯することができない。
ウ 原判決は、「Aは、捜査段階から、 E1殺害について、 F2組が元請であり、自分は同組から下請けしたものにすぎず、四月七日の殺害費用にしてもDを通じて頼んだと供述しているのに、この三〇〇万円の追加送金依頼は、A自ら行ったと供述する。……供述全体からみると不自然さも与える」などと指摘する(<引用部分略>)。
しかし、四月七日の殺害費用依頼とは異なり、AがDとは別に北海道に赴いている場面での出来事であり、しかもかなり急いで資金を必要としたと推認される際のことであるから、AがあえてDを通さずに被告人に対して追加送金を依頼したとしても、原判決がいうように不自然であるなどと評するのは当たらない。
エ その他、検討しても、前記追加送金に関するAの供述の信用性を疑わせるような事情があるとは認められない。
(四) 四月一一日朝の電話連絡について
原判決が<引用部分略>要約しているように、Aは、原審公判で、四月一一日朝、Bから、前夜試みた E1殺害が失敗した旨の報告を受けたこと、被告人に電話してその旨を報告したこと、 F4とも電話でその話をしたこと等を供述している。
Aのこの供述もまた、前述した諸点及びその供述内容に照らしても、その信用性を疑わせる点がない。また、Aのこの供述は、Bの原審公判供述(その内容は、原判決が<引用部分略>要約しているとおりである。)ともよく符合していることが明らかであって、この点からもその信用性がよく裏付けられている。
ところが、原判決は、Aのこの供述部分についても、同人の検察官調書(<書証番号略>。供述経過を立証趣旨とし、非供述証拠として取り調べられているもの)記載供述と相反する点があること等を理由として、信用性がない旨の評価をしている(原判決はAのこの点の供述は虚偽であると断定している。)。
なるほど、Aの原審公判供述と右検察官調書との間に供述の食い違う点もあることは原判決の指摘するとおりであるが、右両供述は、四月一一日朝、Aが被告人と電話した際に、Bが E1殺害に失敗したことを話したこと等の基本部分ではよく合致しているのであり、その経緯等、原判決指摘の各点で相違するところがあるからといって、右供述の基本部分の信用性が直ちに疑われることになるかのようにいう原判決の判断には首肯し難いものがある。まして、Aの右供述が虚偽であると断定するに至っては、飛躍にすぎるというほかない。
なお、原判決は、Bのこの点に関する原審公判供述がその検察官調書とやはり食い違っていること等を理由として、同人の原審公判供述もまたその信用性がなく、虚偽であると説示している。しかし、この点については、Aの供述について前述したところがやはり当てはまる上、捜査段階では、 F2組の関係者の関与を極力隠す意図から、事実と反する供述をした部分がある旨述べるBの原審公判供述には、それなりに首肯できる点もあるのであって、同人の原審公判供述を虚偽と断定する原判決の判断にもまた到底首肯し難いものがあるというほかはない。
7 京王プラザホテルにおけるAと被告人との面談に関する供述について
原判決は、事前共謀に関するA及びDの各供述の信用性に関する前記六項目の問題点(前記1参照)の第六番目に「 E1殺害後の状況」という項目(<引用部分略>)を立てた上、それを更に1「 E1殺害後の四月一五、六日ころ、京王プラザホテルにおいて、被告人とAが会った際の状況についての供述」、2「五月下旬か六月上旬ころ、東名飯店において、AがBを被告人に会わせ、Bが被告人に対して殺害報酬の支払いを要求したという供述」、3「八月一三日、被告人がAに対して、 E1殺害の報酬として現金八〇〇〇万円を支払ったという供述」の三つの小項目に分けて検討しているが、これら三つの小項目に係る問題点は、それぞれ個別に検討すべきところが多いと考えられるので、本判決では、この7項から9項までの各項目に分けて、これらの問題点について検討を加えることとする。
(一) Aの供述
原判決が<引用部分略>要約しているとおり、Aの捜査段階における検察官調書には、四月一六日ころ、京王プラザホテルで被告人と会ったこと、その際、 E1を海に落としたところはだれにも見られていないから、安心していいとBに言われているなどと被告人に話したこと、それに対し、被告人は、『こういうことをやった以上は、 F14(A)さんとは一心同体ですから。』などと言い、Aが『一心同体というのは一蓮托生のことかい。』と聞くと、被告人が『一心同体と一蓮托生とはちょっと違う。一心同体というのは、伸びるのも滅びるのも一緒だということですよ。』と答えるなどのやりとりがあったこと、Aが E1の捜索の経費が足りないことを話し、『昨日電話でも話したとおり、費用として三〇〇万円出してくれ。』と言うと、被告人は、用意してきた一五〇万円の手形二枚を渡してくれたことなどについて供述している。Aの原審公判供述も、同人が被告人と京王プラザホテルで会うことになった経緯等、検察官調書より詳細な事情を述べている点などがあるほか、基本的には右検察官調書と同様の内容である。ただし、Aは、原審公判では、捜査段階で、警察官から一蓮托生という言葉はAから出たのか、被告人から出たのかと強く聞かれたが、自分は言った記憶がないので、被告人から言ったのだろうと話した、出た言葉は一心同体かもしれない、そのようなニュアンスの言葉は京王プラザホテルで出たと思う、などとも供述している。
(二) Aの前記(一)の供述の信用性
(1) Aと被告人が四月一六日ころに京王プラザホテルで会ったことは、関係証拠に照らして明らかなところである。そして、その際の状況等に関するAの右(一)の供述は、確かに、後記のとおり、Aがこのとき被告人から受け取ることになった手形の内容等について正確でないところがあることなどは認められるものの、このときの被告人との話の内容に関するAの供述の基本部分、すなわち、Aが、 E1殺害後帰京して間もなく、被告人に会い、 E1殺害の件について被告人に話し、 E1の遺体捜索費用の支払いを要求したこと等を述べる部分は、右一心同体ないし一蓮托生という言葉のやり取りがあった旨述べる点を含め、それ自体具体的、明確で、本件の状況に照らしても極めて自然な内容のものということができ、関係の証拠ともよく符合していて、その信用性に疑いをいれる点があるとは認められない。
原判決は、種々の理由を挙げて、Aのこの部分の供述にも信用性がない旨を説示し、また、Aの供述と対立する被告人の原審公判供述の方が信用できるという趣旨をも説示しているが、原判決のこれらの説示もまた、到底首肯することができない。以下に、原判決の説示する内容に即して、更に検討を加えていくことにする。
(2) 原判決が挙げるA供述の矛盾点について
ア 原判決は、被告人からKW商事振出に係る一五〇万円の手形二通を受け取ったというAの供述は虚偽である旨指摘している(<引用部分略>)。
なるほど、四月一六日ころ被告人からKW商事振出の一五〇万円の手形を受け取ったというAの供述が、正確でないと認められることは、原判決の指摘するとおりである。そうして、京王プラザホテルにおける話合いに基づいてAが被告人から受け取ったのは、 J3設計事務所振出に係り、KW商事が裏書をした三五〇万円の手形二通であったことがうかがわれることも、原判決が説示するとおりである(前記三11参照)。
しかしながら、極めて多数の手形を継続して被告人から受領していたAの立場に照らすと、供述当時、被告人から受け取った手形の内容についてAの記憶に混同等があったとしても、それほど問題とするまでのことはない。したがって、Aの供述に、この点で不正確なところがあったからといって、そのことのみを理由として、同人の前記供述の他の部分の信用性にまで直ちに疑問が生じるかのように評するのは相当ではないというべきである。
イ 原判決は、Aの供述の信用性を否定する理由の一つとして、Aは、四月一六日ころ E1の遺体捜索費用として被告人から手形を受け取ったと供述する一方、実際にはこれを遺体捜索費用に使ったとは供述していないとも指摘している。
しかし、 E1の遺体捜索費用に充てるつもりで被告人から手形を受け取ったとするAの供述の信用性に何ら疑問とすべき点がないことは、所論も指摘するとおりであって(<引用部分略>)、原判決のこの説示にも理由がない。
(3) 被告人の公判供述について
ア 被告人の公判供述の概要
被告人は、原審公判で、Aの前記(一)の供述内容を否定するとともに、原判決が<引用部分略>要約しているように、Aから話したいことがあるから来てくれと言われて、四月一六日ころ、京王プラザホテルに行ったこと、用件は E1のことと思ったこと、京王プラザホテルでAと会ったところ、Aは、 E1の事故の話をし、貸してあった一〇〇〇万円が取れなくなり、予定が狂ったので、金を都合してくれ、七〇〇万円あれば何とかなると話したこと、それで、翌一七日ころ、 J3設計事務所振出の三五〇万円の手形二通にKW商事の裏判を押し、Aの若い衆かだれかに渡したことなどを供述している。そして、被告人は、当審公判でも、基本的に右原審公判供述と同旨の内容の供述をしている。
イ 被告人の公判供述の信用性
あ 被告人の右公判供述のうち、被告人が四月一七日ころAに渡した手形が J3設計事務所振出のものであったという趣旨を述べている点が、関係各証拠と合致していることは前記(2)アで説示したとおりである。すなわち、この点では、被告人の公判供述の方が、Aの前記供述より他の証拠関係と合致しているということができる。
しかし、この点を十分念頭に置いて検討しても、次項以下で更に具体的に説示するとおり、被告人の公判供述は、種々の基本的で重要な内容について、疑問をいれる余地があり、Aの前記供述と対比して、その信用性は著しく低いというほかなく、また、被告人の右供述の信用性を否定できないとする原判決の判断も誤りであると認められる。
い 原判決は、Aが京王プラザホテルで被告人に対して手形の交付を要求した理由が、Aの供述するような E1の遺体捜索費用のためなどではなく、被告人の供述するような事情に基づくものであったと考えることができると判断した根拠の一つとして、Aが現にこの手形を遺体捜索費用としては使っていないと思われることを挙げているが、この説示に理由がないことは、既に前記(2)イで検討したとおりである。
う 原判決は、被告人の公判供述に合理性があると判断する重要な根拠の一つとして、「三月二二日にAを通じて E1に融資をさせた一〇〇〇万円はもともと被告人が拠出した金であるから、 E1が死亡して回収できなくなって被告人が困ることはあっても、Aには何ら不都合を生じないはずであるが、Aが E1から三月二二日に融資した一〇〇〇万円の返済を受ければ、その金を被告人から一時借りるつもりでいたことは十分に考えられるので、 E1の件を被告人から七〇〇万円借りる口実にしたとしてもおかしくない」などと説示している(<引用部分略>)。
しかし、そもそも三月二二日に E1に対して一〇〇〇万円を貸し付けたのは、Aを E1に近づける口実にすぎなかったと認められ、被告人にせよ、Aにせよ、真実この一〇〇〇万円を E1から回収しようというようなことを真剣に考えていたとは認められないことは、既に前記3(二)(4)で説示したとおりである。のみならず、仮にAに原判決の説示するような思惑がいくらかはあったとしても、そもそもAは、四月八日、 E1を殺害するために同人を北海道に連れ出しているのであるから、遅くともそのころには、殺害する当の相手である E1から右一〇〇〇万円を回収しようというような考えはもはやAにはなかったと推認することができる。
なお、被告人の供述によっても、三月二二日にAが E1に貸し付ける形をとって交付した一〇〇〇万円は実質的には被告人が出捐したものであって、回収できれば被告人が取得するはずのものであるから、Aがそれを仮に回収したとしても、自己の七〇〇万円の資金繰りに充てることを期待できるような関係にあったものでないこともまた明らかである。もっとも、この点について、原判決は、前記のとおり、Aは E1から一〇〇〇万円を回収すれば、この金を被告人から一時借りるつもりでいたことが十分考えられると説示しているが、証拠上何ら根拠のない推論であるというほかない。かえって、被告人自身、当審公判で、後記のとおり、この点について、原判決の推論とは異なる供述をしている。
付言すると、被告人は、当審公判で、この一〇〇〇万円は被告人に返すべきものではあるが、Aとしては、手数料を取るつもりでいたから、 E1がいなくなって、その目算が外れたので、自分に手形を依頼してきたものと思うとの趣旨を供述している。しかし、この一〇〇〇万円の回収について被告人の供述するような内容の手数料支払約束が具体的になされていたとは、関係証拠上認められない。また、その手数料なるものの額も、被告人の当審公判供述によると、「普通でいうと四歩(分)六まあ半分(すなわち五〇〇万円)」が相場であろうという程度であって、いずれにせよ、被告人が言うようなAの七〇〇万円の資金繰りに充てるに足りるようなものであったとは認め難い。それにもかかわらず、被告人が、Aの言い分をそのまま聞き入れて額面合計七〇〇万円の手形を交付してやったというのは、明らかに不自然である。
以上のとおり、被告人の前記公判供述は、その核心的な部分について、甚だ不合理、不自然で、信用し難い点を含んでいることが明らかである。
え 原判決は、「被告人の公判供述では、被告人はAに特段の用件がなく、単にAが被告人から手形による借入れを依頼したいがために呼び出されてわざわざ京王プラザホテルに行ったにすぎないことになる。しかしながら、これは、Aにしてみれば、自分のおかげでいずれ被告人に巨額の保険金が入ることになるということから、Aが被告人を呼び出したと考えれば、さほど不自然ではない。」と説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、被告人の公判供述によれば、Aは、京王プラザホテルで、被告人に対し、自分が E1を殺害したと話したり、その旨示唆したりすることもなく、また、保険金の話などをしたこともないということになるのであるから、Aが単に被告人が供述するような借入れの申込みの話をするために被告人を同ホテルに呼び出したというのは、まして、そのためにわざわざ一室を用意していたことがうかがわれること等に照らしても、極めて不自然であるといわなければならない。
ところで、被告人は、原審・当審の各公判で、Aにちょっと相談したいことがあると言って呼び出された際、Aの言う用件とは E1のことだと思ったと供述している。しかし、被告人の公判供述によると、被告人はAが E1とともに北海道に行っていることすら当時は知らなかったというのであるし、被告人とAとの間には、当時、 E1の件を別にしても、種々の取引に関係するやり取りがあったのであるから、当時 E1が釣り船から落ちて行方不明の状態であったことを考慮しても、Aから、突然単に相談したいことがあると言われたからといって、それが E1の件であると思ったというのは、これまたあまりにも不自然であるといわざるを得ない。Aから相談したいことがあると言われて、すぐ E1の件であると分かったという被告人のこの供述は、被告人がAとの間で、 E1に関し、事前に種々の連絡や相談等をしていたという前提があってこそ初めて理解し得る内容のものであるというべきである。
以上のとおり、被告人の公判供述は、被告人がAから京王プラザホテルに呼び出された経緯や、その際における被告人の認識等の諸点についても、著しく不自然、不合理な内容にとどまっていると認められる。
お 原判決は、被告人の公判供述の信用性を認める理由の一つとして、「京王プラザホテルで、 J7と被告人が顔を合わせなかったのは、Aの供述するような、被告人の意向というよりも、被告人は J7がホテルに来ていること自体を知らず、Aが被告人と J7を合わせたくないという意向を有していたために、そのことを被告人にも告げないまま、被告人をホテルの別室に連れていったものと思われる」、「Aは、 E1から受け取っていたWT石材振出の一〇〇〇万円の手形の件を被告人に隠していたからであろう」、「Aは、四月三日に E1から受け取ったWT石材振出の一〇〇〇万円の手形を支払期日である同月一四日に函館市内の北海道拓殖銀行湯川支店に取立てに出したが、資金不足で回収しており、同月一六日に京王プラザホテルで J7から右手形金一〇〇〇万円を支払ってもらおうとしたが、断わられているので、その金額に近い額を被告人から借りようとしたことは理解できる」などと説示している(<引用部分略>。なお、前記5(二)(2)オを参照)。
原判決の右説示のうち、Aが、四月五日(前記のとおり原判決が四月三日と説示しているのは、明白な誤記である。)に E1から受領したWT石材振出に係る一〇〇〇万円の手形を函館で取立てに出したが、資金不足のため回収せざるを得ず、四月一六日ころ京王プラザホテルに J7を呼び出して、この手形の件について交渉したことは、関係証拠上も明らかである。しかし、Aが、この手形のことを被告人に隠していたから、京王プラザホテルで被告人と J7を会わせないようにしたという原判決の説示は、誤りである。
この点について、Aは、「四月一六日ころ、京王プラザホテルに J7を呼び出して、WT石材振出の手形の件について話をした。私は、被告人もホテルに呼んでいたので、喫茶店で J7と話をしながら、フロントの方に目をやって、被告人が現われるのを待っていた。しばらくすると、被告人がフロントにやってきたので、 F21に J7の相手をさせて席を立ち、被告人の方に行って、被告人に『 J7があっちに来ているよ。』と言うと、被告人が、『あの人とはちょっと顔を合わせたくないんだ。』と言うので、被告人を別の部屋に連れて行った。」旨供述している。原判決が、Aが供述するように、被告人の方に J7を避ける意向があったとは認められず、Aの方に、被告人と J7を会わせたくないという思惑があったという趣旨を説示していることは前記のとおりであるが、そうであるのなら、Aとしては、被告人と J7の双方を同じ時間帯に同じホテルに呼び出すようなことを避ければ足りることが明らかである。ところが、本件では、Aは、被告人と J7の双方を同じ時間帯に京王プラザホテルに呼び出しているのであって、Aに、被告人と J7を会わせたくないという思惑があったとは考え難い。むしろ、Aが供述するように、被告人の方にこそ、 J7と会いたくない事情があり、Aに対し、その旨を述べたと認めるのが相当である。そして被告人がこのとき J7と会うことを避けたのは、所論も指摘するとおり、まさに、 E1殺害後間もないこの時期に、Aと一緒にいるところを J7に見られたくないという意向が被告人にあったからであると推認することができる。そうすると、原判決の前記の説示もまた明らかに失当であるといわなければならない。
(4) 以上説示のとおり、四月一六日ころ京王プラザホテルで被告人と会った際の状況等について述べるAの前記(一)の供述は、このときの話合いに基づいて被告人がAに交付した手形の内容等、一部に関係の証拠と食い違っている点もあるが、その他の基本的供述内容については、その信用性を十分肯認できることが明らかである。
8 Aが東名飯店でBを被告人に紹介した際の状況等に関する供述について
(一) Aの供述
原判決が<引用部分略>要約しているように、Aは、原審公判で、五月か六月ころ、Bから、まとまった金をどうしてもくれという催促があり、東名飯店で被告人とBを会わせることにしたこと、当日、東名飯店の席で、被告人に「実はまとまってこういう金をもらいたいという話なんだけれども、正直な話を言ってくれ。保険が下りないとお金がもらえないということを、手形でやり繰りやっているという話をはっきり言ってくれ。今函館でやった人間、私の兄弟分のBというのが来ているから、それに言ってくれ。」と言ってから、Bを被告人のそばに呼んだこと、被告人には、函館で E1をやってくれたBだと言って紹介したこと、被告人は、Bに対し、保険でこういうことでお金が出ない、今 F2組の方にお金を突っ込んでいて九州の方の仕事をやっていて、お金がうまく回っていないので、大変迷惑をかけているけれどもという話をしていたこと、Bと被告人は一〇分くらい話し、そういうことなら仕方ないと、Bも納得していたこと等の内容を供述している。
(二) Aの前記(一)の供述の信用性
(1) Aの前記(一)の供述部分は、それ自体具体的、詳細で、本件の状況に照らしても自然な内容のものということができ、Bの供述(その内容は、<引用部分略>要約されているとおりである。)を初めとする関係各証拠ともよく符合しており、その信用性に疑問をいれる余地があるとは認められない。
(2) ところが、原判決は、種々の理由を挙げて、Aの前記(一)の供述(及びこれと符合するBの供述)は信用し難いと説示しているが、その判断には到底首肯することができない。以下に、その理由について補足説明する。
ア 原判決は、この東名飯店での会合は、金山町の物件の明渡しの件と平塚土地を更地にする件を話し合うことを目的にするものであったと思われ、Bを被告人に会わせることが主目的であったとは思われないと指摘している(<引用部分略>)。
しかし、Aもまた、Bを被告人に会わせるのが東名飯店で話合いをもった主目的であったなどとは供述していない。この話合いに、 F4、D、 F17が出席していると認められること等に照らしても、原判決説示の取引の件であったかどうかはともかく、この会合を開いた主たる目的が、 E1の件以外の取引の関係であったことはうかがうことができる。そして、Aが、この話合いの機会を利用して、Bを被告人に会わせたとしても、不自然でも何でもないのであるから、原判決の右説示は、何らAの供述の信用性に疑問を生ずるような理由になるものではない。
原判決はまた、「A証言によっても、Bを北海道から呼んだのは別に仕事があったからであるともいうのであるが、B証言によれば、四月末からAに対して再三にわたって殺害報酬の催促をしたのに支払ってくれず、被告人に直接会って聞いてくれないかといわれたので北海道から神奈川に出向いて被告人に会ったというのであって、そこには軽視し難い矛盾もある。」とも説示している(<引用部分略>)。
しかし、AとBの各供述の間に、原判決指摘のような相違があるとしても、そのようなことは、本件における両者の立場の違いや、そもそもBは、Aの他の用件等のため上京することもかなりあったことがうかがわれること等の事情にも照らすと、必ずしも不自然とはいえないのであって、少なくともこの点の相違をもって、原判決説示の程度にまで重視するのは当たらない。
イ 原判決は、「Aに対しては、被告人がかなりの手形を振り出していたのであるから、Aとしても、その割引金を取得している以上、わざわざBに直接報酬を要求させる必要性には乏しいであろう。」とも指摘する(<引用部分略>)。
しかし、この東名飯店での話合いがもたれた時期にAが被告人から受け取っていた手形はいまだ比較的少額にとどまっており、Aが被告人から多額の手形を受け取るようになったのは、この話合いよりも後の時期であることは所論も指摘するとおりであって(<引用部分略>)、原判決のこの説示は、前提を欠いているというほかない。
ウ 原判決は、「そもそも、Aも捜査段階では、三月二五、二六日ころ大和グランドホテルにおいて、『保険金が下りたら報酬がもらえる。保険金が下りるまで手形を切ってくれる。』旨Bに話したので、Bも報酬は保険金が下りたときにもらえることを承知しているはずである旨供述しており、そうであれば、保険金が支払われた後にしか報酬が支払われないことを知っていたBが、Aさえ保険金の請求をしていない時点で、直接被告人に対して報酬の支払いを請求することは不自然であろう。」とも説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、Aの右供述によっても、Bは、保険金が支払われる前であっても、被告人がAに交付する手形によって自分もある程度の利益を得ることができるものと期待していたとうかがう余地もある上、仮に原判決指摘のとおり、報酬の支払いは保険金が支払われた後に行うという話がBとAとの間でできていたとしても、報酬目的で殺人を行った暴力団員であるBとしては、殺人の実行後長く特段の報酬等も支払われないまま日時を経過するうちに不安になり、改めてその支払いを督促する言動に出たとしても不自然ではないし、AがそのBを納得させるために、同人を被告人に会わせることにしたとしても、これまた何ら不自然ではない。原判決が、その説示に係る本件の報酬支払時期に関する合意なるものを、通常の経済取引における報酬支払時期の合意などと同じような性質のものとして理解している点において、失当であることは、所論も指摘するとおりである(<引用部分略>)。
エ 原判決はまた、「更に奇妙なのは、A証言も被告人が報酬を催促するBの話を納得したように言い、B証言もわざわざ北海道から被告人に殺害報酬の催促のために神奈川県に出てきて被告人と会い、何とかするとしてBの依頼を了承した回答を得たような供述になっているのに、B証言によっても、手形を切る話の具体化は知らないと言い、A証言によってもこの会合の後、被告人がBへ渡ることを意識して振り出した手形が供述されていないことである。この東名飯店での会合の後にBに渡されることを意識して被告人が振り出した手形の裏付けは全くなく、Aに対してはかなりの手形を渡していたのに、奇異であるといわざるを得ない。」などと説示している(<引用部分略>)。
しかし、原判決のこの説示については、まず、前記「A証言も被告人が報酬を催促するBの話を納得したように言」っている旨の要約が正確でないことを指摘しなければならない。むしろ、Aは、原審第一七回公判で、Bが被告人と一〇分くらい話した後のことについて、「その後、Bからはどうなったか聞きましたか。」という検察官の質問に対し、「もうそういうことなら仕方がないなということで、Bも納得してくれました。」と答えるなど、Aの原審証言は、資金繰りが苦しいことを訴える被告人の話をBの方が納得したという趣旨を述べているものであることが明らかである。
その点をひとまずおいても、そもそもBは、Aを通して被告人から本件の報酬を受け取る立場にあったのであるし、原判決がいうように、格別どの手形がBに渡ることを意識して振り出されたかというようなことを詮索することがこの場合それほど意味があるとは思われない。現に、この東名飯店での話合いの後の時期から、被告人からAに対し、多額の手形が交付されるようになったことは前記のとおりであるし、Bも、八月までの間には、約束の報酬をAから支払ってもらったことを認めていることが明らかである。
以上の次第であるから、原判決の前記の説示もまた理由がないというほかはない。
オ その他検討しても、Aの前記(一)の供述(及びこれと符合するBの供述)の信用性に疑問を生じさせるような事情があるとは認められない。
9 殺害報酬の支払い、手形の回収等に関する供述について
(一) 前提事実
関係各証拠によれば、被告人は、八月一三日に西武信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から八〇〇〇万円を下ろし(八月一一日に小切手を切っておいたもの)、右現金及びいずれもKW商事振出に係る額面二〇〇〇万円の手形一通(手形番号HA86997)、額面一〇〇〇万円の手形二通(手形番号HA86998、同86999)を持参して、東名飯店に行き、同店で、Aにこれら手形、現金を渡すとともに、同人からKW商事がAらに対して振り出していた額面合計一億〇三五〇万円の手形一五通(Aが F10や J2らから回収したもの)及びKW商事がNK石材に対して振り出していた額面合計一六〇〇万円の手形七通を受け取ったことが明らかである。
(二) Aの供述
(1) Aの検察官調書
この点に関するAの捜査段階における供述(昭和六二年九月一〇日付け検察官調書)の概要は、次のとおりである。
E1の死体が発見された後の、七月下旬ころ、被告人に、保険金がまだ下りないのかと聞いてみたが、また保険会社の方で色々調べている最中であるということだった。八月初めころ、赤坂の「新羅」で会った際か、電話で話した機会に、また「保険金まだ下りないのか。」と尋ねると、被告人は、「まだ下りない。あまり急ぐと足元見られて、一億五〇〇〇万か二億くらいしかもらえなくなってしまうんだ。」と言った。そこで、私は、「二億しか出ないのなら、それでいいから早くしてくれ。二億しか出ないなら、俺の方は、八〇〇〇万でいいから。それで終わりにするから、早くしてくれ。」と言った。八月八日ころだったと思うが、被告人が、「保険金が下りたから。」と、電話してきた。その日、私は、京王プラザホテルで被告人と会ったが、その際、被告人から、被告人がDと私に渡した手形の一覧表を渡された。被告人は、この手形一覧表を私に渡して、「八〇〇〇万円渡すから、九月末までの支払期日の手形を回収してほしい。三井銀行の方の口座には、金が入っていないから、ADの分は全部回収してほしい。」と言った。それで、私が、「これを回収するには一億二、三〇〇〇万円いるよ。」と言ってやったところ、被告人は、「足りない分は、新しく手形を切るから。」と言っていた。そこで、私は、手形の割引先の J5、 J2、 F10と話して、回収できるようにした。八月一三日ころ、東名飯店で、被告人、私、 J2、 F10の四人が会った。その際、 J2には、現金六〇〇〇万円くらいと額面二〇〇〇万円のジャンプ手形を渡して、手形を回収した。ジャンプした手形の金利分も含めて、現金六〇〇〇万円くらいを J2に渡した。 J2から一〇枚、 F10から二枚の手形を回収した。添付の一覧表(注。<押収番号略>と同じ)に×印が書いてある手形がそのときに被告人に戻した手形である。九月三〇日の二〇〇〇万の手形については、×印が付いていないが、その手形も被告人に戻したことは間違いないと思う。 J2と F10から回収した、今話した合計一二枚以外の手形で、×印が付いている分については、私が事前に J5や J2から回収して東名飯店に持って行き、被告人に戻した手形である。このようなことから E1殺しの報酬として被告人から受け取った八〇〇〇万円のうち、私の手元に残ったのは、三〇〇万円くらいであった。しかし、私としては、それ以前にKW商事に切ってもらった手形の割引金などを取得していたので、 E1の件での報酬支払いがけりがついた八月一三日ころの時点においては、被告人から私がもらった実質的な金額は、四、五〇〇〇万円くらいだった。 F4、Dの方に被告人から流れた実質的な金額は、八五〇〇万円くらいだった。したがって、被告人は、実際には、一億三〇〇〇万円前後を E1殺しの報酬として私たちに出したということになる。 E1殺しの報酬については、八月一三日ですべて終わりということになったわけである。
(2) Aの原審証言
また、Aは、この点について、原審第一八回公判で、概要次のとおりの証言をしている。
七月末か八月初めころ、赤坂の「新羅」で被告人と会った際、「死体が揚がったのだから、もう保険金が下りるだろう。」と被告人に話したら、被告人は、「せっついてそういう話をどんどん進めると、二億円か一億五〇〇〇万円くらいきりもらえないから、慌てないように。」というような話をした。それで、「なるたけ早くしてくれ。もし二億になっていまうなら、うちの方も七〇〇〇万か八〇〇〇万でいいよ。」と言った。八月八日ころ、被告人から、保険金が二億円下りたという電話連絡があった。八月六日と七日、被告人の頼みで九州のNK石材の方に行き、八月八日、NK石材の F19、 F18らを連れ、京王プラザホテルに行って、被告人らと会った。そのとき、被告人から、手形の一覧表を渡され、手形の回収を依頼された。被告人は、「現金で一億四〇〇〇万くらいは用意しよう。NK石材の土地の買収資金の残金が八〇〇だか九〇〇だかあるので、それで一〇〇〇万の手形を一枚と、会社(NK石材)の運営資金として一〇〇〇万の手形を一枚、そのほかに、二〇〇〇万の手形を持ってくる。現金と手形を混ぜて一億八〇〇〇万くらい持ってくる。」と言っていた。その中には、 E1の件での報酬も入っている。私がもらうのは、四〇〇〇万円ちょっとあったかなかったかということだったと思う。被告人は、私に払う分があと四、五〇〇〇万円くらい残っていると言っていた。報酬として八〇〇〇万円を用意するという話はあったが、手形が前に出ているので、結局その手形も回収してもらえば手形の金は懐に入ることになる。このとき、八月一三日に東名飯店で会うことを決めた。同日、東名飯店で被告人らと会ったが、被告人は、約束どおりではなく、現金は八〇〇〇万円しか持ってこなかった。被告人は、保険の金じゃない、弟かだれかの土地を銀行に担保に入れて持ってきた金だ、だから間に合わなかったと言っていた。そのほか、 J2に渡すジャンプ用の二〇〇〇万円の手形一枚と、NK石材の関係の一〇〇〇万円の手形二枚を持ってきた。 J2から手形を回収して被告人に渡し、 J2に、現金六〇〇〇万円くらいと、ジャンプ用の二〇〇〇万円の手形を渡した。ジャンプの金利を確か三四〇万円か三六〇万円くらい払った記憶がある。私の手元には一銭も残らなかった。反対に吐き出している。手形を被告人が落としてくれたりしたものもあるので、八月一三日の時点でどのくらいの利得額があったのか、はっきりいくらということは言えない。私の方は、 E1の件だけで被告人と関わっているわけではないので、この件でいくらの利得があったのか、四、五〇〇〇万円くらいの利得があったのか、はっきり分からない。八月一三日に受け取った八〇〇〇万円の趣旨は E1の件での報酬だと思う。八月一三日で、お金自体はそろわなかったが、被告人は後で面倒みるからということで、そこが一応区切りという話になった。八月一三日以降は、 E1の件での報酬を被告人に要求してはいない。
以上のとおり証言している。
なお、Aは、その後の公判期日でも、<引用部分略>要約されているように、この点について証言しているところ、その証言内容は、右第一八回公判期日における証言と、微妙な点でやや異なるところもないわけではないが、おおむねこれと同旨であるということができる。
(三) 被告人の公判供述
Aの前記(二)の供述の信用性を判断するに当たっては、これと対立する被告人の公判供述と対比しつつ、その内容を吟味するのが便宜であると思われる(原判決の判断の手法もこれと同じである。)ので、以下に、被告人の公判供述の内容を要約摘示する。すなわち、被告人は、原審第五〇回、第五一回公判期日で、概要以下のとおりの供述をしている。
八月八日夕方、長崎に行っていたAから電話がかかってきた。これから東京へ帰るから、午後八時までに京王プラザホテルに来てくれ、NK石材の人を皆連れて行くから、契約できる用意をしてきてくれ、ということだった。八時に京王プラザホテルに行って、A、 F18、 F19らに会った。 F18、 F19らから、KW商事が出資した六億四〇〇〇万円余の金を三億円にしてくれれば、その後引き続いてNK石材をやっていくからという話があり、やむを得ずオーケーした。そこで、皆の前で、 F18がNK石材振出の額面合計三億円の九通の手形を作成し、被告人が持って帰った。このとき、Aに貸してある手形の一覧表を持っていき、八月八日期日の五〇〇万円の手形を払っておいたとAに話したが、手形の回収を頼んだのはこのときではない。手形の回収を頼んだのは八月一一日のことである。同日、Aに、電話で、「KW商事で金借りたときに預けた手形を回収したい。それと、(Aに)貸してある手形もついでに回収してくれないか。NK石材を三億円で売ってくれたお礼として、全部含めて八〇〇〇万円報酬やるから、預けてある手形を回収してくれよ。」と話した。回収を頼んだ手形の中には、NK石材に渡した手形も入っている。その日のうちにAから電話がかかってきて、一応八月一三日までに回収できる手形の番号を控えてくれと言うので、手形の一覧表に×印を付けて、その旨チェックした。同じ日にまたAから電話があり、そのとき、更に確実に回収できるという連絡があった手形について、一覧表に止印を付けた。<押収番号略>の各メモにあるコピーされた×印と止がこれに当たる。八〇〇〇万円という金額は、KW商事が借りている金と、三億円で決めてくれた手数料といったらおかしいが、そういうのを入れると、大体妥当な線と思った。三億円の二〇パーセントで六〇〇〇万円、それに、KW商事が七月二一日に借りた二〇〇〇万円との合計で、大体そういうものだろうということである。Aは、初め三億円の半分くれと言っていたが、八月一一日(注。八月八日の誤りと思われる。)に三億円の手形をもらったけれども、自分のところで現金化されるのは一〇月三一日が初めてだというようなことがあったから、二〇パーセントの六〇〇〇万円で勘弁してくれという話になった。八月一三日の朝、Aから電話があり、個人的にジャンプするのに手形を貸してくれと言われたので、二〇〇〇万円の手形一通と、一〇〇〇万円の手形二通を持っていってAに渡した。Aは、これをジャンプに使う、私に迷惑はかけない、と言っていた。八月一三日にAに現金、手形を渡した経緯は、以上のとおりであって、 E1の殺害とは何ら関係がない。
以上のとおり、供述している。
また、被告人の当審公判における供述も、おおむねこれと同旨であるが、当審公判供述の中には、必ずしも軽視できない点で、原審公判供述と異なるところもあることは、後に個別的に指摘するとおりである。
(四) Aの前記(二)の供述の信用性
(1) Aの前記(二)(2)の原審公判証言の内容は、被告人とAとの現金、手形等のやり取りが、八月当時極めて頻繁、多額にのぼっていたこと等を反映して、その趣旨にかなり複雑なものがあることは否定できない。しかし、その証言内容は、要するに、Aは、被告人が保険金を受け取ったのを契機に、現金を受け取って殺害報酬の清算を図ろうとしたが、八月一三日に被告人が現金を八〇〇〇万円しか持ってこず、それを(額面二〇〇〇万円の手形とともに)、これまで被告人、すなわちKW商事が振り出していた手形の回収費用に充てたため、現金としてAの手元には残らない結果になったこと、もっとも、Aは、これまで被告人から先に手形を交付されるなどして相当の経済的利益を得ていたし、八月一三日に被告人が出捐した現金で回収した手形は、多くAが被告人から受け取って自己のために使っていたものであって、これら手形の回収が結局Aの利益になっている面のあることはもとよりであるから、右八〇〇〇万円が殺害報酬の意味を含むことは当然であるが、結局のところ、そのうちのどれだけが殺害報酬となるものか、はっきりは分からない結果になっていること等の趣旨を述べているものと解される。
Aのこの原審証言は、同人と被告人との当時の頻繁で複雑なやり取りを反映して、必ずしも単純明快なものとはいい難いことは、前記のとおりであるが、当時の両者間の手形、現金のやり取りの状況等を含め、関係証拠により明らかな当時の諸事情に照らして考察し、またこれまで詳細に検討してきたAの供述全体の趣旨等にかんがみると、その内容はむしろ極めて自然で、無理がなく、関係の証拠ともよく符合しており、十分首肯することができるものであるということができ、その信用性に特段疑いをいれる余地があるとは認められない。
なお、前記(二)(1)のAの検察官調書と(2)の同人の原審証言とを比較すると、(1)では、八月一三日に被告人が支払った八〇〇〇万円全額が E1の殺害報酬である旨が述べられているのに、(2)の証言内容は、必ずしもそうではなく、また、(2)では、被告人が当初一億四〇〇〇万円くらいの現金を持参する予定であった旨の供述がなされているのに、(1)では、その趣旨の供述がなされていないなど、両者の間で、かなり重要な点における供述の相違点がある。
なるほど、当時のA、被告人の間の、頻繁な資金のやりとりの状況、殊に被告人がそれまでにもAに多額の手形を交付し、同人に金融上の便宜を与えていたことや、Aが八月一三日に交付された現金をKW商事振出に係る手形の回収の用に充てていること等の当時の事情に照らして考察すると、同日被告人がAに交付した八〇〇〇万円の現金の全額がそのまま被告人のAに対する E1殺害の報酬であるとする前記(二)(1)の供述は、いささか事態を単純化しすぎた内容になっているといわざるを得ない。このような諸事情に照らして考察すると、Aが言わんとする内容は、同人が原審で証言している前記(二)(2)の供述によりよく表されていると認められる。ただし、Aのこのような検察官調書と原審証言との相違は、同人の原審における証言の内容、その供述の仕方等にも照らしてみると、Aが検察官に対し、意図的に虚偽を供述したことによるとまでは認められない。むしろ、両供述は、少なくとも右八〇〇〇万円が殺害報酬の趣旨を含むものであったという点では一致しているし、検察官調書は、八月一三日に被告人が持参した現金が八〇〇〇万円であったという結果を供述している点では誤りがなく、ただ、当初被告人が一億四〇〇〇万円くらいを持参する話があったということなどの経過が省略されているにすぎないとみることができる。
このように、Aの前記(二)の供述、なかんずく(二)(2)の原審証言は、その信用性を十分肯認することができる。
ところが、原判決は、Aの前記(二)の供述には信用性がなく、これと対立する内容の前記(三)の被告人の公判供述の信用性を否定し難いという趣旨を説示している。しかしながら、原判決のこの判断は到底首肯することができない。以下に、項を改め、原判決が右判断の理由として説示している諸点に即して、その理由を補足説明する。
(2) Aの供述内容の信用性に関する原判決の指摘について
ア Aが京王プラザホテルに出かけた経緯について
原判決は、「八月八日には、Aが長崎から東京に飛行機で来て京王プラザホテルへ直行したものと認められるので、被告人が同日Aに電話をかけて保険金が二億円下りたという連絡をしてきた旨のAの供述は信用できない。」と指摘している(<引用部分略>)。
しかし、Aは、被告人の依頼で長崎に行っていたと認められるのであるから、被告人としても、Aからその連絡先を聞くなりして適宜連絡をとることは可能であったとうかがうことができ、少なくとも、連絡をとることが不可能であるという前提に立って原判決のように結論することができないことは明らかであるというべきであるから、原判決のこの説示は、およそ採用の限りでない。
イ 被告人が手形回収を依頼した時期等について
原判決は、「被告人は、八月八日に、京王プラザホテルで、それまでにAに渡していた手形の一覧表(<押収番号略>と同内容のもの)をAに渡しているが、被告人の公判供述のように、(手形の回収を依頼するためではなく、)単に今後支払期日が来る手形を確認させるためにこれを渡したと考えても不自然ではない。……また、<押収番号略>(なお、<押収番号略>は、これに更に書込み等が加えられたものである。)、<押収番号略>のメモには、同時点における被告人が回収できると考えた手形以外の分まで記載されていることも、被告人の公判供述を裏付ける方向に傾く事情であろう。また、<押収番号略>等のメモには、被告人がAから借り入れた金額も記載されていることも、同様に考えてよい事情である。……被告人の公判供述は、右メモに×や止が記載された経緯が具体的であり、記載状況にも符合している。」などとして、「被告人が当初から、右メモを手形回収のための資料として利用する意思で八月八日にAに渡したという趣旨に理解できるAの供述には、疑問をいれざるを得ない。」と説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、<押収番号略>の各メモがAによる手形回収の基本になっていることは、原判決も認めているとおりである上、被告人が、これまでAに交付していた手形等の一覧表をAに渡し、それに基づいて、Aが供述するような文言で、手形の回収を依頼したとしても、何ら問題とすることはないのであって、原判決の指摘するような諸点は、格別Aの供述の信用性を否定するに足りる理由になるものではない。
ウ 被告人が持参を予定していた現金の金額について
原判決は、「Aが八月一三日に回収した手形の額面合計額は、NK石材に振り出していた手形一六〇〇万円分と合わせて一億一九五〇万円である。これは被告人が当日持参した現金八〇〇〇万円と手形四〇〇〇万円の合計額にほぼ相当する額で、Aは、もともとNK石材関係の手形を含めても、被告人が八月一三日に持参してくる額に相応する額の手形しか回収に動いていなかったのではないかと思われる。」などとした上、「Aが回収した手形の総額が被告人が持参してきた現金と手形の総額におおむね合致していることからも、被告人が持参する予定の現金は、実際に被告人が持参したきた八〇〇〇万円であったものと認められる。」と説示している(<引用部分略>)。
しかし、被告人が当日持参した額面各一〇〇〇万円の手形二通(手形番号HA86998、同86999)は、Aの供述によると、それぞれNK石材の土地残代金支払いのため、及びNK石材の運営資金の支払いのために振り出されたものであって、手形の回収とは関係がないというのであり、特に、このうちHA86998の手形は、現にNK石材に対して振り出されていることが、手形面上明らかであるから、この手形については、Aの供述が客観的にも裏付けられているということができる(後記エをも参照)。そうすると、このように性質の異なる手形や現金の数額を単純に合算して、前記のような結論を導いている原判決の説示は、その推論の過程に合理性がなく、まして、この推論を根拠として、被告人がもともと八〇〇〇万円の現金を持参することしか予定していなかった旨認定する原判決の判断の仕方は、およそ首肯するに足りないというほかない。
原判決は、また、「Aの公判供述のように、当初は現金一億四〇〇〇万円と書換用の手形二〇〇〇万円(NK石材の維持費等として二〇〇〇万円の手形を振り出すことになっていたと供述しているので、持参した四〇〇〇万円の手形からこの二〇〇〇万円の手形は除外して検討する。)という話だったとすると、被告人は合計一億六〇〇〇万円持参して手形を回収する予定でいたということになる。ところが、当日被告人が持参したのは現金八〇〇〇万円と手形二〇〇〇万円であるから、合計は一億円にしかならない。八月一三日までの間に、回収できる手形についての連絡をAが被告人にしていることは優に認められるにもかかわらず、それほど大きな変更について、被告人が事前に何ら連絡をしないまま、当日突然現金を八〇〇〇万円に減額して持ってきたというのは、いかにも不自然である。したがって、八月八日の時点では、現金で持ってくる額が一億四〇〇〇万円、手形が四〇〇〇万円ということだったが被告人が現金を八〇〇〇万円しか持ってこなかったというAの公判供述は、虚偽であり、信用できない。」とも説示している(<引用部分略>)。
しかし、Aの原審証言は、Aが当初持参することを予定していた現金一億四〇〇〇万円くらいとは、その全額が手形回収資金に充てられるものではなく、Aが現金として取得するはずであったものも含まれていたという趣旨を述べていることが明らかであって、原判決のこの説示は、Aの供述の趣旨を正解しないまま、これを虚偽であり、信用できないなどと、短絡的に結論しているものというほかないのであって、これまた甚だ不当な説示であるというほかない。
エ 手形振出の経緯について
原判決は、種々の理由を挙げて、八月一三日に額面合計四〇〇〇万円の手形三通(手形番号HA86997ないし同86999)を持参した理由に関するAの供述は信用できず、Aが個人的にジャンプするのに必要だからと言うので、手形を振り出してやった旨を述べる被告人の公判供述の方が信用できると説示している。
その理由の中で、原判決は、まず、HA86997の手形(額面二〇〇〇万円)の受取人は白地で第一裏書人が J4(J2の関係者)であること、HA86998、同86999の各手形(額面各一〇〇〇万円)は、その受取人兼第一裏書人がそれぞれNK石材と J5であること、HA86998と同86999の各手形は一〇月三〇日に、HA86997の手形は同月三一日いずれも青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座により決済されていること、一〇月三〇日付けで、青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座にKW商事名義で三〇〇〇万円が振り込まれているが、右振込に係ると認められる振込金受取書(<押収番号略>)がAの妻から任意提出されていること、約束手形帳控(<押収番号略>)中の、HA86997と同86998の各手形控には、いずれもその備考欄に「振込有り」と記載されていること、<押収番号略>のメモには、HA86999の手形について「手形の件で」と付記されていること、SOに勤務する F29が作成した<押収番号略>の三枚目のメモには、HA86997、同86998について「差し替え」と、HA86999について「仕事の融資保証」と、それぞれ記載されていること等を指摘する(なお、以上指摘に係る事実自体は、証拠上すべてこれを認めることができる。)。その上で、原判決は、前記の判断の理由として、<1>「一〇月三〇日にAから青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に三〇〇〇万円が振り込まれ、右各手形のうちHA86997及びHA86998が、Aからの右三〇〇〇万円の振込で決済されたものと認められる。したがって、右二通の手形はAの負担で決済されていることになるから、HA86997とHA86998の手形は、Aが個人的に手形を書き換えるために、被告人が振り出したものと認めるのが相当である。またHA86999の手形が、同支店のKW商事の当座預金口座から決済されたことが認められるが、……本来Aが負担すべきものを資金が用意できなくて被告人が決済したのか、もともと被告人が負担して決済すべきものであったのかは判然としない。」、<2>「<押収番号略>のメモにHA86999の手形は『手形の件で』と記載されていること、<押収番号略>の三枚目のメモにHA86999の手形はAの仕事の融資あるいは保証として振り出されたことを意味する『仕事の融資保証』と記載されており、Aは、右記載について、はっきりしないがNK石材関係の経費か何かでもらったものだと思うと供述していることも考慮すると、HA86999の手形は、他の二通と異なり、手形を書き換えるために振り出されたものであるとは考え難い。」、<3>「(Aは、HA86998、同86999の各手形は、NK石材の土地購入代金の支払いと同社の運営資金として振り出されたものであると供述しているが、)このような趣旨で振り出された手形であれば、これらの手形は、NK石材に裏書され、かつ被告人が決済しなければならない手形ということになる。しかしながらそのうちHA86998の手形は受取人兼第一裏書人がNK石材となっているが、HA86999の手形は受取人兼第一裏書人が J5となっている。また、右二通の手形のうち、HA86999の手形だけが、最終的な負担者は別としても、直接的には、被告人が決済している(HA86998はAが決済している。)。」、<4>「<押収番号略>の三枚目のメモにはHA86998の手形は、八月一三日以前に振り出されていた手形に差し替えられて振り出されたことを意味する記載がなされていることから考えると、Aが供述するような土地代金等新たな目的で振り出されたものとは考え難い。右一〇〇〇万円の手形がNK石材に裏書されている理由は明確ではないが、<押収番号略>の三枚目のメモにはHA86998の手形について、八月一三日以前に振り出されていた手形に差し替えて振り出されたことを意味する記載がなされていることから考えて、AにNK石材関係の合計一六〇〇万円の手形を回収してもらうために渡されたのではないかとも考えられる。」、<5>「前記のとおり、HA86997及びHA86998の手形は振出のころではなく支払期日の時点におけるAの振込で決済していることが認められるので、被告人が割引金を利用した手形の書換えのために振り出されたものとは認め難い。したがって、被告人が八月一三日に振り出した四〇〇〇万円の手形のうち、少なくともHA86997とHA86998の二通額面合計三〇〇〇万円については、Aが個人的に手形を書き換えるために振り出されたものと認められるから、被告人が、Aが個人的にジャンプするために四〇〇〇万円の手形を切ってくれと言ってきたので振り出したと供述しているのは、右のとおりの証拠に照らすと、少なくとも三〇〇〇万円分の手形を振り出した理由については、信用性が認められる。」、<6>「八月一三日以前に被告人がAに振り出していた手形は、これが E1殺害に関係するものであろうがなかろうが、いずれにしても、振り出した被告人の方から、回収のために手形を新たに振り出すことは不合理である。」などの諸点を挙げている(<引用部分略>)。
しかしながら、まず、HA86997の二〇〇〇万円の手形は、Aが、被告人の依頼により J2から手形を回収する際、その一部手形をジャンプするために被告人から交付を受けて J2に渡した書換手形であることは、 J2の原審証言によっても明らかなところであって(J2のこの証言部分に疑問をいれるべき点はない。)、これと同旨のAの供述は十分信用するに足りる。また、残る二通の手形のうち、HA86998の手形が現にNK石材に対して振り出されていることは、これまた、それ自体、この手形がNK石材の資金の必要のために振り出されたことを推認させるに十分であり、その趣旨を述べるAの供述の信用性を裏付ける事情であるということができる。反対に、被告人が公判で供述するように、この手形がAの資金の必要のために振り出されたものであるならば、AがこれをNK石材に交付するということは、関係証拠上明らかな当時の状況にも照らし、およそ考え難い。原判決は、「HA86998の手形がNK石材に裏書されている理由は明確ではないが、…AにNK石材関係の合計一六〇〇万円の手形を回収してもらうために渡されたのではないかとも考えられる。」とも説示している(<4>)が、原判決のこの想定は、原判決がその信用性を肯定する被告人の公判供述(すなわち、Aが個人的にジャンプするのに手形を貸してくれと言うので、手形を渡してやったというもの)とも矛盾する内容であって(弁護人は、必ずしも矛盾するものではない旨を主張するようであるが、理由がない。)、関係証拠上も根拠がなく、到底首肯するに足りない。なお、原判決のこの想定によれば、被告人は、Aに一〇〇〇万円の手形を交付することにより、額面合計一六〇〇万円のNK石材関係の手形を回収したということになり、まことに不合理でもある。また、残るHA86999の手形は被告人によって決済されていると認められるから、これが被告人の供述するような経緯で、Aの必要のために発行された手形であるとは、やはり考え難い。なるほど、HA86999の手形は、HA86998とは異なり、NK石材に対して交付されておらず、 J5に対して交付されている(前記<3>)が、当時、Aは、被告人の委任を受けてNK石材側と交渉し、その過程で、NK石材の事業についても相当程度関わりをもつようになっていたことが認められるから、同社の資金の必要のため、この手形を J5のもとで割り引いてやったというようなことも十分合理的に想定することができ、したがって、この交付先の点は、格別HA86999の手形がNK石材の資金の必要のために振り出されたものであるというAの供述の信用性に疑問をいれる根拠になるような性質の事柄ではない。
以上に照らすと、これら手形の振出の経緯をみても、Aの供述の信用性は裏付けられていると認められる一方、被告人の供述は、その信用性を肯認し難いことが明らかである。
補足すると、原判決は、HA86997及び同86998の額面合計三〇〇〇万円の手形がAの振込により決済されたことを極めて重視している(前記<1>、<3>、<5>)。なるほど、一〇月三〇日に三〇〇〇万円がAによって青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に振り込まれ、この資金によって右各手形が決済されたことは、原判決の認定するとおりであると認められる。しかしながら、当時、被告人とAとの間に、極めて多額で頻繁な資金のやり取りが行われていたことは、これまでも説示してきたとおりであり、このような状況にも照らすと、Aが右各手形の決済資金を提供しているからといって、この手形が本来Aの個人的な必要で振り出されたものであると直ちに結論することはできない。
現に、Aは、この一〇月三〇日の振込について、半月くらい前に被告人から、額面合計五〇〇〇万円から六〇〇〇万円くらいの二〇ないし三〇通の手形を渡され、 J5、 F10、 J2のもとで割り引いた金を被告人に送金したものであると証言している。Aのこの証言は、公判で前記<押収番号略>の振込金受取書をいきなり示されて行った供述でもあり、その正確性をそのとおりに肯定できるかについては、確かに問題がないわけではないが、この振込が、被告人の供述するような事情とは別の、それなりの経緯があって行われたことをうかがわせるものであって、その限りで首肯するに足りる内容をもっている。原判決は、Aの右証言は虚偽であると断定しているが、この判断は、以上説示の諸事情に照らし、首肯することができない。
その他、原判決が説示する前記の諸理由について更に補足すると、前記<2>の説示は、その趣旨が甚だ不明確であるが、いずれにせよ、Aは、HA86999の手形が書換えのために振り出されたものであるなどとは供述していないのであるから、何らAの供述の信用性を左右するに足りる理由になるものではない。なお、原判決は、<押収番号略>の三枚目に、この手形について、「仕事の融資保証」と記載されているのは、Aの仕事の融資あるいは保証の趣旨を表しているという前提で判断しているが、右の記載は、被告人の仕事の関係で振り出されたという趣旨を表していると解釈することが可能であり、原判決のこの判断もまた首肯できない。
また、原判決の<4>の説示にも理由がないことは、既に詳説したところによって明らかであるが、若干付言すると、原判決は、<押収番号略>の三枚目に、HA86998の手形について、備考欄に「差し替え」という記載がなされている点を取り上げ、この点も、右手形がAの供述するような新たな目的で振り出された手形ではないことをうかがわせているという趣旨を説示している。しかしながら、前記 F29らが作成していたこの<押収番号略>は、そこに記録されている各手形の受取の日や支払期日、金額等の記載はともかく、その備考欄については、必ずしもその正確性を保し難い点があり(なお、弁護人も、<押収番号略>の二枚目のAD01455の手形に関する「KW現金を使う」という備考欄の記載は、事実と異なる旨主張している。)、HA86999の手形に関する「差し替え」の記載も、 F29が、その直前にHA86997の手形(前記のとおり、これはまさに差替えのために発行された手形である。)についてその備考欄に「差し替え」と記載したのに続き、誤ってこれと同内容の記載をしたなどの可能性を考えることもできるから、この点は、必ずしも原判決の右のような判断の理由とするに足りるものではない。
また、原判決の前記<6>の理由は、被告人が手形の決済資金が十分でなかったため、一部の手形について差替えのための手形を発行したとしても、当時は、被告人とAの種々の取引をめぐる経済上の関係がなお継続することが予想されていた状況であったこと等にも照らすと、何ら不自然でないから、これまた首肯するに足りないというほかない。
以上の次第であるから、原判決の説示は、いずれも理由のないことが明らかである。
オ Aの供述の変遷について
原判決は、「Aの供述は、質問者に迎合する点もあるものの、八月一三日に被告人が持参することになっていた金額についても、またその中で殺害報酬が全部なのか一部なのか、という点についても、錯綜動揺し、変遷している。」、「Aの供述は、被告人が当初 E1殺害の報酬として現金を持参する話であったという点では供述が一貫しているように思えるが、八〇〇〇万円の趣旨が E1殺害の報酬と供述してみたり、殺害の報酬ではないような供述をしてみたり、変遷している。また、当初の被告人との電話の内容とかみ合っていない。Aの供述から受ける強い印象は、被告人が、当初現金で一億四〇〇〇万円持ってくるという話だったにもかかわらず、八〇〇〇万円しか持ってこなかったために、自分が回収資金を持ち出す結果になり、A自身が利得を上げていないという点を強調していることである。すなわち、自己の利得が少ない、あるいはなかったことを何とか強調したいという意識が強くうかがえる。」などと、要するに、Aの供述は不自然に変遷しており、この点からも信用性が疑われるという趣旨を説示している(<引用部分略>)。
なるほど、Aの前記(二)の供述の間、殊に同人の捜査段階における供述と原審公判における証言との間に、無視し得ない相違点があることは前述のとおりである。しかしながら、Aのこれらの供述は、その基本的な点については内容が一貫していると評価できる上、前記の供述の相違は、Aが意図的に虚偽の供述をしたからというのではなく、特に捜査段階では、八月一三日に手形を回収するに至る経過に関し、重要な点で説明が省略されるなど、かなり事態を単純化した供述内容に終わっていることに由来すると解することができ(もとより、これは、取調官の本件に関する理解に必ずしも十分でないところがあったことによるという側面があったことも否定できない。)、したがってこれらの相違点の存在も、同人の供述、殊にその原審公判証言の基本的信用性を否定するに足りるものでないことは、前記(四)(1)で既に説示したとおりである。そうすると、原判決の前記の判断は、これまた首肯するに足りないというほかない。
付言すると、原判決は、Aが、自分が利得を上げていないことを強調するために供述を変遷させているという疑いをもっているようである。しかしAは、捜査段階では、被告人が八月一三日に現金八〇〇〇万円を持参した旨を述べる一方、当初これを上回る現金を持参する予定があったなどとは供述していなかったのに、原審公判では、当初は被告人が一億四〇〇〇万円くらいの現金を持参する予定であり、Aとしても、この中から相当額の現金を取得することを意図していたなどと、捜査段階でも述べておらず、しかも自己の利得の意図をより明確にするような事柄を新たに供述するに至っているのであって、このようなAの供述の経過は、原判決の右の疑いとはむしろ矛盾している面があることは否定できない。したがって、原判決の前記の説示は、この点でも首肯し難いといわざるを得ない。
カ 清算としての(不)合理性について
原判決は、八月一三日当時までにAが被告人に対して行った送金、資金提供等の内容について検討を加え、他方で、この期間に被告人がAに対して行った送金、手形決済等の資金提供の状況についても検討を加えた上、結局、この期間に被告人の方がAに対し、少なくとも二七〇〇万円あるいは三八〇〇万円程度を実質的に負担し、持出しになっていると認められると認定している(<引用部分略>)。そして、原判決は、その上で、「A証言によっても、八月一三日に被告人が持参した八〇〇〇万円を受け取るまでの間に、被告人とA間で、被告人が八月一三日までにAに持出しになっていたと認められる右の金額が話し合われた形跡はない。被告人がAに対して振り出していた手形のうち、被告人の資金捻出のために割引に尽力したものでない手形については、 E1殺害の報酬だというのであるから、被告人が持出しになっている右金額についての清算が行われていないというのは奇妙である。…八月一三日に支払われた金額あるいはその一部に E1殺害の報酬が入っているのであれば、被告人の方が実質的に持出しになっている金額を相殺し、八〇〇〇万円との差額をAに渡して手形を回収させるか、あるいはこの差額を今後満期の到来する手形の決済に回すのが通常と考えられる。被告人がAに渡す方法としては、現金である必要はないからである。しかし、そのような方法はとられていないし、Aの捜査段階からの供述によっても、話題にさえなった形跡がない。この点は極めて不自然である。したがって、このことは、そもそも E1殺害前に、AやDが言うような、 E1の生命保険金が下りるまでは、被告人が手形を振り出し、その手形は割引に出して使用した者が決済し、残額を報酬支払いの時点で清算して支払うという合意が成立していなかったのではないか、すなわち殺害の事前共謀がなかったのではないかと疑わせる事情である。」と説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、Aの供述、ことに前記(二)(2)の原審公判証言は、八月一三日当時までにAが被告人から資金提供を受けて相当の利得を得ていたことを自認し、そのことを前提とした上で同日に手形回収や E1殺害の報酬の支払いを遂げようとしたという趣旨を述べていることが明らかである。すなわち、Aによると、 E1殺害の報酬が八〇〇〇万円であることを前提にして、八月一三日当時Aの取り分がなお四〇〇〇万円から五〇〇〇万円程度あったというのであるから、その趣旨は、逆にいうと、このころ、Aは、被告人から三〇〇〇万円から四〇〇〇万円程度は既に利益を受けていたという趣旨を自認していることが明らかというべきである。すなわち、Aは、原判決が認定する二七〇〇万円あるいは三八〇〇万円程度の資金負担を被告人から得ていたことを前提にした供述をしているのであり、原判決がいうような意味での清算をすることをそれなりに念頭においていたことを認めているのである。なるほど、Aと被告人との間で、被告人が持出しになっている金額を明示的に確認しあい、その清算方を厳格に取り決めるというようなことをしていないことは確かであるが、暴力団員との間の殺害報酬の支払いという事柄の性質や、また、被告人とAとの間には、当時、このほかにも、種々の形での資金のやり取りが継続していた状況にあったことなどにも照らして考察すると、前記のような通常の取引行為におけるような形での厳密な清算が行われていないことをもって、不自然というのは当たらない。むしろ、厳密な清算までしないことも十分考えられる。
そうすると、原判決の前記の説示もまた、理由がないというほかはない。
キ 回収の対象になった手形の範囲について
原判決は、「八月一一日の時点では、<押収番号略>に記載の手形のうち、『止×』あるいは『×止』がコピーされている支払期日が八月三〇日までの手形が回収される(ただし、そのほかに九月三〇日が支払期日であるAD01455の額面二〇〇〇万円の手形も回収されることになっていた。)ということで被告人も納得していたものと認められる。ただ、実際には、八月一三日に、<押収番号略>にボールペンで『止×』が記載されている支払期日が九月五日の手形三通(HA86551ないしHA86553)も回収されていることなどから考えて、被告人としては、Aに対して、より多くの手形の回収を希望していたものと思われる。被告人が振り出した手形の中に、被告人が自分で使用する資金を捻出するために振り出したものも混じってはいるが、八月一三日で E1殺害の報酬の支払いが終了するのであれば、それまでに殺害報酬として振り出した手形のうち、支払期日が到来していない手形については、全部が回収の対象にならないとおかしいことになる。したがって、回収の対象となった手形の関係からも、報酬性、清算性は認め難い。この点も、Aの供述するような事前の共謀がなかったのではないかという方向に考えざるを得ない事情である。」と説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、Aの供述によると、八月八日の時点で被告人がAに回収を依頼した手形は、原判決説示のように、<押収番号略>に『止×』、『×止』の印がコピーされた手形にとどまるものでなかったということになることが明らかであり、原判決も指摘するように、右コピーの印がなされていない手形の中にも、Aが現に回収して八月一三日に被告人に手渡したものもあったこと等の事情に照らすと、被告人としては、できるだけ多くの手形を回収したい意向をもち、その旨Aに依頼していたことが優に認められる。八月一三日にAが回収してきた手形が前記(一)の合計二二通にとどまったのは、被告人が回収のために用意する予定の現金、手形の金額が前判示の程度であり、また回収のための時間的余裕もあまりなかったこと等の事情によるものとも推認することができる。なるほど、Aも被告人も、これまで被告人がAに振り出していた全部の手形をこの機会に回収しようとまで考えてはいなかったことは認められるが、これもまた、前記カでも説示したとおり、暴力団員相手の殺害報酬の支払いという事柄の性質にもかんがみ、また、被告人とAとの間には、当時は、今後とも種々の形での資金のやり取りが継続して行われることが予想されていた状況であったこと等の諸事情にも照らすと、この機会に一切の清算が厳密な意味で行われてはいなかったとしても、これまた原判決がいうほどに不自然であるとはいえないのであって、これらの点を理由として、Aの供述の信用性を否定するのは当たらないというほかない。
したがって、原判決の前記の説示もまた理由がないと認められる。
ク 手形の回収のためにまた手形を発行しているという点について
原判決は、「Aは、八月一三日に被告人が新たに振り出した手形三通のうち、二〇〇〇万円については、手形の回収資金であると証言する。しかし、八月一三日の現金八〇〇〇万円が殺害報酬の支払いであれば、手形の回収のために新たに手形を振り出すというのは、清算とは相いれないものであろう。」とも説示する(<引用部分略>)。
しかし、原判決の指摘する二〇〇〇万円の手形、すなわち手形番号HA86997の手形は、Aの供述によると、ジャンプ用の手形として J2に交付されたというのであり、Aがこれを手形の回収資金であると証言しているという原判決の要約は正確ではない。もっとも、原判決の指摘は、ジャンプ手形にせよ、手形を新たに発行するというのは、この機会に殺害報酬の清算を遂げようとしたというAの供述の前提と矛盾するという趣旨を説示しているものとも解される。しかし、八月一三日に回収された手形の中には、被告人すなわちKW商事の資金の都合により発行されたものもあったと認められるのであり(少なくともHA86571の額面二四〇〇万円の手形が被告人の資金上の都合により発行されたものであることは、被告人も認めている。なお、八月一三日に被告人が持参した現金のうち二〇〇〇万円は、この手形の回収のために渡された疑いがあるという趣旨の原判決の認定が首肯できないことは、後記サで検討するとおりである。)、この機会にジャンプ用の手形が発行されるということは、この点からも、特段不自然ではない。のみならず、当時の状況に照らすと、殺害報酬の関係でも、この機会に、原判決がいうような、厳密な意味での一切の清算が遂げられてはいなかったとしても、原判決が説示するほどにまでこの点を不自然と評価するのは当たらないと認められることは、既に前記カ及びキで説示したとおりである。
したがって、原判決の前記の説示もまた理由がないというほかない。
ケ Aが取得した実質的な利益について
原判決は、「Aの供述によっても、八月一三日における被告人とAの手形、現金の授受の結果、Aの手元にはほとんど金員が残っていないのであって、少なくとも手形を回収して被告人に渡したAにとっては、手形を回収したことが格別利益になっていない。A証言は、被告人に対して、 E1殺害の報酬を催促した結果、報酬が八〇〇〇万円に減額になった旨、いかにもまことしやかに言うけれども、現実には八月一三日の行動の結果、Aにはほとんど利益を生じていないのである。それにもかかわらず、それまで被告人から多額の手形を取得しているAが、殺害報酬額を一億円から八〇〇〇万円に二〇〇〇万円も減額してまでその支払いを催促し、自分にほとんど得にもならないことをするというのは理解し難い。このことは、八月一三日に殺害報酬が支払われたということの疑問にとどまらず、殺害報酬が八〇〇〇万円に減額されたという経緯についても疑問をいれざるを得なくなる事情である。」とも説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、既に詳細に説示したとおり、Aは、これまで被告人から現金を受け取ったり、KW商事振出の手形を多数発行してもらい、一部についてはその決済をしてもらうなどして、現に相当額の利益を得ていたのであり、また、八月一三日に回収された手形のうち相当数のものは、Aのために振出を受けたものであって、これを被告人の資金によって回収すれば、そのこと自体、Aの利益になる関係にあったこともまた明らかなところである。なるほど、Aは、八月一三日に被告人から現金でも相当額を受け取ることを意図していたが、被告人が当初の話に反して現金としては八〇〇〇万円しか持ってこなかったため、自分の手元には金が残らない結果になったと供述しているが、そうであったとしても、Aのもとにはなお相当の利益が残る関係にあったことは前記のとおりである。また、Aが、八月一三日、当初期待していたように、現金の形で報酬を受け取ることはできなかったとしても、前記のとおり、被告人とAとは、当時は、今後とも種々の形で多額の資金のやり取りを行うことが当然予想される関係にあったのであるから、Aが、被告人に前述の意味で当初の約束に反する点があったにもかかわらず、被告人のため手形の回収等をしてやったとしても、この点を原判決がいうほどに不自然であると評するのは当たらない。
したがって、原判決の前記の説示もまた、理由がないと認められる。
コ NK石材に関する被告人の供述について
原判決は、八月一三日に持参した現金八〇〇〇万円のうち六〇〇〇万円は、AがNK石材に額面合計三億円の手形を振り出させたことに対する報酬として同人に渡したものである旨の被告人の供述(前記(三))について、種々の検討を加えた上、その検討の結論として、被告人の右供述の信用性は排斥し難いように思われると説示している(<引用部分略>)。
なるほど、被告人は、原審公判では、原判決も指摘するように、八月一三日に持参した現金八〇〇〇万円のうち六〇〇〇万円は、八月八日ころAがNK石材の F18、 F19と交渉して、被告人に額面合計三億円のNK石材振出手形を発行させたことについての報酬であるという趣旨を供述し(NK石材の件を三億円でまとめてくれた手数料という言い方もしている。)、殊に、Aは当初はNK石材の話をまとめたら半分くれと言っていたから、三億円の半分の一億五〇〇〇万円を要求するところだったが、八月一一日にAと話した際、NK石材から三億円の手形をもらったけれども、自分のところで現金化されるのは、一〇月末が最初なので(注。八月八日ころ被告人が受け取ったNK石材振出の手形は、額面三〇〇〇万円のもの八通、額面六〇〇〇万円のもの一通の合計九通であるが、その支払期日は、各手形につき一〇月から昭和六二年六月までの毎月各三〇日[昭和六二年二月については二八日]とされている。なお、額面六〇〇〇万円の手形の支払期日は、その最終の昭和六二年六月三〇日である。)、三億円の二〇パーセントで勘弁してくれと言って、六〇〇〇万円になった旨、右金額決定の根拠をも含めた詳細な供述をしている。ところが、被告人は、当審公判では、この六〇〇〇万円は、NK石材の件も全部ひっくるめたお礼として渡したものである、六〇〇〇万円はNK石材の件の報酬にとどまるものではない、そういう関係の旅費だとか、色々な費用とか、一切含め、全部で六〇〇〇万円ということである、原審で三億円の手形を振り出してもらった報酬として六〇〇〇万円をAに渡したと供述したのか、そこのところはちょっと(記憶が)薄いなどと、右六〇〇〇万円の性質や、その金額決定の経緯等について、(前記のとおり原判決が信用性を否定できないと判断している)原審供述とはかなり異なる供述をするに至っている。また、被告人は、このような供述の変更について、特段理由となる事情を述べることもない。このように、その核心的な部分について、特段の理由のない変遷があること自体、被告人の公判供述の信用性を疑わせる事情であることはいうまでもない(後記シをも参照)。
また、被告人とNK石材との関係は、前記三5、6(三)、15でも認定したとおりであって、なお、当審で取り調べた F19の証言等を含む関係各証拠によれば、NK石材では、五〇〇〇万円から六〇〇〇万円くらいをかけて長崎県西彼杵郡西海町の土地を購入し、採石事業を行う準備をしていたが、七月当時には、右事業の見込みのないことが明らかな状況になっていたこと、被告人は、これまでNK石材に対して多額の出資をしたものの、その回収に関する約束をことごとくNK石材によって裏切られる結果になり、また、NK石材の採石事業がもはや事業として採算性がないことを知り、少しでも多くこれまで出資した資金を回収しようと考え、八月六日ころ、Aを長崎に派遣し、 F18、 F19らのNK石材の経営者に対し、強硬にその旨交渉させていたこと、Aは、同月八日、右 F18、 F19を東京の京王プラザホテルまで連れてきて、同ホテルの客室内で、他の F2組関係者らとともに、長時間強硬に返済を迫る交渉をし、よって、 F18、 F19に、KW商事から六億円余の出資を受けていることを承認させるとともに、前記額面合計三億円の九通の手形を発行させるに至ったこと、しかしながら、前記のとおり、NK石材には当時右手形を決済する資力も見込みもなく、 F19らも、Aに対し、右交渉の席でそのことを申し出、少なくともこの手形金の支払いについては三年くらいの期間を猶予するようにという要請もしたが、Aは聞き入れず、前記手形を発行させることになったこと(なお、右手形の内訳、支払期日は前記のとおりである。)、被告人は少なくとも右京王プラザホテルでの交渉の後の段階には加わっており、右手形発行の経緯等についても十分承知していたことなどの事情も認められる。なお、この手形のうち、一一月三〇日を支払期日とする三〇〇〇万円のものは、その支払期日に決済されたことがうかがわれるが、その他の二億七〇〇〇万円のものは、結局決済できなかったことも証拠上明らかである。
付言すると、 F19は、当審で、会社としてのNK石材には、この手形を決済する見込みがなかったが、自分は個人としてもその支払いに責任を持つつもりであったという趣旨をも証言している。しかし、 F19自身はこの手形上特段個人的に債務を負うような立場にはなかった上、この点は別にしても、前記のとおり、 F19は個人的にせよ、この手形を決済することが結局できなかったと認められるのであるから、 F19のこの証言部分は特にこれを重視するには足りない。
弁護人は、八月当時、NK石材の本件採石場予定地の土地がKW商事に譲渡されていた、あるいは譲渡される運びになっていたなどの事情を挙げて、この手形には物的な担保となるべきものもあった旨を主張している。しかし、 F19の前記証言等によると、当時採石事業の見込みがなくなっていた右土地の価額は、 F19の証言する前記購入価格を特段上回るものではなかったと認められるから、その価値を最大限見込んでも、本件三億円の手形の担保とするにははるかに不足していたことが明らかである。
なお、本件手形には、いずれも F25が保証の趣旨で記名押印しているが、関係各証拠によると、同人は、特段の資力を持つ者ではなく、その保証が特に本件手形の信用を増すようなことはなかったことも明らかである。また、 F25に手形保証をさせることは、八月八日ころAが強く要求して F19らに応じさせることになったものであることが認められるが、 F19が F25にその旨話をして保証を承諾してもらい、手形上に同人の記名押印を得て、長崎にやってきたDにこれを渡したのは、八月一二日ころであって、被告人のいう、被告人とAとの間で本件六〇〇〇万円支払いの話が出るよりも後のことになる。
さらに、関係各証拠によると、NK石材側と被告人らとは、被告人の出資金の回収について、以後も更に交渉を続け、昭和六二年七月、KW商事の出資額が六億四二五〇万円であることを確認するとともに、NK石材の前記土地を代金一億円でKW商事に売り渡す形をとる売渡担保により、その所有権をKW商事に譲渡すること等を内容とする和解をし(ただし、証拠とされている和解契約書には債権者側の署名等がなく、この和解が最終的に右契約書どおりの内容のものとして成立したかどうかには、疑いもある。)、実質上、被告人の出資金のうち一億円を回収することにより決着することで合意するに至った(なお、実際には、前記手形のうち三〇〇〇万円が決済されているため、NK石材の今後の支払い分は七〇〇〇万円とされた。)ことが認められるのであって、NK石材からの回収の見込みも結局はせいぜいこの程度であったことがうかがわれるということができる。
以上に照らすと、八月八日ころNK石材が振り出した前記額面合計三億円の九通の手形は、そのとおりに決済される見込みなどなかったし、被告人もAも、これらの手形のうち一部は決済されるにしても、その大半については、決済されるものとは期待してもいなかったものと認められる。なお、それにもかかわらず、Aや被告人が、 F18や F19に対し、右手形の振出を強く要求したのは、要するに、こうして振り出させた手形の決済を迫りながら、NK石材との今後の交渉を有利に進めていく手段としようとしたものと推認することができる。
そうすると、八月一三日に持参した現金八〇〇〇万円のうち六〇〇〇万円は、AがNK石材に前記手形を振り出させたことに対する報酬として同人に渡したものである旨の被告人の原審公判供述がおよそ信用するに足りるものでないことは明らかというほかなく、被告人のこの供述の信用性を排斥し難いとする原判決の判断は到底首肯することができない。
サ Aに対する借金の返済に関する被告人の供述について
原判決は、また、「(被告人の供述のうち)八月一三日にAに渡した八〇〇〇万円のうち、二〇〇〇万円がAに対する借金の返済であるという点であるが、関係証拠に照らすと、七月二一日に被告人がHA86571ないしHA86573の額面合計三〇〇〇万円の手形(いずれも、振出日は七月二一日、支払期日は八月一三日である。)を東名飯店の駐車場に持参してこれをAに渡し、Aが、その場で、 J2に右手形を渡して割り引いてもらい、その割引金二〇〇〇万円をAを介して受け取ったことが認められる。したがって、右の事情を被告人がAからの借金というのは、Aが行った割引の仲介と思われる。…事情は詳らかではないが、 J2に対しては、手形三枚が渡されているけれども、KW商事への割引として使われたのは額面二四〇〇万円の手形(HA86571)のみであり、残りの手形二通はAの用途に使用されたのではないかと思われる。右三通の手形全部について被告人がAに対して回収を希望していたことは間違いないから(そのうち、八月一一日にAから回収できるという連絡が入っていたのは、<押収番号略>のメモに『止×』の記載のある額面二四〇〇万円の手形[HA86571]及び額面二〇〇万円の手形[HA86573]であり、実際に八月一三日に回収されたのもこの二通の手形である。)、額面二四〇〇万円の手形を除いた手形二通(HA86572[額面四〇〇万円]、HA86573[額面二〇〇万円])がAの用途に使われたという事情から、被告人がAに二〇〇〇万円を渡すのみで、不足分をAが足すなどして J2から手形二通(額面二四〇〇万円のHA86571、額面二〇〇万円のHA86573)が回収できたのではないかと思われる。被告人が言うAからの借金というのは、実質は、Aが J2から割引をしてもらう仲介を行ったというものであるから、Aに渡した二〇〇〇万円で J2から割引してもらった手形を回収しているから、結局借金を返済したということになる。したがって、この点についての被告人の弁解も一概に排斥できない。」と説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、仮に原判決が想定するような根拠により、被告人が二〇〇〇万円を出捐するだけで二四〇〇万円の手形を回収できたというのならば、その点に関し、少なくとも被告人とAとの間で、何らかの連絡・交渉がなされていなければならない。ところが、被告人自身、Aとの間にそのような連絡・交渉があったとも述べておらず、原判決が想定するような経緯によって、二〇〇〇万円を支払うだけで二四〇〇万円の手形を回収できることになったなどとも述べてはいない。その上、本件の証拠を精査しても、このような連絡・交渉がA、被告人間で行われ、これに従って二〇〇〇万円が支払われたことをうかがわせるような事情があるとは、証拠上全く認めるには足りないのである。原判決の前記の認定は、到底首肯するに足りず、このような点を理由として、被告人の前記供述部分を一概に排斥し難いとする前記の判断は、証拠上特段の根拠のない独断であるというほかない。
シ 被告人の供述の変遷について
原判決は、また、「被告人は、逮捕当初の否認の際(昭和六二年八月六日付け警察官調書<書証番号略>)や二九回公判において、NK石材を売却した報酬と供述したり、NK石材の手形を渡してくれた報酬と供述したり、若干の変遷は認められるものの、その報酬の額は八〇〇〇万円であると供述しており、被告人がAから借りていた二〇〇〇万円を含むとは供述していなかった。また逮捕前に作成した右警察官調書に添付されているメモでも、八〇〇〇万円は全額がNK石材関係の報酬であり、Aから借り入れた二〇〇〇万円が含まれているとは記載されていない。ところが五〇回公判になって二〇〇〇万円がAからの借入金の返済で、報酬は六〇〇〇万円と供述を変更し、かつ六〇〇〇万円を算出した根拠を具体的に供述している。しかし、二九回公判においては自白調書の任意性についての質問がなされており、右の八〇〇〇万円の件について詳細な質問がなされているわけではない。被告人とAの間では、多額の金銭、多数の手形のやり取りがなされており、一部について正確に供述できなかったとしても、あながち無理もないのではないかとも思われ、被告人の供述の変遷を重視することはためらわれる。」と説示している(<引用部分略>)。
被告人の弁解供述に変遷があること及びその内容は、前記のように、原判決が指摘するとおりである。原判決は、被告人の供述に変遷があることは認めつつ、前記のように説示して、この点を被告人の供述の信用性の評価に当たって重視することはためらわれると判断しているが、被告人が八月一三日にAに支払った八〇〇〇万円の現金がどのような趣旨のものであったのかという本件における核心的争点の一つについて(当時の被告人とAとの間の資金のやり取りの状況をみても、この八〇〇〇万円の授受は、現金のやり取りとしては目立って多額なものであったことが明らかであるし、被告人が E1の生命保険金を受領して間がない時期になされたことやその他の状況にも照らし、捜査段階以来極めて重視され、被告人もまたその本件における重要性を十分理解していたことが明らかである。)、公判供述相互の間にも、前記のような相違があることは、被告人の公判供述の信用性を考察するに当たって、非常に重要な意味をもつことは否定できないのであり、前記のような理由により、「被告人の供述の変遷を重視することはためらわれる」などとする原判決の判断は首肯するに足りない。付言すると、前記コで検討したとおり、本件で非常に重視されている右現金の趣旨について、被告人は、当審公判で、原審公判におけるのとは趣旨が異なる供述を、首肯できる理由もなくするに至っているのである。
以上の次第であるから、原判決の前記の説示もまた失当というほかない。
ス Aの意図に関する原判決の想定について
原判決は、原判決書第二部第二・六3「八月一三日、被告人がAに対して、 E1殺害の報酬として現金八〇〇〇万円を支払ったという供述」の最後の「まとめ」の項で、「確かに、被告人は、 E1殺害後にAに対して、多数の手形を振り出すようになっており、そのことが E1殺害についての被告人との事前共謀を推認させかねない事情であると評価する余地も出てこよう。しかし、事前の殺害共謀があったという見方についての不自然さもこれまで述べたとおりであるから、右Aへの手形の振出の不自然さも、せいぜい、事後的に被告人がAによる E1殺害を知り、殺害がAとの親交を深めていた被告人の経済的な利益とも合致したために、ますます結びつきを強め、かなりの経済的な利益をも与えるようになったのではないか、と思われるというにとどまるものであろう。このことは、Aの E1殺害による経済的な利益獲得の狙いが、事前の殺害合意に基づく特定金額の報酬を得ることにあったのではなく、合意なしでも、あるいは被告人の意向を十分確認しないままに、 E1殺害により被告人に多額の保険金を取得させることで被告人との結びつきを強め、長期間にわたって多額の利益を獲得することにあったのではないかという方向に傾く事情であろう。八月一三日以降も、昭和六一年末までに、被告人がAに合計三億円余の手形(合計四、五〇通)、現金を渡しており、Aがその中から実質的に得た利益はそれよりかなり下回っているが、相当の利益を得たこと自体は間違いなく、このような利益の流れも、右に述べたAの狙いを示唆しているように思われる。」と説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、原判決のこのような想定は、被告人の公判供述とも相反する内容である上、証拠上特段の根拠がなく、到底採用するに値しないことは、前記1でこれと同趣旨の原判決の説示について既に判断を加えたとおりである。
(3) まとめ
結局、前記(二)のAの供述、殊に(二)(2)の同人の原審公判証言は、その信用性に疑いをいれる余地がないことが明らかであり、この点について疑問を提起する原判決の説示はいずれも首肯するに足りない。
10 D、Aの各当審証言及び当審で取り調べたAの検察官調書
(一) Dの当審証言
当裁判所は、Dを、当審第二回及び第四回公判で、改めて証人として取り調べたので、その証言について付言する。
当審におけるDの証言は、原審における証言と比べると、かなりその内容が不明確で、あいまいになった点が目立つことは否めない。しかし、このような証言内容の変化は、本件事件や原審証言の時からの日時の経過等を考えると、それなりに理解することができる上、Dは、当審公判でも、原審で自己の記憶のとおりの証言をしたことを基本的に承認し、原審公判における個々の証言内容についても、結局は、多くの点でこれを肯認する証言をしているのであって、同人の当審証言は、少なくとも、その原審証言と特に矛盾するものではなく、もとより原審証言の信用性に疑問を生じさせるような性質のものでもないということができる。
そして、また、以上に照らすと、Dの当審証言中、原審証言よりも不明確、あいまいになるなど、原審における供述内容と相違するに至っている点は、原審証言に比し、証拠価値が低いこともまた明らかである。弁護人の当審における弁論中には、Dのこのような当審証言部分に依拠して種々事実上の主張をしている部分があるが、以上説示したところによって明らかなように、採用するに足りない。
(二) Aの当審証言及び当審で取り調べた同人の検察官調書
当裁判所は、また、平成五年九月三〇日の当審第三回公判で、Aを証人として改めて取り調べたが、同人は、当審においては、 E1殺害の依頼者は被告人ではない、その者の名は言いたくないと述べたのを初めとして、原審公判証言や、捜査段階での供述の重要部分を翻す証言をするに至っている。
しかしながら、Aは、当審証言の中で、あるいはまことに不合理な強弁を固執し、あるいは事実を述べることを回避しようとする姿勢をあらわにするなど、その証言態度は、それ自体まことに不誠実で、現在、同人に事実を真しに述べようとする気持ちがなくなっていることを歴然とさせている。また、Aの当審証言のうち、これまでの原審証言や捜査段階供述と異なる点は、いずれも、不合理、不自然で、関係各証拠とも符合せず、それ自体信用性に乏しいこともまた明らかといわざるを得ない。なお、Aが、これらの点に関し、なぜ原審公判まで事実と異なる供述をし、どのような経緯で当審公判において事実を述べるに至ったのかという理由、経緯として供述しているところもまた、およそ首肯するに足りない内容に終始している。付言すると、Aは、被告人が E1殺害を依頼したことを否定するなど、本件と被告人との関係を極力否定する一方、本件については別の依頼者がいると述べているが、この点については、Aが F2組関係者に対して民事訴訟を起こすなど、現在、 F2組と、Aの言うところの敵対関係に入るに至っていることなどの事情が影響しているとうかがう余地もある。
他方、Aは、原判決後で、当審における審理が始まる前の平成四年一一月及び一二月、検察官の取調べを受けて本件について供述し、その際の供述を録取した同年一一月一七日付け、同月二三日付け、同月二五日付け、同月二九日付け、同年一二月一日付け、同月二日付けの各検察官調書が作成されている。これらの検察官調書に録取されたAの供述は、基本的に同人のこれまでの原審公判証言や捜査段階供述に沿い、これを敷衍する内容のものである(したがって、同人の当審公判証言とは、種々の点で内容は相反している。)が、その供述内容は、いずれも合理的、自然で、関係の各証拠ともよく符合しており、右取調べの状況について同人が当審公判で述べている内容を考えても、その信用性に疑問をいれるべき点はない。すなわち、これらの検察官調書は、同人の当審証言との関係で、刑訴法三二一条一項二号後段所定の相反性、特信性の要件を優に充足している上、その信用性についても特段疑いをいれる余地はない。
以上の次第であるから、Aの当審証言も、同人の原審証言やその捜査段階供述の信用性を何ら左右するものでなく、一方、同人の前記検察官調書は、同人のこれまでの原審証言及び捜査段階供述の信用性を支持する意味をもっていることが明らかである。
11 まとめ
以上詳細に検討を加えたとおり、Aの原審証言及びその捜査段階供述並びにDの原審証言は、いずれもその信用性を優に肯認することができ、原判決がこれらの供述の信用性について疑いをいれる余地があるとして指摘する諸点について、逐一検討を加えても、何ら同人らの右各供述の信用性を揺るがせるに足りる事情があるとは認められない。前記1でも指摘したとおり、原判決は、同人らの各供述の信用性についての結論を「(Aの供述には)明らかに虚偽供述をしていると認められる点、虚偽だと断定できないにしても信用し難い点、不自然・不合理な点が多く、しかもそれらが被告人との間における E1殺害の共謀の形成、殺害費用の支払い、殺害報酬の支払いとされる点等、殺害共謀を推認させるべき中核的な部分について存在する。」(<引用部分略>)、「D供述についても、…虚偽あるいは信用し難い点がいくつもあり、被告人との間で E1殺害の共謀があったという供述の信用性については、疑問をいれざるを得ない」(<引用部分略>)。などと説示しているが、これらの説示が誤りであって到底首肯し難いことは、以上の検討の結果によって明らかというべきである。
五 被告人の自白調書の任意性、信用性
1 自白調書の任意性
原裁判所は、被告人に対する捜査段階の取調べの状況等について詳細な証拠調べを行った上、平成元年一〇月一七日付けの証拠採用決定で、被告人の検察官調書一二通(<書証番号略>)及び警察官調書三四通(<書証番号略>。以下、被告人が否認していた時期に作成された<書証番号略>を除き、これらの検察官調書と警察官調書を総称して、自白調書ともいう。)をいずれも刑訴法三二二条一項所定の証拠として採用している。原裁判所が被告人の取調べの状況等について右決定中で説示している内容は、当裁判所としてもおおむね首肯するに足り、被告人に対する警察官の取調べの方法には、確かに相当ではない点などもあったが、自白調書の任意性に影響を及ぼすような事情があったとは認められず、自白調書の任意性は肯認することができる旨の原裁判所の判断も、正当として是認することができる。
2 自白調書の供述内容
自白調書には、被告人が、保険金を騙取する目的で E1を殺害することを企て、A及びDとその旨共謀するに至った経緯・状況、殺害費用支払いの状況、 E1殺害後のAらとのやり取り、Aに報酬を支払った経緯・状況等、本件に関する種々の事柄につき、詳細な供述が記載されている。そして、その供述内容の概要は、原判決が、<引用部分略>の各箇所で、各供述事項ごとに要約摘示しているとおりである。
3 自白調書の信用性
そこで、次に自白調書の信用性について検討する。
(一) 被告人に対する取調べの状況等については、前記1の証拠採用決定が説示しているとおりであると認められ、被告人が警察官に対して自白するようになった契機について、Aが自白していると警察官に告げられ、このままでは死刑になってしまうなどと迫られて、自白するに至ったなどと述べる被告人の原審公判供述が関係証拠とも符合せず、基本的に信用性に乏しいこともまた、右決定の説示するとおりであると認められる。その他検討しても、被告人が自白するに至った経緯について、それ自体、自白の信用性を疑わせるに足りるような事情があるとは認められない。なるほど、被告人は、昭和六二年七月二六日に逮捕されてからしばらくは否認を続けた後、同年八月八日ころに自白を始め、以後自白を続けたが、その後再び否認に転じ(作成されている自白調書としては、同年九月一二日付けのものが最後である。もっとも、この調書には、主として、被告人が取調べ中捜査資料を勝手に持ち出した件に関する供述が録取されている。)、以後否認を一貫している。また、自白自体の中でも、取調べの進展とともにかなり内容が変更されたり、関係の証拠とも符合せず、直ちに信用することができない点などもあることは、後にも触れるとおりである。さらに、被告人は、捜査官に対して自白を続ける一方、捜査官の隙を見て捜査資料を房に持ち帰るなど、自白していた当時にあってもなお、被告人が捜査官に対する敵対的な気持ちを抱いていたことをうかがわせる事情もある。しかしながら、このような事情があるとはいえ、被告人の自白は、A、Dらと E1殺害の相談をしたり、その費用を提供したりして、右殺害の共謀を遂げたことや、その後の状況、更に殺害後の報酬の支払い等、基本的な点で、前記のとおり信用性を十分肯認できるA、Dの前記三の各供述(ただし、Aの当審公判証言を除く。以下同じ)を初めとする関係各証拠ともよく符合し、本件の状況に照らしても自然で合理的な内容を述べているということができるのであって、その信用性は高いと優に認めることができる。なるほど、被告人が、自白していた当時、真しに自己の非を悔い、本件に関する真実の事情を全面的に披瀝するような心境になっていたというわけでは必ずしもなく、その当時もなお、被告人なりの思惑をも交えて、取調べに応じていたことなどがうかがわれないではないが、そうであったからといって、自白の信用性が疑われるというものではないし、なるほど、自白には取調べの進展とともに、その内容が変化している点もあるとはいえ、これもまた、後に更に個別的にみるように、その供述の経過に特に不自然と評価すべきものがあるとは認められない。また、自白には、必ずしも関係の証拠と符合せず、信用し難い点もないわけではないが、いずれも自白の前記基本部分の信用性に関する判断を左右するような性質のものは見当たらない。なお、自白には、後記(三)で説示するように、それ自体かなり特異な内容で、供述の経過にも照らし、信用性が特に高いことをうかがわせている箇所もある。
(二) ところが、原判決は、種々の理由を挙げて、自白の信用性に疑問がある旨説示しているが、原判決のこの判断は到底首肯することができない。以下に、この主な点について補足して説明を加える。
(1) 原判決は、被告人の自白を供述内容ごとに分けてその供述の経過等を検討し、それぞれの箇所で、不自然な供述の変遷があるとか、その変遷の理由が合理的に説明されていないなどという趣旨の指摘をしている。しかしながら、原判決の説示内容に即して個別に検討しても、自白内容の変更は、あるいは、取調べの進展とともに、被告人が記憶を喚起し又は更に詳細な事項についてまで述べるようになり(例えば、四月七日に占いをしたという点など)、あるいは、自白をする中でも、種々の思惑を交えて供述をしていた点を指摘され、更に供述を変更するに至った過程を表している(例えば、三月二五、二六日ころAが E1殺害の話をもち出す前に、この件を話題にしたことがあったという点や、三月二二日の顔合わせをだれが発案したかという点など)ものとしてそれぞれ理解することが可能であって、原判決のこれらの説示は、いずれも首肯することができない。
(2) 原判決は、また、「三月二二日の貸付けに関して、被告人、A、Dの三者が、貸付けの決定時期、Aが事前に合意していたのか、殺害共謀との前後関係等について、三様の供述をしていることになる。偽装貸付けのような印象深い出来事について、三者三様の供述になること自体、顔合わせであったという検察官の主張を強く疑わせるものである。そもそも、 E1殺害の日時や方法、だれが実行するのかなどが決まっていない段階で、Aを E1に引き合わせる必要があったのかどうかも疑問である」などと説示している(<引用部分略>)。
しかしながら、これらの点については、既に前記四3(二)(2)、(4)で、 E1殺害の共謀の成立過程や、三月二二日の貸付けに関するA、Dの供述の信用性について検討したところを前提として考察すると、 E1の殺害合意に関するA、Dの各供述と被告人の自白との間に、各供述の信用性に疑問をいれるほどの食い違い等はないと優に認められるし、殺害の具体的方法等が決まっていない段階で、被告人が自白するような顔合わせが行われたとしても、何ら不自然でないことが明らかである。したがって、原判決の前記説示は、首肯するに足りない。
(3) 原判決は、さらに、四月七日にAに対して E1の殺害費用を渡した旨の被告人の自白には、種々客観的事実と矛盾する点があると指摘している。原判決が右矛盾点として挙げる主なものは、<1>「四月六日にAがKW商事に電話をしてきて E1殺害費用を要求したという自白は、四月六日が日曜日で、当時KW商事が日曜日に営業していなかったという客観的な事実と矛盾している。」(<引用部分略>)、<2>「被告人は、(Aに渡した)現金五〇〇万円を準備した経過について、…四月七日午前中に五〇〇万円の小切手を作成し、西武信用金庫東久留米支店に持参して五〇〇万円を引き出し、Aに渡した旨自白している。…(しかし、金銭出納帳[<押収番号略>]、小切手帳控[<押収番号略>]によると、)Aに渡された五〇〇万円は、四月五日に引き出された四〇〇万円に、当時KW商事に保管してあった金員のうち一〇〇万円を加えたものである(と認められる)。したがって、五〇〇万円を準備した経過についての被告人の自白は、右のとおり小切手帳控や金銭出納帳の記載等から推認される客観的事実と矛盾している。」(<引用部分略>)、<3>「被告人がAに手形を渡したとされる時刻より前である四月七日の午前中には、Aあるいは J5を通じて、AE八重洲支店に手形の支払期日が六月六日であるという正確な連絡がなされているようにも思われる。…四月七日の午前中までのうちに被告人からAに手形が渡されていたことを前提にしないと理解しにくい。」(<引用部分略>)、<4>「被告人は、Aに殺害費用として渡した手形は、四月七日の午前中に作成したと自白しているが、四月七日に作成したのであれば、…その満期は六月七日か八日になっている方が自然であるように思われる。」(<引用部分略>)、<5>「自白において殺害費用とされた手形三通の約束手形帳控には、殺害費用であることと矛盾する内容と思われる『平塚土地』等の消去痕がある。」(<引用部分略>)などの点である。
しかしながら、原判決の右<1>、<3>、<5>の各説示に理由がないことは、それぞれ、前記四5(二)(8)ウ、(7)ウ、(6)の各項で、既に詳細に説示したところに照らして明らかである。右<2>の点については、確かに、被告人が四月七日に西武信用金庫東久留米支店から下ろした五〇〇万円が、Aに対してではなく、 F15に対して渡された可能性があることは、前記四5(二)(4)イで説示したとおりであり、この点で被告人の自白に正確でないところがあることは否定できない。しかし、この引下ろしの経緯については、前記の項で既に詳細に説示したとおりの事実関係が認められ、原判決が疑っているように、Aに対して渡す予定の現金が既に四月五日に用意されていたというような事情があることをうかがわせるに足りる事実関係は認められないのであって、結局、被告人の自白に右の程度の不正確な点があったからといって、それは、自白のその他の部分の信用性に影響を与えるような性質のものではないことが明らかである。さらに、前記<4>については、押収されている各約束手形帳控等に照らして検討すると、被告人が四月七日に支払期日までに二か月の手形を振り出した場合、その支払期日を六月七日か同月八日にしたはずであるなどという原判決の前提自体、特に理由がないことが明らかであって(例えばこの場合の支払期日を六月六日とするような振り出し方をしたこともあったことが優に認められる。)、これまた理由がないというほかない。
なお、原判決は、この四月七日における殺害報酬の支払いに関する被告人の自白がA、Dの供述と矛盾しているとも指摘している。原判決が指摘しているのは、例えば、<6>被告人の自白は、四月七日に渡した現金五〇〇万円及び額面合計一〇〇〇万円の手形三通の全部が殺害費用であるというものであるのに対し、A、Dの供述はそうではないし、この手形三通をだれの費用で決済することになっていたのかという点について、自白中で触れられていないのも不自然である(<引用部分略>)、<7>被告人に対して殺害費用を支払うよう依頼する連絡をしたのがAであったのか、Dであったのかという点についても、特にAの供述との間に食い違いがある(<引用部分略>)、<8>右連絡が一回であったのか、二回にわたってなされたのかという点でも、被告人の自白とAの供述との間には食い違いがある(<引用部分略>)などの諸点である。
しかし、原判決のこれらの指摘もおよそ首肯するに足りない。右<6>の点については、やはり前記四5(二)(8)ア、オで既に判断したとおりであって、特に再述する必要がない。なお、被告人の自白も、A、Dの各供述も、いずれも前記五〇〇万円の現金及び手形三通の少なくとも相当部分が E1殺害の費用であったことを認めているのであって、その中に他の趣旨のもとに支払われたものも一部あったかどうかという点について供述が相違している点があっても、供述の基本的部分の信用性に影響を及ぼすことはない。右<7>及び<8>の各点についても、殺害報酬の支払いに至る連絡の経緯等に関わる事実について、原判決指摘の程度の食い違いが、自白とAらの供述との間に認められるからといって、そのようなことが、報酬の支払い自体に係るこれら供述の信用性に影響を及ぼすとは、これまた到底考えられないのであって、原判決の指摘は、首肯するに足りない。
(4) 原判決は、四月一五日か一六日ころに京王プラザホテルでAと会った際の状況について述べる被告人の自白についても、信用性を認め難いと説示している。原判決は、その理由として、例えば、自白では、同ホテルでAが E1の遺体捜索費を要求してきたため、Aに対し額面一五〇万円の手形二通あるいは三通を振り出してやったと述べられているが、この供述は不合理であり、 E1から一〇〇〇万円を取れなくなったので七〇〇万円くらい貸してほしいとAに依頼され、翌日ころ、Aの若い者に J3設計事務所振出に係る額面三五〇万円の手形二通を渡したという被告人の公判供述の方に信用性があるなどと説示している(<引用部分略>)。
なるほど、京王プラザホテルにおけるこのときの話合いに基づいて被告人がAに交付した手形の内容に関する自白に、不正確な点があることは、既に前記四7(二)(2)アで、右の点に関するAの供述について説示したところがそのままあてはまる。しかし、この点に関する供述内容のそごをもって供述全体の信用性評価に影響を及ぼすほどのものとみるのが明らかに失当であることもまた、前記の項で説示したとおりであって、再説する要をみない。なお、原判決は、京王プラザホテルでAと会った際の状況等に関する被告人の公判供述、殊に、 E1に貸していた一〇〇〇万円の返済を受けられなくなり、あてが外れたから七〇〇万円くらいを貸してくれとAに言われて、手形を渡してやった旨の供述部分の信用性を否定し難いと判断しているが、被告人のこの公判供述がおよそ信用するに足りるものでないことも、既に前記四7(二)(3)で判断を加えたとおりである。結局、原判決の指摘にかんがみ検討しても、この点に自白の基本部分、すなわち、京王プラザホテルでAから E1の遺体の捜索費用の支払いを要求されて、手形を交付するに至ったこと、右ホテルにおいて、被告人とAとが一心同体であるという趣旨の話も出たこと等を述べる部分はその信用性に疑いをいれるべき点がないと認められるのであって、原判決の前記の指摘は結局理由がないというべきである。
(5) 東名飯店で初めてBと会った際の状況等について述べる被告人の自白についても、原判決は、やはりその信用性に疑問がある旨の指摘をしているが、供述の基本的信用性を疑わせるに足りないような事情を認めることはできない。
なるほど、被告人が自白中でこのときの話合いに基づいてBのために手形を発行した旨述べる部分については、その信用性に疑問をいれるべき点があるし、この点の供述の変更を反映して、右会合の時期自体に関する被告人の自白内容が変更されている点についても、変更後の供述の方が信用性が高いとも直ちにいい難いところがある。しかし、一方、前記四8(二)(2)エでも説示したように、被告人が手形を渡す相手はあくまでAであって、BはAから報酬を受け取る立場であったのにすぎないのであるから、Bのために振り出した手形か否かというようなことは、むしろ当事者間でもそれほど意識されていなかったことがうかがわれる。そうして、このころから以後、被告人からAに対しては極めて多数の手形が振出交付され、Bに対してもAから結局主にその手形金の中から報酬が支払われるに至っていると認められるのであるし、Aに対する極めて多数の手形の振出の内容について被告人の自白中に一部必ずしも事実とは認められない点があったとしても、直ちに異とするには足りないこと等をも併せて考慮すると、この点も、被告人の右自白の基本的信用性を左右するようなものではないことが明らかである。
(6) 原判決は、八月一三日に E1殺害の報酬を支払い、これまで振り出していた手形を回収したという被告人の自白内容にも信用性がない旨指摘しているが、これまた、首肯することができない。
原判決は、右判断の理由として種々の理由を挙げているが、このうち、<1>自白では、被告人はこれまで振り出した手形を全部回収したいと考えたような内容になっているのに、実際には、被告人は、八月一一日に前記<押収番号略>のメモに×、止の記号を付した手形及び三井銀行関係の手形番号がADの手形のみを回収することで納得していたから、右の自白は事実に反する(<引用部分略>)、<2>自白では、これまで実質上被告人がAに対して持出しになっている分の清算について何ら触れられていないのは不自然である。(<引用部分略>)、<3>八月一三日におけるやりとりの結果Aには何ら利益が残らなかったのに、Aが金額を一億円から八〇〇〇万円に減額してまで殺害報酬を要求したという自白内容は不自然である(<引用部分略>)などの各点におよそ理由がないことは、既にそれぞれ前記四9(四)(2)キ、カ、ケで詳細に検討を加えたとおりであって、再説する要を認めない。なお、八月一三日に被告人がAに回収してもらった手形の中には、割引金を被告人が取得したことがうかがわれる手形番号HA86571の手形もあり、この手形をもいわゆる殺害報酬の先付けとして渡した手形の中に含めて説明している自白には必ずしも正確でない点もあることは原判決が説示するとおりである(<引用部分略>は、結局この趣旨を説示しているものと解される。)が、被告人とAとの当時における継続的で多数多額の資金のやり取りの状況等にもかんがみると、この程度の供述のそごは、被告人の供述するような経緯で殺害報酬をAに支払って、これまで振り出していた手形の回収を図ったというその自白の基本的内容の信用性を何ら左右するに足りるものではない。なお、被告人の自白中、八月一三日に新たに額面合計四〇〇〇万円の手形をAに振り出した趣旨等について述べる部分にも、Aの原審証言等にも照らし、必ずしもそのままでは首肯し難いところがあるが、この点もまた前同様に考えることができる(なお、前記四9(四)(2)エ参照)。原判決は、また、自白では、被告人が八月八日午後三時過ぎころ、SOにいるAに電話を入れて、保険金が下りたことなどを連絡したという内容が供述されているが、実際には、Aはこのとき長崎に行っていたから、自白はこの点でも信用できないとも説示している(<引用部分略>)。なるほど、このときAがSOにいたという自白内容は、事実に反するとは認められるが、Aは当時KW商事の要件で長崎に行っていたのであり、被告人としては、長崎にいるAに連絡をとることなども可能であったと考えられることは、前記四9(四)(2)アでも検討したとおりであって、この程度の供述のそごが自白の基本的部分に影響を及ぼすものでないことは、これまたいうまでもないところである。
(三) 前記(一)でも触れたとおり、被告人の自白には、その内容自体特異で、右供述当時の捜査状況や、他の関係者の供述状況等にかんがみても、自白に信用性が高いことをうかがわせる部分がある。すなわち、被告人が四月七日にAらに対して E1殺害費用の現金及び手形を渡した際、 E1の運勢占いをしたという供述である。この点は、被告人の自白自体の信用性を考察するに当たり、重要な意味をもつので、この項でまとめて検討を加えることにする。
(1) 右運勢占いに関する被告人の供述が最初に現れているのは、 H6警部補が録取した被告人の昭和六二年八月二七日付け警察官調書(<書証番号略>)であるが、この調書には、「四月七日に、 F14(A)とDの二人が、 E1殺しの費用をKW商事に取りにきたときのことで、その後思い出したことがある。 F14(A)が、帰る間際だったと思うが、私に対し、『社長、それで E1をいつやったらいいんだ。』と E1を殺す日をいつにするかと聞いてきた。このとき、私は E1の運勢上で、 E1に最も悪い日を選んだ方がいいと考えついた。それで、私は、このとき昭和六一年の正月に神社から買ってきて社長室の神棚の前に置いてあった高島易断の暦のことを思い出し、これで E1の四月の運勢を調べた。私は、 E1の運勢を調べるにしても、本人の生年月日が分からなければだめだと思い、社長室の金庫の中に保管していた E1作成の借用書に添付されていた本人の印鑑証明書を見て、生年月日を調べた。 E1は、確か昭和一五年生まれだったが、暦の最初のところを見ると、昭和一五年生まれの者については、確か六白となっていたと思う。それで、私は、さらに暦をめくり、六白の部分の、四月のところを見た。もちろん、これは、昭和一五年生まれの E1にとって、昭和六一年四月の中で、運勢上悪い日はいつになっているかを調べたわけだ。このようにして調べた結果、私は今でもはっきり記憶しているが、四月一一日の部分に黒く塗りつぶした三角印が付いており、その下の方だったと思うが、この一一日が悪い日であり、運勢上注意すべきだと何か書いてあった。(それで、)私は、 F14(A)に対し、『 E1の悪い日は、一一日ですね。』と言った。このとき、確か、一一日のほかに、一三日と一五日あたりも口に出した記憶があるが、これは黒の三角印がなくても、記載された内容があまりよい日ではないようだったから、一一日に続けて、話している。私がそう言ったところ、 F14(A)は、『そうか。』と言っていた。Dについても、私が E1の運勢を調べる動作や、 F14(A)に話すことを真剣に聞いており、私が一一日が日が悪いと言ったとき、同様にうなづいていた。」旨、 E1殺害の実行日を占ったというかなり特異な内容の供述が録取されている。そして、同様の供述は、被告人の昭和六二年八月二九日付け検察官調書(<書証番号略>)にも記載されている。
そして、高島易断所本部編纂に係る「昭和六一年神宮寳暦」(<押収番号略>、以下「高島易断」ともいう。)には、確かに、六白金星昭和六一年勝負運表の四月一一日の欄に、黒く塗りつぶした三角印が付され、六白金星生まれの者(E1がこれに当たることも、明らかである。)にとっては四月一一日が運勢が悪い旨の記載がなされているなど、現に被告人の供述と合致する内容の記載があることが認められる。
また、Aも、被告人の右供述とほぼ同内容の供述をしているが、関係証拠によれば、Aが捜査段階で右運勢占いについて初めて供述をした時期は、被告人がこの点について供述を始めた時期よりも後のことであったと認められる。Dも、原審公判で、被告人の右供述と同旨の供述をしているが、Dは、平成元年に至って逮捕され、被告人に対する本件捜査が行われていた当時は、その所在が不明であり、もとより、本件について捜査官に供述をするようなこともなかったことが明らかである。その他、被告人が供述するよりも前に、捜査官に対し右運勢占いについて供述する者がいたとか、あるいはこの点について捜査官に示唆を与えるような状況があったとかの事情は認められない(この点については後記(2)をも参照)。
さらに、前記 H6警部補は、原審公判で、「<書証番号略>の調書をとる五、六日前と思うが、被告人が、一つ思い出したことがある、実は、四月七日、 F14(A)らに E1殺害の準備金をやったときに、そういえば F14(A)から E1をいつやったらいいのかと聞かれ、高島易断の暦により E1の四月の中で悪い日を選んで言ってやったと供述した。私は、被告人からそう言われて初めて高島易断を調べ(実際に入手できたのは、八月二七日だった。)、被告人の供述がその記載と合致していることを知った。右調書に録取されている内容は、おおむね、被告人が現に高島易断を示されるより前に、供述したことである。被告人の様子は、今まで言えなかったことをやっとこの時点で言う気になったという感じだった。」などと証言している。 H6警部補のこの証言は、その内容自体、具体的で自然であり、本件捜査当時警察が入手した高島易断に係る任意提出・領置の手続が、昭和六二年八月二七日付けで行われていること等の状況ともよく合致しているということができる。また、 H6警部補は、被告人が右占いの件について供述した際、 E1殺害の実行が一日ずれてしまったなどと言っていたとも証言しているが、これもまた、前記のとおり、本件でBらが現に E1を殺害したのは四月一二日午前二時二〇分ころであって一一日ではないが、A、Bらは、当初はその前夜に E1を殺害することを計画していたものの、 F3が逃げ出してしまったためやむなく実行を一日延ばさざるを得なかったなどの事情とも符合するものということができる(なお、Aは、四月一一日朝、 E1殺害の失敗を被告人に電話で話したところ、被告人から四月一一日が運命の日であるから極力この日のうちにやってくれと言われた旨供述しており、Bの供述もこれと同旨である。)。
このような供述の内容自体のほか、前記認定に係る捜査当時の状況等にも照らすと、右の供述は、被告人が、捜査官による誘導等によったものではなく、 H6警部補が証言するように、被告人が自己の意思で供述を始めたものであると認められ、また、その供述内容が、前記高島易断の記載と一致していることなどが後で確認されたことは、その真実性が極めて高いことを示しているということができる。そうして、 E1の殺害費用の支払いの状況と直接関わり、しかも、 E1殺害の実行の日の決定という本件共謀の成否に関する核心的な出来事に係る供述中に、このように、信用性が極めて高い点が認められるということは、結局、本件に関する被告人の自白の信用性が一般的に高いことを裏付ける有力な事情であることもまた明らかというべきである。
(2) 被告人は、原審公判で、高島易断の件は自分から言い出したことではない、取調べ中、 H6警部補が、高島易断の本を持ってきて、易の見方はどうかと聞くので教えた。易占いに関する供述調書はこのようにして作成されたものである、などと供述している(なお、後記(3)エをも参照)。
しかし、前記(1)で検討した、右易占いに係る供述の内容自体のほか、前記認定の当時の捜査状況等にかんがみると、 H6警部補が突然高島易断を持って被告人に供述を求めたという被告人の右供述はまことに不自然であって、信用するに足りない。原判決もまた、「被告人の(前記)供述はいかにも唐突で、信用できない。」と説示している(<引用部分略>)が、この説示は、正当であり、是認することができる。
もっとも、弁護人は、被告人の右公判供述に依拠し、 H6警部補は、実際には、八月二二日ころに、 F33らから、被告人が占いに非常に凝っていて、日常の行動も占いの本を見て決めていたなどの情報を仕入れて、そのことをヒントにし、当時徹底的に迎合的な姿勢に陥っていた被告人に対し、自ら作出したストーリーに沿った内容の供述を押し付けた、高島易断に関する任意提出書・領置調書は、確かに昭和六二年八月二七日付けで作成されているが、実際に捜査官が高島易断を入手したのはこれよりも早い時期であり、右高島易断に関する自白調書を作成した昭和六二年八月二七日の日付けに合わせて、後からこれらの書類を作成したという疑いがある、などと主張する。
しかしながら、なるほど、被告人が易に凝り、易占いによって行動を決めるようなこともよくあったこと等の事情を捜査官が当時知っていたとしても、これによって捜査官が、 E1殺害の実行日も易占いによって決められたものと当たりを付け、高島易断をあらかじめ入手し、その記載をもとに前記の供述内容を作り出してこれをもとに被告人を誘導し、押し付けたという趣旨に帰する弁護人の所論は、特段の根拠がなく、飛躍にすぎる憶測の域を出ないというほかはなく、前記のような易占いに関する供述内容自体や、 H6警部補の前記証言等とも対比して、到底採用するに足りない。結局、弁護人の所論にかんがみ検討しても、被告人の前記公判供述は、その信用性をおよそ肯認し難いというほかはない。
(3) 原判決は、前記(2)のとおり、高島易断によって E1殺害の日を占ったという自白の経緯に関する被告人の公判供述を信用し難いとし、また、「易で E1の運勢の悪い日を占ったという自白中には、占いの方法等詳細な内容が含まれており、しかもその供述内容は添付の易の本の内容に符合しており、捜査官が誘導して作成できる内容とは認め難い面がある。」とも説示しながら(<引用部分略>。なお、この説示はもとより正当である。)、結論として、右占いに関する自白の信用性にも疑問をいれる点があると判示しているが、原判決がこの判断の理由として挙げる諸点は、以下アからカまでで検討するとおり、いずれも理由がなく、原判決のこの判断も失当であることが明らかである。
ア 原判決は、約束手形帳控(<押収番号略>)中の手形番号HA82773から82775までの手形控に「平塚土地」等の消去痕があり、「右手形の授受の際に、被告人が E1殺害の実行日を占ったというのは、右消去痕と矛盾するといわざるを得ない。」と説示する(<引用部分略>)。
しかしながら、手形番号HA82773から82775までの手形控にある右「平塚土地」等の消去痕を、原判決が説示するような趣旨で重視することが誤りであることは、既に前記四5(二)(6)で詳細に検討を加えたとおりであって、原判決の前記の指摘はおよそ理由がないことが明らかである。
イ 原判決は、また、原審第六六回公判で行われた(第二回証人尋問における)証言で、Aが、運勢占いをしたのは被告人から一八〇〇万円か一八五〇万円を受け取った際のことではないかと思う旨、従前の証言と異なる内容を述べていると指摘する。しかしながら、Aは、右原審第六六回公判での証人尋問の際にも、結局は、前記の供述は勘違いであって、従前の証言が正しいとすぐ訂正しているのであって、当時、Aは既に自分の事件が確定して受刑中であり、本件事件自体、さらに本件における第一回目の証人尋問からも相当の時日を経過していたこと等にも照らすと、右の点は、まさにA自身が述べるように、単なる勘違い以上のものではないと認められ、原判決のように、あたかも供述に実質的な変遷があるかのように評価するのは当たらない。
ウ 原判決はまた、Aが高島易断による占いの件を真実体験していたのなら、その事実を隠す必要はなく、躊躇なく供述したはずである。捜査段階においてAが先に供述しなかったのは、むしろそのような事実がなかったからではないかと思われるなどとも指摘している(<引用部分略>)。
しかし、Aが捜査段階でこの占いの件を被告人より先に供述しなかったのは、前記(1)のとおり事実であるが、Aがことさらこの件を隠していたとか、その供述を躊躇していたなどの原判決の説示は、証拠上も特段の根拠がないといわざるを得ない。むしろ、Aは、被告人の占いなど特に重視していなかったから、あえてこの件を自分から供述することもなかったと解する余地が十分ある。したがって、原判決のこの指摘も特段の根拠がないというほかない。
エ 原判決は、「 E1の死亡は、被告人にとって四億円もの保険金を入手できるかどうかに関わるのであるから、 E1の行方不明、死体の発見等を通じて、あるいは E1のことが話題になった際等の折に、被告人が事件当時の E1の運勢を占い、日常生活の中で E1の運勢の悪い日を調べて自白調書にあるような知識を取得していた可能性も排除できないと思われる。」(<引用部分略>)とも説示している。
しかし、原判決のこの説示が、 E1の行方不明の後に、被告人が E1の運勢占いをした可能性があるという趣旨であるならば、そのようなことは被告人自身が原審公判で否定しており、その他、右の推測を裏付ける根拠は本件証拠上およそ認めることができないのであって、全く失当であるというほかない。
なお、被告人は、原審公判で、三月二二日には E1らの運勢を占ったことがあり、そのことを捜査官に話したところ、四月七日に易占いをしたという内容の調書を作成されたという弁解をするに至っている。
しかし、被告人は、原審第三一回及び第三二回の各公判で、本件高島易断による占いに関する自白調書の作成の経過等について、詳細な被告人質問を受けた際には、このような事実については全く供述していなかった(前記(2)の内容を供述していた。)のに、各自白調書が採用された後の第四九回公判になって、突然このような供述をするに至ったのであって、その供述の経緯はまことに唐突で、不自然であるといわざるを得ない。原判決は、「(被告人は、原審第三一回及び第三二回の各)公判期日には易で犯行日を占ったという供述調書が作成されている経過について質問されているにすぎず、占いの真相がどのような状況であったのかを質問されたのは、四九回公判になってからであるから、四九回公判になってからの右弁解が格別唐突であるともいえない。」などと説示している(<引用部分略>)。しかし、占いをしたのが三月二二日であり、本件自白調書はそれを四月七日のことにされてしまったものであるというのなら、そのようなことはまさに右調書の作成経過を説明するに際し、説明して当然の事柄であることが明らかであるから、原判決のこの説示は、およそ首肯するに足りない。このように、三月二二日に E1の運勢占いをしたという被告人の公判供述は、前記のとおり、その供述の経過がまことに不自然であるが、それにとどまらず、A、Dの供述等、関係の証拠ともおよそ符合しない不自然な内容に終始しているというほかなく、到底信用するに足りない。
オ 原判決は、その他、この高島易断による占いに関する自白調書の内容が、自白調書のその他の内容と整合しないとして、種々指摘する(<引用部分略>)。
しかし、原判決の指摘する諸点にかんがみ検討しても、いずれも右易占いに関する自白調書の内容に特段不自然な点があるとか、自白調書のその他の内容と整合しないなどと評価する根拠になるものではないと認められる。なお、被告人が、Aの行動予定等、詳細を承知していなかったとしても、いよいよ殺害費用を渡して、殺害実行が間近に迫った段階で、四月中の適当な日を対象にして、易占いをしたとしても、原判決がいうように特段不自然であるとはいえないことも明らかである。
カ その他、原判決の説示に即して検討しても、右易占いに関する自白の信用性に疑問をいれるべき点があるとは認められない。
(四) 以上(一)から(三)までにかけて検討したとおり、被告人の自白は、その任意性に疑いをいれる余地がないのみならず、その信用性も高く、特に、 E1の保険金を騙取することを目的としてA、Dとの間で E1を殺害する旨共謀を遂げたとする自白の基本的部分については、その信用性に疑問をいれるべき点のないことが明らかである。原判決は、前記二で引用したとおり、被告人が保険金騙取の目的でAらと E1殺害を共謀したという自白調書の核心的部分についてはその信用性に疑問が残る旨結論しているが、原判決のこの判断は、以上説示の理由により、明らかに自白の信用性評価を誤っているといわざるを得ない。
六 結論
以上検討を加えたとおり、 E1の保険金を騙取する目的のため、被告人との間で E1殺害の謀議を遂げた旨述べるA、Dの各供述(ただし、Aの当審公判証言を除く。)は、その謀議の経緯、内容等、基本的部分について信用性を優に肯認することができ、これと同旨の被告人の自白も基本的にその信用性を十分肯認することができる。そうして、これらA、Dの各供述及び被告人の自白に、原審で取り調べた関係各証拠を総合すれば、被告人とA、Dとが E1の保険金を騙取する目的で同人を殺害する共謀を遂げた旨の事実を優に認定できることが明らかであり(なお、殺人については、Aを介して、B、Cとも順次共謀を遂げたことになる)、したがって、被告人の前記一の殺人、詐欺の各公訴事実を合理的な疑いの程度を超えて認定できることも明らかである(ただし、殺害の実行場所、保険金の振替送金の方法等、事実関係のごく細部については、公訴事実をそのまま肯認し難い点もある。)。そうすると、原判決は、証拠の評価を誤り、A、Dの各供述、被告人の自白の各信用性にはいずれも疑いをいれる余地があるとしてその信用性を否定するなどした結果、前記共謀の事実を認定するにも合理的な疑いをいれる余地がある旨判断するという事実誤認を犯すに至ったものというほかはなく、また、この誤認が判決に影響を及ぼすことも明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
第二部 破棄及び自判
そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、前判示のとおり、原審及び当審で取り調べた関係各証拠を総合すると、本件殺人、詐欺の各公訴事実を認めることができるので、同法四〇〇条ただし書により当裁判所において更に次のとおり判決する。
(犯行に至る経緯)
被告人は、KW商事株式会社(事務所の所在地は東京都東久留米市<番地略>を設立して不動産業・金融業等を営み、同社の代表取締役として、その資産、事業を実質上一人で管理、運営し、同社を経営している者であるが、昭和五七年ころから、有限会社 E1屋商事を経営する E1(昭和一五年二月二六日生)に対し、資金を貸し付けるようになり、そのうち、貸付総額が一億円を超えるようになると、 E1自身やその親族の土地を担保に提供させた上で貸付けを継続していた。また、被告人は、右貸付けの担保とする意図で、昭和五八年七月一五日、 E1をKW商事の役員と偽り、明治生命保険相互会社(本社所在地は、東京都千代田区<番地略>)との間で、 E1を被保険者とし、KW商事を保険契約者兼保険金受取人として、普通死亡時の死亡保険金を二億八五〇〇万円、災害割増特約として災害死亡時の災害死亡保険金を一億円(合計三億八五〇〇万円)とする生命保険契約(個人定期保険)及び死亡保険金を一五〇〇万円とする生命保険契約(養老保険)の二つの保険契約を締結し、その各保険料は E1屋商事から得た貸付利息の中から支払いに充てていた。KW商事の E1屋商事に対する貸付総額は昭和五九年には一二億円余りにのぼるようにもなったが、 E1屋商事は、その支払いを怠るようになり、昭和六〇年四月には、二回目の手形不渡を出して倒産するに至った。被告人は、 E1屋商事の倒産後、同社からの月額一〇〇〇万円を超える利息の支払いも受けられなくなって、SF株式会社等のKW商事の借入先に対する元利金の返済をKW商事自らの負担で行わなければならなくなり(なお、被告人は、 E1ないしその親族の不動産をSFに対し担保に入れるなどしてKW商事がSFから貸付けを受けた資金を、更にKW商事が E1屋商事に対し貸し付けるという形で融資を行っていた。)、そのための資金の調達も余儀なくされた上、当時、その他の融資先との関係でも種々紛争を抱えてその解決が長引き、転売して債務の返済等に充てるべき不動産の処分も思うに任せず、また、元稲川会系暴力団員である F5の紹介により昭和六〇年二月下旬ころから有限会社NK石材に対して多額の融資を始めたものの、その利益はおろか元本の回収も図ることができず、同年六月ころから、SFに対する債務の総額が一九億円余になって、利息の支払いも遅滞し、また、その他の取引先金融機関に対しても多額の債務を抱え、その額が昭和六一年一月には合計約二〇億円にものぼるほどになって、もはや新規の融資も受けられず、同月および同年二月には、税務署からKW商事の不動産の差押えを受けるなど、経済的に著しく追い込まれた状況に陥っていった。
ところが、昭和六〇年八月ころ、被告人が E1の依頼で、担保として預かっていた同人の親族の不動産の権利証を E1に渡したところ、被告人に無断で、KW商事に対する所有権移転登記が抹消されてしまうということがあり、同年九月には、 E1の右親族の代理人が、SFに対し右不動産に係る抵当権設定が本人の承諾なくなされたものである旨通知してきたのに対し、 E1はこれに同調するような態度をとった。被告人は、 E1のためにKW商事の経営が前記のとおり苦しい状況に追い込まれていったのに、同人がその窮状の打開に協力しないばかりでなく、かえって前記のような態度に出たことに対し、ふんまんやる方ない気持ちを抱くようになった。被告人は、その後も、 E1に対し、担保物件による債務の清算を求めたが、同人はいっこうにその債務の返済に努力しようとしなかった。殊に、被告人が、SFの担当者らとともに、 E1の担保物件に対する競売の手続を進めようとしたのに対しても、同人は不満を示し、右担保の土地にプレハブ住宅を建築するなどして、競売を妨害する手段に出、また、昭和六一年三月には、その親族の土地の被担保債権を減額するようにとSFに直接交渉し、その際にも、担保権設定が勝手にされたものであるという右親族の主張に同調するような態度を示したりもした。被告人は、このような E1の態度に接し、ますます同人への憤りと憎悪の気持ちを深めていった。
被告人は、このように E1との関係が悪化するうち、同人に死んでもらって前記の保険金が手に入るようになればよいと思うようになり、周囲の者らに、 E1には生命保険を掛けている、死んでしまえばいいなどと言うような言動に及ぶこともあった。また、昭和六〇年一〇月か一二月ころには、被告人が、KW商事事務所に来た F5及び稲川会堀井一家飯田五代目 F2組組長代行補佐のDに対し、 E1が死んでくれれば助かるなどと話したところ、 F5が報酬一億円で E1殺しを引き受けてやるといって応じたこともあったが、このときは被告人は F5の申出を断わり、この話は右の程度の雑談の域を出ないうちに終わった。しかし、被告人は、前記のとおり、その後ますますKW商事の経営状況が悪化し、 E1に対する憤りと憎悪の気持ちを募らせるうち、次第に、 E1を殺害した上、同人の死亡が事故であるように装ってその保険金を騙取しようと、一層具体的に考えるようになった。
(本件殺人及び詐欺の共謀の成立の状況等)
そこで、被告人は、昭和六一年二月下旬か三月上旬ころ、KW商事事務所にやってきたDに対し、右事務所の社長室で、 E1に対するふんまんの気持ちをまたも述べるとともに、 E1がいなくなればいい、 E1には三億円の保険を掛けてあるので、やってくれたら報酬を一億円出すなどと言って、 E1を殺害し、その保険金を手に入れようという話を持ち掛けたところ、Dも、その趣旨を了承し、知り合いがいたら聞いておいてあげる、などと言って応じた。そして、Dは、当時後記Aの運転手役を兼ねて同人と一緒に行動することが多かったことなどもあって、そのころ、同人と二人で車に乗っていた機会に、同人に対し、被告人の右の話を伝えた。ところで、Aは、的屋全日本源清田連合初代萩原一家井上分家 F14組組長であり、昭和六〇年九月服役を終え、以後 F2組の事務所に足繁く出入りし、また自ら金融業等も営む一方、被告人が紛争物件の処理等をめぐり、 F2組関係者と付合いを深める中、自らも、しばしばKW商事の事務所を訪ねるなどして被告人に会い、被告人のため、種々策を弄するなどして活動していたが、前記のとおりDから被告人の E1殺害依頼の話を聞くと、その実行を引き受けて報酬を取得しようと考え、Dに対し、自分が引き受けてもよいという意向を伝え、また、被告人の報酬支払いの意思等を確認するようにと指示した。そこで、Dは、そのころKW商事事務所を訪ねた際、Aの右の意向を伝え、被告人も、若干のやり取りの後、Aに実行を任せる旨答えた。また、これとは別に、被告人とAは、KW商事事務所で会った際や、昭和六一年三月初めころ神奈川県座間市所在のクラブ「○○」で飲食を共にした際に、 E1を殺害する気持ちに間違いがない旨、互いに意思を確認したりすることもあった。このように保険金目的で E1を殺害するという計画が次第に具体化する中、被告人は、自分が用意する一〇〇〇万円をAに渡し、Aに、同人が用意した金のように装って同人から E1に対しこれを貸し付けさせることによって、Aと E1の顔合わせを行い、 E1にAを信用させようと考えた。そこで、被告人は、同月二二日、東京都豊島区池袋の金融業者・株式会社T商で七〇〇〇万円を借り受けた上(借受人の名義は F15)、Aに対し、そのうちの一〇〇〇万円をAが貸主になって E1に貸し付けるように依頼し、A、Dとともに、埼玉県所沢市大字下安松所在の E1方に行き、同所で、Aが E1に対し右の一〇〇〇万円を貸し付けた。その後の同月二五日か二六日ころ、被告人は、KW商事事務所を訪ねてきたA及びDと右事務所の社長室で会った際、Aかその配下の者が間違いなく E1を殺害すること、 E1の死亡を事故のように装って保険金を取得すること、右殺害の報酬として被告人は一億円を支払うが、その支払いは保険金が下りてから行うこと、それまではKW商事振出の手形をAに貸すこと等について互いの意思を確かめ、一応の相談がまとまった。
他方、Aは、同月二三日ころ、兄弟分で、札幌市に本拠を置く前記井上分家傘下のB組組長Bと大阪に行った際、宿泊先のホテルで、KW商事が E1という男に三億円の保険を掛けている、 E1を消してやれば一億円くらいになるし、後々面倒もみてもらえそうだが、話が決まったらやるか、などと持ち掛けたところ、Bは、二つ返事で、 E1殺害に加わることを承諾した。さらに、Aは、前記のとおり、同月二五日か二六日ころ、被告人の意思を確かめた後すぐ、神奈川県大和市の大和グランドホテルに滞在中のBに対し、被告人との間で話が決まったことを告げるとともに、改めて E1殺害の実行に加わることを誘ったところ、Bは、直ちにこれを承知し、北海道には実行に適当なところが一杯あるなどと言って、実行場所をAに提案したりもした。
Aは、そのころ、知人から札幌市中央区南三条西五丁目(通称狸小路)所在の土地売買の話を持ち込まれていたことから、この売買の話を種に E1を北海道に誘い、折をみて同人を殺害しようと企て、同年四月五日、Dとともに E1方を訪ね、同人の要請を入れて三〇〇万円を貸し渡した際にも、同人に右狸小路の件を話して、北海道行きを誘った。すると、 E1は、この話に乗り気になり、翌六日、Aに電話で、同月八日の午後からなら北海道に行けると連絡してきた。そこで、Aは、Dを介して被告人に連絡し、右北海道行きの費用等を用意するように依頼し、被告人もこれを承諾したため、右費用等を受け取るため、同月七日、DとともにKW商事の事務所を訪れた。被告人は、前記の連絡を受けて、あらかじめ、現金五〇〇万円並びにいずれもKW商事振出に係る額面三〇〇万円の約束手形二通及び額面四〇〇万円の約束手形一通を用意し、同月七日、KW商事を訪ねてきたAらに対し、その事務所社長室で、前記のとおりAらが E1を殺害するため北海道に連れ出すための費用等としてこれらを差し出し、また、その機会に、高島易断所編纂に係る「昭和六一年神宮寳暦」により E1の運勢を占い、 E1の運勢は同月一一日がよくないなどと告げて、その日に同人を殺害してほしいという趣旨を述べたりもした。こうして、被告人、A及びDの三名は、 E1を殺害して保険金を騙取する旨の本件殺人及び詐欺についての共謀を、遅くとも同月七日KW商事事務所において遂げた。
Aは、被告人から前記現金及び手形を受け取った後、Dとともに、前記大和グランドホテルに行き、そのころ同ホテルに滞在していたBに対し、被告人との話の次第を伝え、翌八日 E1を北海道に連れ出して殺害する旨を伝えてBもこれを了承し、ここに被告人は、Aを介して、Bとも E1を殺害する旨の共謀を遂げるに至った。
こうして、AとB(以下「Aら」ともいう。)は、同月八日、他の F2組組員一名とともに、羽田空港から空路札幌に赴き、同日夜遅れて札幌にやってきた E1と同市内で会った後、翌九日、 E1を誘って網走に赴き、同市内で一泊した。そして、Aらは、函館で E1を夜釣りに連れ出してその機会に同人を殺害しようと企て、翌一〇日、口実を設けて E1を函館に誘い、同人らとともに、空路函館に赴き、同市内の湯の川観光ホテルに投宿した。Aらは、その夜 E1を夜釣りに連れ出して殺害する計画を立てたが、実行に加わるはずのBの配下 F3が行方をくらましてしまったため、実行を延期せざるを得なかった。被告人は、翌一一日朝、Aと電話で話した際に、前夜の実行が失敗した旨連絡を受けたが、Aに対し、一一日のうちに殺害を実行してほしい旨を述べた。また、被告人は、そのころAから費用が足りなくなった旨言われ、同日、三〇〇万円を用立てて、Aの口座に振込送金したりもした。Aらは、そこで、同日の夜 E1殺害を実行することにし、Bは、同日、札幌にいた配下のCを函館に呼び寄せた上、同人に E1殺害の計画を打ち明けてこれに協力するように命じ、Cもこれを承諾して、ここに、Cも、B、Aを介し、被告人との間の E1殺害の共謀に加わることになった。
(罪となるべき事実)
第一 こうして、被告人は、A、D、B及びCとの間で、 E1を殺害する旨順次共謀を遂げ、BとCが、右共謀に基づき、昭和六一年四月一二日午前零時ころ、 E1を伴って前記湯の川観光ホテルを出、北海道上磯郡(番地略) F1方に赴いた上、同日午前一時ころ、 F1が操船する小型漁船第二とし丸(総トン数一・四トン)に E1とともに乗込み、右 F1方裏の通称谷好前浜海岸を出発して、同日午前二時二〇分ころ、同所南東方向約一・四キロメートルの沖合海上に至ったところで、Cが、船尾デッキで操船中の F1の前に立ちはだかり話しかけるなどして同人の視界を遮り、その注意をそらせる間に、船首三角デッキ上で E1と並んで座っていたBが、いきなり手で E1を突き飛ばして同人を海中で転落させ、更に、同人に襟首をつかまれて一緒に海中に落ちた後も、泳げないながらも浮き上がり必死に同船の船縁をつかんではい上がろうとする同人の着衣を引っ張るなどし、Cも、 F1が E1を助け上げようとするのを妨害したり、船縁をつかんでいた同人の手を引きはがすなどして同人を再び海中に沈め、よって、そのころ、同所付近海中で、 E1を溺水により窒息死させて殺害した。
第二 被告人は、前記のとおり、A、Dと共謀の上、 E1を被保険者とし、KW商事を保険契約者兼保険金受取人とする前記二つの生命保険契約が締結されているのを利用し、 E1の右死亡が不慮の災害によるもののように装って、明治生命から保険金を騙取しようと企て、被告人が、昭和六一年七月一四日ころ、KW商事事務所で、明治生命武蔵関営業所係員 F33に、あらかじめ入手しておいた E1の死亡診断書や、 E1が魚釣りの最中に不慮の事故により海中に転落して行方不明になり、その後死体で発見された旨を記載した受傷事情書等の関係書類とともに、保険金請求書二通を手渡し、情を知らない F33及び同営業所長 F31を介して、そのころこれを明治生命本社に送付させ、真実は前記第一のとおり被告人らが共謀の上 E1を殺害したのに、同人が不慮の事故により死亡したもののように装って、同社に対して右保険金の支払方を請求し、同月一六日ころ、右書類を受理して審査に当たった同社契約サービス部保険金部長 F32をその旨誤信させ、よって、同年八月二日、同人の指示を受けた同社契約サービス部保険金課送金係員に、同社から全国信用金庫連合会東京営業部を経て、東京都東久留米市本町三丁目一〇番八号所在の西武信用金庫東久留米支店のKW商事名義の当座預金口座に右保険金等合計四億〇〇六五万八一八〇円を振替入金させて、これを騙取した。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法六〇条、一九九条に、判示第二の所為は同法六〇条、二四六条一項にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪について所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、一つの罪について無期懲役刑により処断すべき場合であるから、同法四六条二項により他の刑を科さないで、被告人を無期懲役に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中九〇〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
本件は、これまで詳細に説明したように、被告人が、自己又は自己の経営するKW商事の債務者である E1に多額の生命保険を掛けていたのを利用し、同人を殺害した上、事故死を装って保険金を騙取しようと企て、まず知り合いの暴力団員であるDにその話を持ち掛け、さらにAを加えて謀議を遂げた上、前認定の経緯により、Aの兄弟分の暴力団員であるBらをして、深夜夜釣り船の上から E1を海中に突き落とすなどして同人を殺害させ、また、現に E1の死亡を事故死と装って生命保険会社に保険金の交付方を請求し、保険金等として四億円余を騙取するに至ったという事案である。
このように、本件は、被告人が利欲に駆られ、他人を殺害してその生命保険金を手に入れようとしたもので、その動機には何ら酌むべき点がない。付言すると、被告人は、捜査段階以来、 E1の被告人に対する対応が不誠実であったという趣旨を強調する供述をしている。もとよりそうであったからといって、本件の動機についての評価にそれほど大きな影響があるものではないが、この点を最大限被告人のために酌んで考慮しても、被告人の経営するKW商事の経営が悪化した重要な要因が、被告人自身の経営上の判断の誤り等にあったことは明らかであり、被告人の右供述はこの点の責任を E1に転嫁しすぎているという面のあることもまた否定すべくもないのであって、結局、この点を被告人のためあまり有利に考慮することはできない。
また、前認定のとおり、各犯行は極めて計画的、周到に準備、遂行され、その上、殺人の犯行は、 E1を騙して深夜釣り船に乗船させ、隙を見て海中に突き落とし、泳げないながら必死に船に上がろうとする同人の手を船縁から引きはがし、同人を海中に引っ張り込むなど、まことに残忍で、冷酷であって、結局、各犯行とも態様は極めて悪質というほかない。本件のため、 E1は、突如深夜の海中に突き落とされるなどした挙げ句、理不尽にも一命を奪われたものであって、その苦痛や無念の気持ちには甚大なものがあったと認められ、同人の妻や当時いまだ多感な年代であった二人の子ら遺族の受けた衝撃にも察するに余りあるものがある上、本件で被告人らが騙取した保険金等は前記のとおり四億円余もの高額にのぼるのであって、各犯行の結果もまたまことに重大である。
さらに、被告人は、最初に本件を発案し、多額の報酬をえさに、共犯者らにその実行の話を持ち掛けた本件の首謀者であって、本件各犯行に関与した者の中でも、最も中心的な役割を果たした者である。なるほど、被告人は、 E1の殺害の実行行為自体には加わっていないし、また、特にAは、自ら報酬等を獲得することを目的に、本件の実行のため積極的に行動し、 E1殺害を実際に遂行する具体的な段取りを立てることなどについては、Aが、主導的な役割を果たしたことなどの事情も認められる。しかし、反面、被告人は、いわば手を汚さずに利益だけを得ようとしたこともうかがわれないわけではないが、もっとも、被告人もまた、 E1殺害の実行をAらに任せきりにしていたというのではなく、例えば、Aらが E1を伴って北海道に行く前日には、殺害の費用を渡すとともに、殺害の日について話をし、函館にいるAから、前夜殺害の実行をすることができなかったという連絡を受けるや、当日のうちに殺害を実行するようにと求めるなど、犯行の実行についても、重要な局面ごとに関与して、Aらに働き掛けるなど、重要な役割を果たしたことが認められる。さらに、本件生命保険金は、現にKW商事の名義の口座に振り込まれて、被告人自身の手に入っている。もとより被告人は、Aらに本件の報酬を支払っており、また、その額は、前説示のとおり、被告人とAとの複雑な資金のやり取り等を反映して、必ずしも一義的に明確であるわけではないが、Aら共犯者が本件の報酬として得た利益は、本件で支払われた保険金等四億円余の総額に比べれば、はるかに低額であったと認められ(本件によるAらの利得も、同人が捜査段階で供述していた八〇〇〇万円とそれほど異なるものではなく、少なくとも、それを大きく上回るものではなかったと認められる。)、結局、被告人は、共犯者らとの関係でも、本件による利得の大半を自ら取得したと認められる。以上に照らすと、本件における被告人の立場は、Aを含む他の共犯者らと比較し、格段に重いものであったといわなければならない。
そのほか、本件の損害賠償や E1の遺族らに対する慰謝等の措置が全く講じられていないこと、被告人は、捜査段階で本件を自白したことはあったが、その後一貫して自己の責任を否認し、公判でも、不合理、不自然な弁解を固執するなど、本件を反省しているとは認め難い態度に終始していること、保険金目的の殺人という本件事案の性質にも照らし、本件が社会に与えた衝撃にも軽視し難いものがあったと認められること等の諸事情をも併せて考慮すると、本件は犯情がまことに悪質で、被告人の刑事責任は極めて重いというほかない。
したがって、被告人には、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律違反の罪による罰金前科一個があるほかには、前科がないこと、殺人については被告人自身が実行に加わったものではないことや、被告人が服役することによって、被告人の妻や三人の子あるいは被告人の他の親族に経済的・精神的苦痛が生じることが予想されること等、関係証拠に照らしてうかがうことができる被告人のため酌むべき諸事情を最大限被告人の有利に考慮しても、被告人に対して無期懲役刑を科するのはまことにやむを得ないと判断した。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 萩原昌三郎 裁判官 宮森輝雄 裁判官 木口信之)